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源常
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812年
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平安時代
臣籍降下
左大臣
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嵯峨天皇
父
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。
左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」...
源弘
平安時代前期の公卿。嵯峨天皇の皇子(第二源氏)。官位は正三位・大納言。広幡大納言と号す。
嵯峨源氏
賜姓源氏の最初で、第52代嵯峨天皇の子孫。嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。__TOC__
源融
嵯峨天皇の12男。官位は侍従、右衛門督。大納言などを歴任し、従一位左大臣にいたる。別名河原左大臣。死後正一位を追贈された。
源朝臣
●諸経歴とか 本名:源朝臣なんたらかんたら ああ、源朝臣新田かんたら と書かれる事もあるかな? 忌名:書くわけねーじゃん。 法名:たぶん 妙心なんたらかん...
北畠
大阪市阿倍野区南西部の町名。郵便番号545-0035。
源光
平安時代の公卿。仁明天皇の皇子。官位は正二位・右大臣。贈正一位。西三条を号す。第一親等の皇族ながら、多くの兄弟とともに源姓を賜って臣籍降下。侍従、...
源定
平安時代前期の公卿。嵯峨天皇の子(第六源氏)。淳和天皇の猶子。官位は正三位・大納言、贈従二位。四条大納言または賀陽院大納言(陽院大納言とも)と号した。
仁明天皇
平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。
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宇多天皇
日本の第59代天皇(在位:仁和3年11月17日(887年12月5日)-寛平9年7月3日(897年8月4日))。諱は定省(さだみ)。
藤原良房
平安時代初期の公卿。藤原北家・藤原冬嗣の二男。母は藤原美都子。子に明子、養子に藤原基経。染殿、白河殿と称される。漢風諡号は忠仁公、国公は美濃公。皇...
常盤御前
常盤御前(ときわごぜん、保延4年(1138年)-没年不詳)は平安時代末期の女性で、源義朝の愛妾。阿野全成、義円、源義経(今若、乙若、牛若)の母。字は常葉...
小野小町
平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。
有智子内親王
第52代嵯峨天皇の第8皇女。母は交野女王。平安時代初期の皇族、漢詩人。初代賀茂斎院。大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂...
禅定
落慶一周年を祝う 天台宗インド禅定林大本堂 2008年2月23日 日本からの僧が出仕した記念法要 インド中部のナグプールから南東に八五キロ離れたポーニにある...
渡辺綱
平安時代中期の武将。源宛の子。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもとのつな)。通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。
源義経
1966年1月2日~12月25日にNHKで放送された4作目の大河ドラマ。
藤原冬嗣
平安時代の公卿・歌人。右大臣藤原内麻呂の子。正二位・左大臣。贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。
文徳天皇
平安時代前期の第55代天皇(在位:嘉祥3年4月17日(850年5月31日)-天安2年8月27日(858年10月7日))。諱は道康(みちやす)。田邑帝とも。
プロフィール
源常とは
経歴
人物
系譜
参考文献
源常(みなもとのときわ、弘仁3年(812年)-斉衡元年6月13日(854年7月15日))は、平安時代前期の公卿。
嵯峨天皇
の子(第三源氏)。官位は正二位・
左大臣
、贈正一位。東三条
左大臣
とも呼ばれる。
経歴
弘仁5年(814年)に兄の信・弘とともに
源朝臣
姓を賜与され、左京一条坊に貫付せられた。
天長5年(828年)17歳で無位から従四位下に直叙される。
のち兵部卿に任ぜられ、天長8年(831年)従三位に叙せられ、兄弟の源氏の中でいち早く公卿に列す。
翌天長9年(832年)には21歳の若さで参議を経ずに中納言に昇進した。
その後は、天長10年(833年)正三位、承和4年(837年)左近衛大将、承和5年(838年)大納言、承和7年(840年)右大臣、承和8年(841年)従二位、承和11年(844年)
左大臣
と順調な昇進を果たす。
承和10年(843年)には桓武朝末から長きに亘り公卿に列していた
左大臣
・
藤原緒嗣
の死去に伴い、常は32歳にして太政官の首班に立ち、その後10年にあまりにわたってその地位を占め、兄弟の信・定・弘とともに
嵯峨源氏
として朝廷の一大政治勢力をなした。
また、承和7年(842年)に完成した『日本後紀』の編纂にも携わっている。
嘉祥3年(850年)正二位。
斉衡元年(854年)に薨去。
死後、正一位の位階を贈られた。
人物
素行が落ち着いていて物事に動じず、風神のように静爽としているとして、他の皇子と比べて、父・
嵯峨天皇
から特に寵愛されたという。
身のこなしが優雅で、言論も穏やかであった。
人材を見抜くのに優れ、才能の士を推引し、讒侫の徒を遠ざけ、「丞相の器」と評された。
『日本
文徳天皇
実録』斉衡元年6月13日条。
歌人としても『古今和歌集』にその詠歌を載せる(歌番号・36)。
系譜
母:飯高氏-更衣。
男子:源興(828-872)。
男子:源頴(?-879)。
男子:源直(830-899)。
参考文献
『国史大辞典第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編ISBN4642005137。
源常 - Wikipedia
より要約
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