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つながりの強いひと
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狩野山楽
安土桃山時代~江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野山雪は養子。 |
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伊藤若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
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岩佐又兵衛
江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。 |
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京狩野
安土桃山時代末から明治期まで京都で活躍した画家の流派。豊臣氏滅亡後、狩野派のほとんどが江戸に下ったことに対して、京都に留まったため、京狩野と呼ばれ... |
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歌川国芳
江戸時代末期の浮世絵師。画号は一勇斎。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサ... |
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辻惟雄
日本の美術史学者。専門は日本美術史。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授、MIHOMUSEUM館長。 |
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長谷川等伯
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。 |
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長沢芦雪
江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。長澤蘆雪とも。名は、政勝、魚。字は、氷計、引裾。通称、主計。芦雪の他、別号に千洲漁者、千緝なども用いた。円山応挙の... |
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狩野探幽
狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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狩野永徳
安土桃山時代の絵師。狩野派(室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった画派)の代表的な画人であり、日本美術史上もっとも著名な画人の1人である。現... |
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尾形光琳
江戸時代の画家。工芸家。尾形光琳は、後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとり... |
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円山応挙
江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。諸説あるが「足のない幽霊... |
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俵屋宗達
江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。 |
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永徳
永徳(えいとく、1978年1月16日-)は日本の俳優。千葉県出身。ジャパンアクションエンタープライズ所属。旧芸名は大岩永徳(おおいわひさのり)。 |
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雪舟
室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱(いみな)は「等楊」(とうよう)と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護の... |
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狩野正信
室町時代の絵師で、狩野派の祖である。狩野派は、室町時代から明治に至るまで400年にわたって命脈を保ち、常に日本の絵画界の中心にあった画派であった。この... |
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葛飾北斎
日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』... |
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酒井抱一
江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、... |
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海北友松
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江(現在の滋賀県)の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益... |
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プロフィール
狩野山雪(かのうさんせつ、天正18年(1590年)-慶安4年3月12日(1651年5月1日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。 京狩野の画人 狩野山楽の婿養子で後継者。本姓は秦氏。号は「蛇足軒」「桃源子」「松柏山人」。息子は狩野永納。垂直や水平、二等辺三角形を強調した幾何学的構図で知られる。
略歴
| 九州肥前国に生まれる。 |
| 実父は肥前国の千賀道元。 |
| 母は松浦氏出身。 |
| 父に従い大阪に移り住むが、慶長10年(1605年)に父と死に別れる。 |
| 彦三に画才があることを知っていたらしい叔父の僧は、当時豊臣氏の絵師として活躍していた狩野山楽に弟子入りさせる。 |
| その頃の彦三は、山楽が狩野永徳の門人となったと同じ年頃であり、おそらく山楽は自分の境遇に近い彦三に同情して、その内弟子にしたと思われる。 |
| 弟子となった彦三は次第に頭角を表したらしく、那波活所に送った「西湖十景図扇面画」から、遅くとも元和5年(1619年)までには山楽の娘・竹の婿となり、名も平四郎と改め、狩野性を授けられた。 |
| 山雪の号を名乗った時期は不明だが、遅くとも30代半ばには用いていたと推定される。 |
| また、縫之助とも称した事が知られている。 |
| 正保4年(1647年)九条幸家の命により、東福寺所蔵の明兆筆三十三身観音像の内、欠けていた2幅を補作、その功績により法橋に叙せられる。 |
| ところがその二年後、牢屋に捕えられ、更にその二年後におそらく獄中で没した。 |
| 獄中から永納に宛てた手紙「山雪公密文」では自己の無実を訴えているが、なぜ山雪がこのような不幸に見舞われたか定かではない。 |
| 山雪は孤独を好み、蔵書家で学者としての側面を持ち、絵画史研究を行った。 |
| 山雪の子・狩野永納が著した『本朝画史』は日本絵画史の基本史料として知られるが、山雪の草稿を永納が完成させたものである。 |
代表作
| 天球院襖絵(京都・妙心寺天球院)1631年 重要文化財。 |
| 桂春院襖絵「松に三日月図」(京都・妙心寺桂春院)1632年。 |
| 歴聖大儒像(東京国立博物館15幅・筑波大学6幅)紙本著色1632年林羅山の依頼で描いた。 |
| 繁馬図絵馬(京都・清水寺)板地著色1637年。 |
| 藤原惺窩閑居図(根津美術館)1幅紙本淡彩1639年。 |
| 天祥院襖絵(京都・妙心寺天祥院)1647年。 |
| 老梅図襖絵(メトロポリタン美術館)4面紙本金地著色1647年 旧妙心寺天祥院襖絵。 |
| 群仙図襖絵(ミネアポリス美術館)2面紙本金地著色1647年 旧妙心寺天祥院襖絵。 |
| 蟠龍図天井画(京都・泉涌寺)板地淡彩1647年。 |
| 雪汀水禽図屏風(個人蔵)六曲一双紙本着色重要文化財 京都国立博物館委託。 |
| 蘭亭曲水図屏風(京都・随心院)八曲二双紙本金地著色重要文化財 京都国立博物館委託。 |
| 洛外名所図屏風(京都国立博物館)六曲一双紙本金地墨画。 |
| 明皇・貴妃図屏風(京都国立博物館)六曲一隻。 |
| 夏冬月夜山水図屏風(個人蔵)。 |
| 龍虎図屏風(個人蔵)六曲一双紙本著色。 |
| 四季耕作図屏風(東京芸術大学大学美術館)八曲一双。 |
| 四季耕作図屏風(個人蔵)六曲一双。 |
| 四季耕作図(滋賀・大通寺)襖絵八面。 |
| 寒山拾得図(京都・真正極楽寺)1幅紙本墨画。 |
| 紫宸殿賢聖図巻(個人蔵)1巻絹本著色。 |
| 長恨歌画巻(アイルランド、チェスター・ビーティー・ライブラリィ)。 |
参考資料
| 土居次義編『日本の美術172山楽と山雪』至文堂、1980年。 |
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