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呉清源
囲碁の棋士。中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。本名は泉、清源は通称名。一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、現在は日本棋院名誉客員... |
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本因坊秀哉
明治から昭和にかけての囲碁の棋士。東京出身。俗名は田村保寿(やすひさ)。名人。家元本因坊家の21世で、終身名人制の最後の名人。法名は日温。引退後に本... |
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鈴木為次郎
囲碁の棋士。愛知県生まれ、巌崎健造門下、方円社、裨聖会、棋正社、日本棋院に所属、名誉九段。読みが深く粘り強い棋風で、長考派としても知られる。「旭将... |
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木谷実
木谷実九段、囲碁殿堂入り 日本棋院は7月23日、 木谷実 九段の囲碁殿堂入りを発表した。故木谷九段は1909年に神戸市で生まれ、昭和初期に呉清源九段ととも... |
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橋本宇太郎
昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢... |
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柄本明
日本の俳優、コメディアン。愛称は、えもっちゃん。東京都中央区出身。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。 |
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雁金準一
明治から昭和にかけての棋士。元の姓は岩瀬。東京都出身、初代中川亀三郎門下、九段。方円社、本因坊秀栄門下、日本棋院を経て、棋正社の総帥としての日本棋... |
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坂田栄男
囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、増淵辰子八段門下、九段。本因坊戦で7連覇して本因坊栄寿と号し、二十三世本因坊の資格を持つ他、選手権制初の名人・本... |
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石倉昇
日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。神奈川県横浜市出身。九段。東京大学卒業後、銀行マンを経て棋士に転身した異色棋士として注目を集めた。昭和60年・平成元... |
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山下敬吾
日本棋院所属のプロ棋士。北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖、本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。義兄に高梨聖健。羽根直樹、... |
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伊藤歩
日本の女優。東京都練馬区出身。アノレ(ANOREINC.)所属。 |
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高部道平
囲碁の棋士。東京出身、方円社に学んだ後、本因坊秀栄門下となる。中国などとの囲碁交流を積極的に実施。裨聖会、棋正社などを結成。棋正社八段、棋正社分裂... |
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岩本薫
大正・昭和の囲碁棋士。第3、4期本因坊で本因坊薫和と号する。島根県益田市出身、広瀬平治郎八段門下。中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに散在する石が徐々... |
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藤沢秀行
囲碁棋士。本名は藤沢保(たもつ)。その後秀行に改名、本来の名前の読みは「ひでゆき」だが、「しゅうこう」と呼ばれることが多く、「しゅうこう先生」の名... |
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喜多文子
囲碁の棋士。東京生まれ、方円社、日本棋院に所属、名誉八段。女流棋士として初の実力四段となり、また多くの女流棋士を育て、現代女流碁界の母と言われる。... |
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川端康成
日本の小説家。大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表... |
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木谷實
囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎門下、九段。20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされている。 |
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本因坊秀策
本因坊秀策(ほんいんぼうしゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日)-文久2年8月10日(1862年9月3日))は江戸時代の囲碁棋士である。備後国因島(現・広島... |
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本因坊
本因坊(ほんいんぼう)江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家のうちの一つ(→下記項目「本因坊家」に詳述)。昭和になって作成された、囲碁の... |
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プロフィール
瀬越憲作(せごえけんさく、1889年(明治22年)5月22日-1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。
生涯
| 5歳のとき、祖父から碁を教わり、中学校に入学した頃には、二、三段くらいの人とは互角に戦えるようになっていた。 |
| 広島一中(現・広島県立国泰寺高校)で賀屋興宣と同級。 |
| 1905年(明治38年)の夏休みに神戸で中根鳳次郎、阿部亀次郎に指導を受ける。 |
| 卒業後、県議で父親と親しかった望月圭介に連れられ1909年(明治42年)、20歳で東京へ行き、少壮碁客血戦会を経て方円社に入社。 |
| 当時は坊門(本因坊)と方円社が対立、坊門には当時第一人者本因坊秀哉がいたが、向こう気の強い望月が「どうだ、方円社に入って本因坊を負かしてやらんか」と言うので瀬越もその気になった。 |
| 同年兵役の為、帰郷に際し鈴木為次郎三段との試験碁に先相先で4勝2敗とし、飛付三段を許され彗星の如く天才青年現ると当時大きな話題となった。 |
| 1921年(大正10年)、六段に進む。 |
| この年雁金準一、鈴木為次郎、高部道平と裨聖会を設立。 |
| 総互先、持時間制の採用など、封建的な因習を引きずる囲碁界に新風を吹き込んだ。 |
| 関東大震災を機に分裂している碁界の合同のため、本因坊派と方円社を握手させ大財閥大倉喜七郎を後援者に1924年(大正13年)の日本棋院設立に尽力する。 |
| 1926年(大正15年)、推薦により七段に昇進。 |
| 本因坊秀哉に連勝して定先の手合とするなど、大正から昭和初期を代表する実力者でもあり、1927年からの大手合東西対抗戦では鈴木為次郎とともに両軍の主将として活躍した。 |
| 1928年秋期大手合では大手合初の八段昇段を目前にするが、この時の高橋重行戦で万年劫問題が発生し、勝敗が一時預かりとなるなど紛糾、この後の宮坂寀二戦を敗れて昇段はならなかった。 |
| 1939年からの第1期本因坊戦では最終トーナメントの第4次戦2位などの成績を収める。 |
| 1942年に鈴木為次郎、加藤信とともに八段に推挙される。 |
| 1944年には準名人戦出場。 |
| 1945年(昭和20年)、太平洋戦争末期の東京大空襲により日本棋院会館が焼失。 |
| 棋具や記録などを失う。 |
| 第3期本因坊戦は広島に疎開した瀬越の奔走で、同年8月に広島市郊外で行われた。 |
| この第2局は吉見園(現佐伯区五日市町)で行われ、橋本宇太郎(昭宇)本因坊と挑戦者岩本薫七段の対局中、原爆が炸裂、強烈な爆風に見舞われ市内に残っていた広島支部の関係者は全員死亡、瀬越自身の三男と甥も犠牲となった。 |
| 世にいう原爆対局(原爆下の対局)である(岩本基金で建てられたシアトルの日本棋院囲碁センターの壁には、原爆対局がタイル張りで飾られている)。 |
| 終戦後は岩本らと日本棋院の再建に尽力。 |
| 1946年(昭和21年)、日本棋院初代理事長に就任。 |
| 同年4月、大手合を再開、雑誌「棋道」も復刊させる。 |
| 1948年(昭和23年)に日本棋院会館(港区芝高輪)を開館。 |
| しかし同年読売新聞紙上での失言により理事長を辞任。 |
| その後も囲碁の発展、国内、国際普及に粉骨。 |
| 江戸時代の御城碁の棋譜を収めた『御城碁譜』全10巻、『明治碁譜』の編集の他、自ら筆をとった「瀬越囲碁教本」など多数の技術書を著した。 |
| 1952年全本因坊全八段戦出場。 |
| 1955年(昭和30年)に引退、同年鈴木為次郎とともに名誉九段に推される。 |
| 1958年、棋士で初の紫綬褒章、1966年に勲二等瑞宝章を受章。 |
| 1928年の呉清源の来日に尽力し、門下とした。 |
| また1919年に満州、中国を訪問、1942年に青木一男の招待で呉清源らとともに訪中、1950年ハワイ棋院に招待されて訪問。 |
| 1957年の台湾への使節団団長、1960年の日中囲碁交流第1回訪中団団長などを務めた。 |
| 門下に橋本宇太郎、杉内雅男、伊予本桃市、久井敬史、曺薫鉉ら。 |
| 1972年(昭和47年)、体の衰えを苦に自殺。 |
| 1983年にその功績を讃えて銅像(圓鍔勝三作)が作られ、故郷の能美島に贈られた。 |
| 2009年囲碁殿堂入り。 |
他の棋歴
| 院社対抗戦1926年0-1(×小野田千代太郎)。 |
| 大手合(甲組)優勝1927年後期。 |
| 1960年3-1-1。 |
著書
| 『囲碁襲撃戦法』斯文館1911年。 |
| 『少壮碁客血戦録』博文館1912年。 |
| 『新進碁客争覇戦』斯文館1920年。 |
| 『手筋辞典』(呉清源と共著)。 |
| 『詰碁辞典』。 |
| 『囲碁の力を強くする本』。 |
| 『御城碁譜』(八幡恭助、渡邊英夫と共著)御城碁整理配布委員会1950-51年。 |
| 『明治碁譜』日本経済新聞社1959年。 |
| 『囲碁百年1先番必勝を求めて』平凡社1968年。 |
| 『損のないハメ手』。 |
| 『碁の形を教える金言集』。 |
| 『手のある地・手のない地』。 |
| 『勝負のキメ手』他多数。 |
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1919年
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満州、中国を訪問、1942年に青木一男の招待で... |
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1942年
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鈴木為次郎、加藤信とともに八段に推挙される |
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