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王双
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228年
三国志
大司馬
222年
魏
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つながりの強いひと
諸葛亮
中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。蜀漢の建...
曹仁
中国後漢末期から三国時代の武将。字は子孝(しこう)。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の従弟。曹純の兄。曹泰・曹偕・曹範らの父。曹初の祖...
魏延
中国後漢末期から三国時代にかけての蜀漢の武将。字(あざな)は文長(ぶんちょう)。義陽郡の人。劉備の荊州時代以来の配下。
朱桓
中国、後漢末から三国時代にかけての武将。呉に仕えた。字は休穆。呉郡呉県の人。朱異の父。朱拠と同族。孫権が将軍となったとき、その幕府の側仕えとしてと...
曹彰
中国の後漢末期から三国時代の魏の皇族、武将。字は子文。曹章とも表記される。曹操の四男(卞氏の子としては次男)。魏の初代皇帝・曹丕の同母弟。また、曹...
曹洪
曹洪(そうこう、?-232年)は中国後漢末期から三国時代の武将。字は子廉。曹操の従弟。衛将軍曹瑜の族子。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」に伝がある曹操の養祖...
張嶷
中国の後漢末期から三国時代にかけての軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。字は伯岐。巴郡南允国の人。張瑛・張護雄の父、張奕の祖父。
曹叡
三国時代の魏の第2代皇帝。
韓当
後漢末期から三国時代の武将。呉に仕えた。幽州遼西郡令支県の人。字は義公。子に韓綜。『三国志』呉志に伝がある。
徐庶
中国後漢末期から、三国時代の魏にかけての武将・政治家。字は元直(げんちょく)。元の名は福であり、単家(たんか(ぜんかと記載する書もある)、権勢のな...
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魯粛
中国後漢末の武将・政治家。字は子敬(しけい)。徐州の臨淮郡東城県(現在の安徽省定遠県南東部)の出身。魯淑の父、魯睦の祖父。袁術・孫策・孫権に仕え、...
黄武
呉の大帝孫権の治世に行われた元号。222年-229年。黄武8年は4月に改元されて黄龍元年となった。元年閏6月:夷陵の戦いで劉備を破る。元年10月:魏の年号を改...
徐盛
後漢末期から三国時代にかけての武将。呉に仕えた。字は文嚮。徐州瑯耶郡の人。子は徐楷。
司馬懿
中国後漢末期から三国時代魏にかけての武将・政治家。魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物。字は仲達(ちゅうたつ)。西晋が建てら...
関興
三国時代の官僚・軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。字は安国、関羽の子。兄弟に関平がいる。子は関統・関彝。正史では関羽伝にてわずかに触れられているのみである...
武安国
中国の通俗歴史小説『三国志演義』に登場する架空の武将。孔融配下の猛将、鉄槌の使い手として『演義』第5回に登場。虎牢関の戦いの折に孔融に従い参戦する。...
丁奉
中国の三国時代の武将。揚州廬江郡安豊の人。字は承淵。弟に丁封。『三国志』呉志に伝がある。
張苞
中国の後漢末期から三国時代の人物。蜀(蜀漢)の元勲・張飛の長男。弟に張紹、息子に張遵がいる。『三国志』においては、若くして死去したという記述しか残...
法正
中国後漢末の参謀・政治家。劉備に仕えて活躍した謀臣。字は孝直。扶風郡郿(陝西省眉県)出身。後漢の南郡の太守を務めた法雄は曽祖父(又は高祖父)。祖父...
呂蒙
中国、後漢末期の武将。孫策・孫権に仕えた。字は子明(しめい)。汝南郡富陂の人。『三国志』呉志に伝がある。
プロフィール
王双とは
略歴
物語中での王双
王双(おうそう、生年不詳-228年)は、魏の軍人、将軍。
略歴
222年(
黄武
元年)、曹丕の令により、大司馬
曹仁
に従って呉の濡須への攻撃に加わった。
曹仁
が濡須督である
朱桓
に大敗すると、生け捕りにされて武昌に送られた。
228年冬、陳倉城を包囲していた
諸葛亮
が兵糧が尽きて撤退した時に曹真伝では、これに先立ち郝昭と共に王生なる部将を陳倉に派遣して守備に当たらせている。
、曹真配下として王双は騎兵を率いてこれを追撃したが、
諸葛亮
の反撃に遭って戦死した。
正史『三国志』には以上の記述しかないため、
曹仁
の下で呉に侵攻し捕らわれた王双が釈放され、曹真配下で蜀と戦い戦死したのか、そもそも同姓同名の別の人物なのかは不明である。
物語中での王双
小説『三国志演義』では字は子全(『横山三国志』では子金)、隴西郡狄道県(現/甘粛省天水市)の人という設定になっている。
若くして曹真に従い、虎威将軍に任じられて
諸葛亮
率いる蜀漢軍と戦った。
流星鎚の使い手であり、蜀の謝雄らを討ち取り、
張嶷
に重傷を負わせるなどの活躍をしたが、
諸葛亮
の策を受けた
魏延
によって斬り殺されている。
王双 - Wikipedia
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