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プロフィール
王念孫(おうねんそん、1744年-1832年)は清代中国の学者。字は懐祖。石臞先生と称せられる。吏部尚書王安国の子であり、 王引之の父でもある。
略歴
| 高郵(江蘇省)の出身。 |
| 乾隆36年(1766年)の会試に向かう途中で読んだ江永『古韻標準』によって音韻訓詁に関心を抱く。 |
| 同40年(1775年)の進士であり、庶吉士となる。 |
| 永定河道の長官となり、名声が高かった。 |
| のちに官職を辞して郷里に帰り、汪中・劉台拱・程瑤田などと交友を結ぶ。 |
| ふたたび朝廷に召されて工部主事となり、治水工事に貢献した。 |
| 嘉慶15年(1810年)に引退して以後学問に専念し、89歳で没する。 |
学術
| 戴震を師とし、段玉裁・李惇・賈田祖・汪中・劉台拱・程瑤田を友とし、清朝学術の正統派といわれ、特に音韻訓詁を深く考究し、爾雅・説文に長じていた。 |
| 古韻を分けて21部とし、古書伝書の誤りを正した。 |
| 特に『管子』・『墨子』・『淮南子』などの諸本を初めて読める形で復元し、古代中国思想の研究に重要な役割を果たした。 |
著作
| 『広雅疏証』23巻。 |
| 『読書雑志』82巻。 |
| 『王石臞先生遺文』4巻(羅振玉・編修)。 |
参考
| 『清史稿』487。 |
| 『清史列伝』68。 |
| 『国朝先正事略』16。 |
| 『国朝漢学師承記』5。 |
| 劉盻遂『王石臞先生年譜』。 |
| 吉田純「王念孫」『歴史学事典5歴史家とその作品』(弘文堂、1997年)ISBN978-4-335-21035-8。 |
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1810年
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引退して以後学問に専念し、89歳で没する |
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