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高校時代、同級生たちと結成したバンド「reselve (レゼルブ)」のボーカルとして関西のライブハウスを中心に活動。
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当時の「第2次バンドブーム」の中、関西の若手インディーズバンドとして人気を博し、当時まだ無名だったシャ乱Qとの対バンを断ったという逸話を持つ。
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高校在学中にポリスターと契約し、1990年に同バンドでメジャーデビュー。
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「美少年高校生5人組」という触れ込みで売り出すも、ブレイクには至らなかった。
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数作のアルバム・シングルを発売したのちにバンドを脱退し、ソロ活動を開始。
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ここでも数作リリースするが波に乗ることはなく、90年代半ばからは作詞・作曲や他アーティストのディレクターといった裏方に移行していった。
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1999年にエピックレコードジャパンに入社し、同社レーベルのアーティストの企画・制作に携わるなど、音楽プロデューサーとして数々の作品に参加。
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その後2004年春に同社を退社し、独立した。
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シンガーとしてソロデビューの直後にあたる時期から関西ローカルのラジオ番組『MBSヤングタウン』(毎日放送)に出演し、メインパーソナリティー・明石家さんまのアシスタントを1992年10月から2007年3月までの14年半の長きに渡って務めた。
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きっかけは、当時毎日放送が、注目の地元出身ミュージシャンとしてシャ乱QやCURIO等を、自局のテレビ、ラジオの音楽番組・若者向け情報番組において、積極的な出演と紹介を行っており、その中にreselveも入っていて、その延長線での出演であった。
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また同局と以前から関係が深かったポリスター所属であったことも、『ヤンタン』レギュラー入りに大きく影響したと考えられる。
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同番組内では、「ハイティーンの子が好み」と条例違反ギリギリの発言をしたり、スクランブル交差点で信号待ちをしながら彼女とディープキスをしているところを、偶然同じ交差点で信号待ちをしていた、運転中のさんまに見つかって暴露されたりと、様々な逸話を残した。
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番組における明石家さんまを相手にしての聞き役、フォロー役としての的確さは、番組を聴いているさんまファンにも高い評価を得た。
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番組の甲斐あってか、レギュラー初期には他のラジオ番組やイベントでMCの仕事を多く受け持ったことがあり、某ラジオ局では「さすが(明石家さんまの下でトークの勉強しているだけあって)違うね」という賛辞を貰うなど、各所スタッフからそのMC力にも高評価を得たという。
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番組内の替え歌コーナー、作詞選手権コーナーといった音楽企画においては、歌唱力や作曲、編曲の面でその才能を番組リスナーに披露した。
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本コーナーで作成された楽曲は、松浦亜弥の作品を中心に、CD化の要望が依然として強くファンの間から出ている。
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2007年3月いっぱいで番組を降板。
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『ヤンタン』パーソナリティー在籍14年6ヶ月は、現在もメインパーソナリティとして、番組を続けている明石家さんま・笑福亭鶴瓶に次ぐ記録的な長期レギュラーであり、桂三枝、笑福亭鶴光、谷村新司、原田伸郎といった、この番組の代名詞となっている過去のパーソナリティより、長い番組在籍期間となった。
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降板の理由は本人曰く、音楽プロデュース業へ専念のため。
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そして持病による体調不安から、番組にこれ以上迷惑をかけられないと判断し、自ら身を引いたとのこと。
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降板後の現在はプロデュース業等で多忙であり、村上ショージやヤンタンスタッフからのゴルフの誘いを断る程だという。