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王畿
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龍渓先生全集
1498年
1583年
儒教
儒学者
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王献之
中国、東晋の書家。字は子敬。王羲之の第7子。中書令となったことから世に王大令とも呼ばれる。
プロフィール
王畿とは
著書
伝記
王畿(おうき,1498年-1583年)は、中国・明代の儒学者である。山陰(浙江省紹興県)の出身である。字は汝中、号は龍渓。
王守仁
の門弟子である。
1532
年(嘉靖11年)、進士及第を果たし、しばらくは官途に就いた。その後、野に下り、以後、40年間にわたって江南地方で講学につとめ、致良知の陽明学を広めることに尽力した。また、師の
王守仁
の無善無悪の説を発展させた四無説と呼ばれる独自の説を展開し、人欲を容認する立場をとったため、李贄(
李卓吾
)に影響を及ぼすこととなった。
著書
『龍渓先生全集』。
伝記
『明史』巻283。
『明史藁』巻185。
『明儒学案』巻12。
王畿 - Wikipedia
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