| 1992年 全日本中学校選手権2年100mで7位入賞。 |
| 1993年 全日本中学校選手権100m・200mで優勝(11秒08・22秒00)。 |
| 国体少年B200mでは第2位(決勝21秒55、予選では21秒54の当時日本中学新)。 |
| ジュニアオリンピックではさらに日本中学記録(当時)を更新した(21秒36)。 |
| また、三種競技B(現在は廃止)で3354点(12m68(砲丸投)-6m90(走幅跳)-49秒07(400メートル競走))の日本中学記録保持者でもあり、400メートル競走の49秒07は実施競技は混成競技ではあったが、この年の中学最高記録でもある。 |
| 1993年中学ランク1位であった種目は、100m、200m、400m、走幅跳、三種競技A(10秒7-12m64-1m83)、三種競技Bの計6種目。 |
| 110mH、走高跳でも1993年中学ランク100位以内を達成している。 |
| 1994年 国民体育大会少年B100m・400mで2冠(10秒74・48秒24)。 |
| 1996年 インターハイで400mの日本ジュニア新記録(当時)(46秒27)を樹立して優勝。 |
| 日本ジュニアでも400m優勝。 |
| 世界ジュニア選手権代表に選出され400mと4x400mRに出場。 |
| 400mでジュニア日本新記録(当時)(46秒03)を樹立して4位に入る金星をあげ、マイルでも2走をつとめ3分06秒01のジュニアアジア新記録で準優勝。 |
| 10月に行われた地元の広島国体で400mと400mHでいずれも日本高校新記録(当時)(45秒94)・日本ジュニア新記録をマークして優勝。 |
| 特に、400メートルハードル49秒09の日本高校記録・ジュニア記録(当時世界ジュニア歴代2位)は驚異的で、これを破るのは至難の業であるとみられている偉大な記録である。 |
| 1997年 世界室内選手権で4×400mRに出場。 |
| 2番手で走り、6位入賞に大きく貢献。 |
| 高校卒業後は法政大学に進学。 |
| 入学直後の日本学生選手権では4×400mRの2走を務めて優勝。 |
| 1998年も制し2連覇。 |
| 1998年は3走。 |
| 1998年 日本学生選手権400mH優勝(以後3連覇)。 |
| 1999年 ユニバーシアード代表に選出され出場。 |
| 2000年 日本学生選手権で48秒47の日本学生新記録を樹立し、シドニーオリンピック代表に選出される。 |
| 入賞が期待されたが、予選で先頭を走りながら終盤で強風にあおられて9台目を引っ掛け転倒し、準決勝進出を逸した。 |
| 選手生活で転倒したのはこの1戦のみである。 |
| 日本選手権では2年連続の準優勝。 |
| 2001年 大学5年生になる。 |
| 東アジア大会代表に選出され400mHと4×400mR(2走)に出場。 |
| マイルで優勝し400mHでも準優勝を果たす。 |
| 8月にはカナダ・エドモントンで開かれた世界陸上の400mHに出場。 |
| 準決勝で48秒10の日本新記録を樹立。 |
| 決勝ではさらにタイムを縮め、47秒89という驚異的な日本新記録をマーク。 |
| フェリックス・サンチェス(ドミニカ)・F・モーリ(イタリア)に次ぐ3位に入り、五輪・世界選手権を通じて日本人初の短距離種目の銅メダル獲得の快挙を成し遂げる。 |
| 日本選手権では初優勝を果たす(以後2005年まで5連覇)。 |
| 2002年 釜山アジア大会では400mH3位。 |
| 2003年 7月に父を亡くす。 |
| 世界陸上パリ大会に出場。 |
| 一度は予選落ちした(3着まで通過のところ4着、タイムは9人までだったが10番目)。 |
| しかし、準決勝進出者の中から失格者(バーショーン・ジャクソン)が出たため、繰り上がりで準決勝進出を果たす。 |
| しかし、準決勝は組で7着に終わり、決勝進出を逸した。 |
| 10月に大阪ガスを退社し、プロ選手として独立。 |
| 2004年 アテネオリンピックに出場。 |
| 今度は準決勝で48秒46の好タイムで3着にくいこむ。 |
| しかし決勝進出は2着以内、タイムは2番目までだったため、タイムで4番目だった彼はまたも決勝進出を逸する。 |
| しかし、ワールドアスレティックファイナルでは日本人としてトラック種目初出場を果たし6位入賞の快挙を成し遂げる。 |
| 2005年 2月に朝原宣治・伊藤友広らとともにアメリカ合衆国アリゾナ州フラッグスタッフで高地合宿を行い、実力を養成。 |
| その甲斐あって5月のSGPドーハで400mH49秒53の好記録で6位入賞。 |
| 6月にPrahaで行われたGPIIのMemorialJosefaOdlozilaでは49秒24をマークして優勝。 |
| 7月にはイタリアで行われたパドバ国際でも49秒23で優勝を飾るなど好調を維持しヘルシンキ入り。 |
| 世界陸上ヘルシンキ大会の400mハードルで再び銅メダルを獲得。 |
| 豪雨であったが、豊富な経験を元に冷静さを失わず中盤までトップを走る。 |
| 終盤でかわされたが48秒10のセカンドベストをマークし銅メダルを獲得。 |
| こぶしを突き上げて男泣きし、一躍時の人となった。 |
| 2006年 400mHを封印しスプリント能力の養成に専念。 |
| 2007年大阪世界選手権・2008年北京オリンピックに照準を合わせる。 |
| 5月には200mで、6月には100mで実に10年ぶりの自己新記録をマーク。 |
| 12月中旬、497日ぶりにハードル練習を行った。 |
| 2007年8月25日、2007年世界陸上選手権(大阪)400mHで予選敗退。 |
| 2008年日本選手権に出場し、400mHを49秒17で優勝。 |
| A標準記録を突破し北京オリンピック代表に選ばれた。 |