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つながりの強いひと
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高橋和巳
日本の小説家で中国文学者。夫人は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全... |
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雍正帝
清の第5代皇帝(在位1722年12月27日-1735年10月8日)。諱は胤禛(いんしん(禛の字は示眞))、廟号は世宗、謚号は憲皇帝。在世時の元号を取って雍正帝と呼ば... |
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袁枚
袁枚(えんばい、1716年-1797年)は清朝中国の詩人・散文作家。字は子才、号を簡斎、別の号として随園老人という。 |
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王維
中国唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。また、画家、書家、音楽家としての名も馳せた。字は摩詰、最晩年の官職が尚書右丞であったこ... |
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銭謙益
友達
銭謙益(せんけんえき、QiánQiānyì;1582年(万暦10年)-1664年(康熙3年))は中国の明末清初の文人。江蘇省常熟県の人。字は受之、号は牧齊、また漁樵子とも。 |
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乾隆帝
清の第6代皇帝(在位1735年10月8日-1796年2月9日)。諱は弘暦(こうれき)、廟号は高宗(こうそう)。在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。 |
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李太白
在庫僅少 李太白伝 岡野俊明 本体1,800円 46判上製
ISBN 4-87893-507-3 発行2002.09 世の常道を歩むことを拒んだ李白が生涯追い求めたものとは――。唐代... |
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吉川幸次郎
日本の中国文学者、芸術院会員、文化功労者。 |
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李白
中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
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蘇軾
蘇軾(そしょく、景祐3年12月19日(1036年1月8日)-建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東... |
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白居易
中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。 |
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杜牧
杜牧(とぼく、803年(貞元19年)-853年(大中6年))は中国、晩唐期の詩人。京兆府万年県(現陝西省西安市)の人。字(あざな)は牧之。号は樊川。晩唐の繊... |
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小川環樹
中国文学者。京都府京都市出身。主著に「風と雲」「唐詩概説」、「蘇軾」などがあり、初心者向けの啓蒙書や訳書も多数ある。 |
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沈徳潜
沈徳潜(しんとくせん、ShěnDéqián、1673年(康熙12年)-1769年(乾隆34年))は中国清朝中期の文人、学者。江蘇省長洲県の人。字は確士、号は帰愚、謚は文愨... |
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陸游
南宋の政治家・詩人。字は務観。号は放翁。通常は「陸放翁」の名で呼ばれる。越州山陰(現在の浙江省紹興市)出身。南宋の代表的詩人で、范成大・尤袤・楊万... |
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魯迅
中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人()で、字は豫才。ペンネームの魯は母親の姓だという。浙江省紹興市出身。弟に文学者・日本文化研究者の周作人... |
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岡本綺堂
小説家、劇作家。本名は岡本敬二(おかもとけいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。新歌舞伎の作者として、及び「半七捕物帳」などの作品が著名である。 |
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李清照
北宋末期・南宋初期の詩人。斉州章丘(現在の山東省済南市の県級市章丘市)の人。夫は政治家の趙明誠。中国史上を代表する女流詞人として知られている。 |
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プロフィール
- 王士禎とは
- 経歴
- 詩風
- 著名な作品
- 著作
- 参考文献
王士禎(おうしてい、WángShìzhēn、1634年(崇禎7年)-1711年(康熙50年))は中国清朝初期の詩人、文学者。山東省新城県の人。字は貽上、号は阮亭、また漁洋山人とも。謚は文簡。本来は「士禛(ししん)」の名であったが、死後、 雍正帝が即位するとその諱「胤禛」を避けて「士正」と改名される。のち、 乾隆帝の治世に「士禎」の名を賜った。号を以て「王漁洋」と称されることも多い。
経歴
| 1658年(順治15年)25歳にして進士に挙げられ、揚州司理から侍読に進み、刑部尚書(法務大臣)に至った。 |
| 文人としても頭角を現わし、24歳のとき山東省済南において土地の読書人らとともに「秋柳詩社」を結成、その折詠んだ「秋柳」詩は全国的に賛美者を生むに至り、以後、ほぼ同時代を生きた朱彝尊とともに南朱北王と併称された。 |
| 1704年(康熙43年)部下の疑獄事件に連座して官を辞め、のちに天子の恩赦によって再度官途についたが、ほどなく卒した。 |
詩風
| 士禎の詩は神韻を旨とし、後世清朝の詩壇に影響を及ぼした神韻説の首唱者と目される。 |
| 当初銭謙益と交流を深めたが、その影響のもとに新しい詩風を打ち立てたものである。 |
| この神韻説とは、平静・沖淡・清遠を理想とし、文字面には直接現れない情味を行間に醸し出すのを目的とする。 |
| 唐の司空図の『二十四詩品』、また宋の厳羽の『滄浪詩話』に見られる詩論の継承を目指し、詩禅一致の説に基づいて、自然と一体化した境地に生まれる余韻を貴び、婉曲でしかも垢抜けた表現のなかに奥深い滋味を求めようとする。 |
| 神韻それ自体は空虚で、捕捉し難く、譬えて言えば「水中に月を掬(すく)い、鏡中に花を探るが如き」ものとされる。 |
| ために士禛が愛好する詩人は、王維・孟浩然・高適ら、枯淡の境地を描き出す者たちである。 |
| 彼が神韻の二字を用いたのは、揚州在住の折、その子息のために歴代の五七言の絶句・律詩を選び、『神韻集』と名づけ家塾において学ばせたことに始まると言われる。 |
| 神韻説は、沈徳潜の主導した「格調説」、袁枚を領袖とする「性霊説」と並び、当時の詩壇に鼎立する詩説の一角を形成していたものであった。 |
著名な作品
| 士禛の詩は膨大な数に上るが、いま、そのうちとりわけ人口に膾炙した「秋柳」詩四首のうち、特に第一首を以下に示す。 |
著作
| 『唐賢三昧集』(3巻)は、上記の神韻説を規範として唐詩を選び編纂したものである。 |
| 自著についてみると、『帯経堂集』(92巻)は、士禎の全詩3000余首を包括するもので相当に大部なものであるため、世に通行するものとして1000余首を収める選集の『漁洋山人精華録』(12巻)が知られている。 |
参考文献
| 高橋和巳『中国詩人選集第二集(13)/王士禛』(岩波書店、1962年) ISBN9784001005332。 |
| 橋本循『漢詩大系(23)/王漁洋』(集英社、1962年)。 |
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