| 1999年3月場所、日大同期の加藤(後の高見盛)、高濵(後の濵錦)とともに幕下60枚目格付出で初土俵。 |
| 初土俵以後負け越し知らずで、平成12年(2000年)5月場所に初土俵から8場所目で入幕するも、場所直前の怪我で全休。 |
| 9月場所に14勝1敗の成績で十両優勝を果たし、翌場所に再入幕。 |
| 再入幕の場所で、3日目から9連勝して優勝争いに加わり、1横綱(武蔵丸)3大関(出島・雅山・武双山)を破った。 |
| 惜しくも13勝2敗で優勝は逃したものの、三賞を総ナメにする。 |
| この場所西前頭9枚目の位置だったが、小結を飛び越して関脇に昇進した。 |
| 2001年5月場所6日目の武双山戦で5分13秒後に水入りとなったが、勝負再開後にそれでも決着がつかなかったため4分3秒後に二度目の水入り、二番後に取り直しとなった。 |
| これは1978年3月場所7日目の旭國-魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。 |
| 取り直しの一番では、武双山を寄り切り28秒後に勝利を決める。 |
| この一番の合計時間は、実に9分44秒の大熱戦だった。 |
| 9月場所は13勝2敗をあげ、幕内在位7場所目という史上3位のスピードで初の幕内優勝を果たした(優勝パレードはアメリカ同時多発テロの影響で自粛)。 |
| この場所を含め、以後連続3場所の通算成績は34勝11敗(9月場所は13勝、11月場所は9勝、翌1月場所は12勝)を挙げ、大関昇進なるかが注目された。 |
| しかし当時大関が4人いたことや、3場所前が平幕であったこと、および2場所前が9勝であったこと(平成以降に大関昇進した力士は、曙を除いて全て2場所前は10勝以上)、また14日目に当時平幕の武雄山に敗れたことなどの原因により、相撲内容を問われて不運にも昇進は見送られた。 |
| 大関挑戦は翌3月場所に持ち越されたものの、13日目の取組中に下顎を骨折するなど勝ち越しながら8勝に留まり、翌5月場所は公傷適用とならない全休だったため翌7月場所は平幕へ陥落、大関獲りは完全に振り出しに戻った。 |
| 最初の大関獲りの失敗後は、怪我もあり低迷が続いた。 |
| また、2003年5月20日には痛めた右肘を手術。 |
| 時折優勝争いにからむ活躍を見せるが、上位では安定した成績を続けられず負け越しも多かった。 |
| 2004年1月場所は前頭4枚目で13勝をあげ、大関への足がかりになるかが注目されたが、翌3月場所は2日目から6連敗するなど不調に終わり、7勝8敗と負け越した。 |
| この間、2004年5月場所から2005年1月場所まで5場所連続で小結に在位した。 |
| 5場所連続小結在位は麒麟児(後の大関大麒麟)、土佐ノ海と並び歴代1位タイ。 |
| 2005年5月場所は小結で13勝をあげ、翌7月場所では3年半ぶりとなる3度目の大関挑戦を地元で迎えるとあって異常な熱気につつまれたが、再び7勝8敗と負け越した。 |
| 翌9月場所は、東小結で9勝6敗と勝ち越して再び関脇に復帰する。 |
| しかしそれ以降の8場所中7場所までが8勝7敗という勝ち越しギリギリの成績で、関脇の地位を守り通すという状態が続く。 |
| 前半は好調ながら、後半急に失速するパターンが何場所も連続して続いた。 |
| 2006年は初めて二桁勝ち星がなかったが、初の全6場所勝ち越しとなり、安定感は増しつつあった。 |
| 2006年5月場所から2007年1月場所まで5場所連続で雅山とともに関脇を務めた。 |
| 5場所連続同じ力士が関脇を務めたのは131年振り。 |
| また2007年7月場所には、関脇在位が22場所となり、魁皇などの21場所を抜いて歴代1位である。 |
| 2007年3月場所では10勝5敗と約2年ぶりの2桁の勝ち星をあげた。 |
| そして翌5月場所も関脇の地位で12勝3敗と活躍し、自身初の連続2桁勝利を達成。 |
| そして翌7月場所、地元愛知で4度目の大関挑戦を迎える。 |
| かつては佐渡ヶ嶽部屋の先輩力士である長谷川と琴錦同様に、「最強の関脇」で終わってしまうのかと懸念されていたが、師匠の交代や琴欧洲の大関昇進、琴奨菊の成長といった身辺の出来事に刺激される中、一時期の低迷を脱して成績も安定感を増して来ていた。 |
| ここ3年余にわたって、三役の地位をほぼ守り通す中、関脇では初めての連続2桁勝利を達成し、満を持しての大関挑戦となった。 |
| その7月場所は初日から順調に勝ち星を積み重ね、10日目には新横綱の白鵬の連勝記録を25でストップさせる勝ち星をあげ、初日からの連勝記録は自己最多の10となった。 |
| そして14日目にこの場所での13勝目と、関脇の地位で3場所通算35勝をあげ、悲願の大関昇進を決定的なものとした。 |
| しかし千秋楽、1敗の状態で勝てば優勝の可能性があるという稀勢の里戦に敗れ優勝ならず、花道で涙をぬぐった。 |
| 場所後、理事会の承認を経てついに悲願の大関昇進を果たす。 |
| 二代目増位山の31歳2ヶ月を1ヶ月上回る歴代最年長(年6場所制になってから)の新大関、また新入幕から所要44場所での昇進という史上2位のスロー昇進、日本人としては2001年11月場所後の栃東以来、約5年半ぶりの新大関となった。 |
| 7月25日に行われた大関の昇進伝達式の口上は、親方が原文を考え、それを自身がアレンジすればいいものだと勘違いしていた。 |
| 慌てて佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)に相談すると「バカヤロー!」と一喝された。 |
| 口上は「謹んでお受けいたします。 |
| いかなるときも力戦奮闘し相撲道に精進いたします」であった。 |
| 大関昇進伝達式後の記者会見で目標の大関について訊かれた際には、初土俵から大関昇進まで91場所かかった霧島(現・陸奥親方)の名前を挙げ、豪快な吊り出しや同じ大関としての魅力や憧れを語った。 |
| この昇進伝達式には相撲協会の計らいで、先代佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)が車椅子に着座して同席したが、その弟子の晴れ姿を見たわずか三週間後の8月14日、先代は66歳でこの世を去った。 |