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平泉澄
日本の歴史学者。福井県大野郡平泉寺村平泉寺(現在の福井県勝山市)出身。東京帝国大学元教授。平泉寺白山神社第3代宮司、名誉宮司。皇學館大学学事顧問。文... |
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関 裕二 (せき ゆうじ) プロフィール 歴史作家。1959年、千葉県柏市生まれ。奈良をこよなく愛し、関西に通いつめ、古代史にのめり込む。天孫降臨は敗れた出雲... |
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名前 畠山 吉宏 生年月日 1962年 9月 2日 出生地 静岡県 出身地 静岡県 免許取得年 1999年 所属場 美浦 初出走 2000年3月4日2回中山3日目1R... |
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伊藤高史
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宅間孝行
東京都出身の俳優、脚本家。血液型はB型。劇団『東京セレソンデラックス』主宰。株式会社TakeOFF所属。 |
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直木孝次郎
相方
直木孝次郎(なおきこうじろう、1919年1月30日-)は日本の歴史学者である。大阪市立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)。専門は日本古代史。兵庫県... |
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谷省吾
神道学者。現在、皇學館大学名誉教授。神道学および垂加神道・鈴木重胤の研究に従事。 |
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プロフィール
- 田中卓とは
- 東大在学時代
- 歴史研究
- 政治問題・教育問題
- 近年の活動
- 学歴・職歴
- その他の活動
- 単著
- 講演録
- 編著
- 共著
- 共編著
- 参考文献
- 関連サイト
田中卓(たなかたかし、1923年(大正12年)12月12日-)は日本の歴史学者。皇學館大学名誉教授。皇學館大学元学長。有限会社青々企画代表。専門は日本古代史。文学博士(旧制・國學院大學)。大阪府出身。
東大在学時代
| 東京帝国大学入学間もない1942年(昭和17年)、当時文学部国史学科の主任教授であった平泉澄が主宰する青々塾に入塾。 |
| また平泉が指導する学生団体、東大朱光会に入会し、1943年(昭和18年)、同会の幹事となった。 |
| 1944年(昭和19年)9月に、学徒出陣し、海軍予備学生として、土浦海軍航空隊に入隊した。 |
| 翌1945年(昭和20年)2月に、兵庫県神戸市垂水の海軍経理学校に配属され、日本史等を講義した。 |
| 6月、海軍少尉(正八位)に任ぜられ、8月、終戦を迎えた。 |
| 東大3年間にて単位は所得していたものの、卒業論文を提出していなかった。 |
| が、9月、東京帝国大学文学部国史学科を卒業した(卒業証書は郵便にて送付された)。 |
歴史研究
| 戦後、平泉澄が構築した「平泉史学」(一般には皇国史観と呼ばれるが、田中は「皇国護持史観」と呼ぶ)の正統の継承者として、日本古代史(古代・上古史)を中心に研究。 |
| その著述は多数に亙る。 |
| ただ、1949年(昭和24年)8月に発表された処女論文「新撰姓氏録撰述の次第」は、歴史論文でありながら京都大学発行の『国語国文』という国文学系の雑誌に掲載された。 |
| これは、国文学の大家である京都大学教授澤瀉久孝が、田中の学問を評価したために掲載されたのである。 |
| また、唯物史観全盛期であったため、論文を発表する専門誌が得られず、新しい学術雑誌(『藝林』『神道史研究』『日本上古史研究』など)の創刊に関与したり、神社関係の叢書等で論文を発表した。 |
| それ故、優れた論考が多数あるにもかかわらず、その殆どが歴史学界においては無名の雑誌に掲載されていたため、それを入手・閲覧するには困難な状況であった。 |
| その状況に応えるべく、田中の還暦を期として彼の著作集が刊行された(編集委員は飯田瑞穂・加藤隆久・所功・渡邊寛・清水潔)。 |
| 通常著作集は、研究者の歿後(例えば、坂本太郎・井上光貞など)に刊行されるが、歴史学界では異例ともいえる生前の著作集刊行はこのような事情による。 |
| なお、田中は、大阪社会事業短期大学在職中の1954年(昭和29年)1月に、井上薫・岸俊男・直木孝次郎と共に続日本紀研究会を結成したものの、直木孝次郎との論争の末に同会を脱会したと言われているが、それは誤解で、現在も同会の会員である。 |
政治問題・教育問題
| 田中は、専門の古代史研究のほかに、政治問題や教育問題等を扱った啓蒙的な著述も数多くある。 |
| 一水会の顧問である鈴木邦男は、学生時代に右派学生運動をする際、理論武装のために田中の著作を読んだと自らの著作に記している(鈴木邦男『愛国者は信用できるか』講談社現代新書、2006)。 |
| また、『右翼事典』(堀幸雄編三嶺書店、1991)によると、戦後の体制をヤルタ会談・ポツダム宣言に基づく占領支配体制と位置づけ、「YP体制」と名付けたのは田中であるとしている。 |
| 建国記念の日制定問題。 |
| 「建国記念の日」制定について、戦前の「紀元節」であった2月11日を?賛成する立場から、田中は、1958年(昭和33年)4月に、住吉大社宮司高松忠清の協力を得て、平泉澄ら25名の執筆による『神武天皇紀元論』を刊行。 |
| 当時、「2月11日」について反対の意を表明していた三笠宮崇仁親王に進呈した。 |
| 当時、「2月11日」については賛否両論に分かれ、東京大学の歴史学関係者が「建国記念日二月十一日反対の要望書」を建国記念日審議会に提出するほどであった。 |
| 田中は、1966年11月、建国記念日審議会の場で、竹内理三と、東京大学史学会総会で史学会理事の井上光貞と、「2月11日」についての議論をした。 |
| 教育問題では、日本教師会を結成し自ら会長となり、日本教職員組合中心の教育界に一石を投じた。 |
| また、1967年(昭和42年)11月、『最新日本史』出版をしているが、これは、昭和41年度高等学校日本史教科書検定において不合格となった教科書である。 |
| なお、教科書の検定問題について、前年の1966年4月、当時教科書検定訴訟を起こしていた東京教育大学教授家永三郎と、日本テレビの番組「未来への行進」にて討論をした。 |
| 家永のように、教科書検定の合否を裁判所に持ち込み、裁判官の判決によって学問の可否が決するのは学問の冒涜であり、学者として失格であると批判している。 |
| また、高等学校教科書検定について、著者の学問的良心に基づく歴史観と、教科書は採用する側である教師と、読者たる高校生による真摯な検討の自由こそ尊重すべきで、特定の政策目標のための枠を当てはめてはならないとして、反対の立場をとっている。 |
近年の活動
| 最近は、執筆を中心に活動している。 |
| 2004年(平成16年)から2006年(平成18年)にかけて、オピニオン雑誌「諸君!」誌上で「祖国再建-正統史学を貫く一学徒六十年の闘い」と題して、自らの研究を一般の読者向けに回顧・解説する連載をした。 |
| また、皇室典範改正問題では、女性天皇・女系天皇容認の立場を取り、自論を『諸君!』等で展開した。 |
| この連載は、田中の83歳の誕生日である2006年12月12日に、彼の評論集の3巻・4巻として出版された。 |
| また、田中の女系天皇容認論に対して新田均(皇學館大学教授)が『諸君!』誌上にて反対論文を掲載し、これに対して田中が更に反論を加える事態に発展している。 |
| 皇學館大学内でさえ女系天皇問題で意見対立が存在することを示した。 |
学歴・職歴
| 1936年(昭和11年)3月、大阪市立中之島尋常小学校卒業。 |
| 1942年(昭和17年)9月、浪速高等学校高等科文科乙類卒業。 |
| 10月、東京帝国大学文学部国史学科入学。 |
| 1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。 |
| 1947年(昭和22年)2月、大阪府立図書館助手。 |
| 1948年(昭和23年)4月、大阪府立阿部野高等学校教諭。 |
| 1950年(昭和25年)10月、大阪社会事業短期大学(現在の大阪府立大学社会福祉学部)講師。 |
| 1951年(昭和26年)5月、大阪社会事業短期大学寮監を兼任(1960年3月迄)。 |
| 11月、大阪社会事業短期大学助教授。 |
| 1952年(昭和29年)3月、大阪社会事業短期大学教授(1962年3月迄)。 |
| 1960年(昭和35年)4月、主論文「伊勢神宮の創祀と発展」と副論文「住吉大社神代記の研究」、「出雲国風土記の研究」により、國學院大學より文学博士の学位を取得(主査は國學院大學教授岩橋小彌太、副査は同大教授河野省三)。 |
| 1961年(昭和36年)9月、皇學館大學設立準備委員。 |
| 1962年(昭和37年)4月、皇學館大學開学。 |
| 同大學教授に就任。 |
| 皇學館大學附属図書館長併任(1963年3月迄)。 |
| 1967年(昭和42年)12月、皇學館大學出版部長併任(1974年1月迄)。 |
| 1968年(昭和43年)12月、岸信介皇學館大學総長付を委嘱(1980年3月迄)。 |
| 1969年(昭和44年)7月、財団法人皇學館後援会常務理事就任(1986年10月、同会の解散迄)。 |
| 1972年(昭和47年)3月、皇學館大學理事に就任(1988年3月迄)。 |
| 1973年(昭和48年)12月、皇學館大學文学部長併任(4期、1980年3月迄)。 |
| 1975年(昭和50年)4月、皇學館大學史料編纂室室長併任(1978年3月迄)。 |
| 1978年(昭和53年)4月、皇學館大學史料編纂所所長併任(1979年5月迄)。 |
| 1980年(昭和55年)4月、皇學館大學学長就任(1988年3月迄)。 |
| 1992年(平成4年)3月、皇學館大學教授退職。 |
| 4月、皇學館大學大学院教授に就任。 |
| 1994年(平成6年)3月、皇學館大學大学院教授停年退職。 |
| 6月、皇學館大學名誉教授の称号を授与。 |
| 2003年(平成15年)4月、皇學館大学学事顧問就任(2007年2月迄)。 |
その他の活動
| 1950年(昭和25年)4月、藝林會発足。 |
| 1954年(昭和29年)1月、井上薫・岸俊男・直木孝次郎と共に続日本紀研究会を結成。 |
| 1954年(昭和29年)11月、吉永登・秋本吉郎・小島憲之と共に風土記研究会を結成。 |
| 1957年(昭和32年)1月、日本上古史研究会を発足し、月刊誌『日本上古史研究』を主宰(1963年12月迄)。 |
| 1959年(昭和34年)1月、住吉大社崇敬青年会会長(1960年6月迄)。 |
| 1963年(昭和38年)2月、日本教師会結成。 |
| 1964年(昭和39年)10月、伊勢青々塾を設立し、学生を指導(1994年10月迄)。 |
| 1974年(昭和49年)7月、式内社研究会結成。 |
| 1979年(昭和54年)5月瀧川政次郎の後を受け、式内社研究会会長に就任。 |
| 1984年(昭和59年)3月、財団法人神道大系編纂会理事に就任。 |
| 9月、赤坂御苑で行われた秋の園遊会に招待。 |
| 1996年(平成8年)8月、有限会社青々企画を設立。 |
| 1998年(平成10年)11月、勲三等瑞宝章受章。 |
単著
| 『住吉大社神代記』住吉大社神代記刊行会1951年10月。 |
| 『神宮の創祀と発展』(神宮教養叢書第5集)神宮司庁教導部1959年3月。 |
| 『日本古典の研究』皇學館大學出版部1973年5月。 |
| 『海に書かれた邪馬台国 ついに明かされた女王国の秘密』青春出版社1975年10月。 |
| 『古代天皇の秘密 鉄刀が証かす日本国家のルーツ』太陽企画出版1979年2月。 |
| 『皇国史観の対決』皇學館大學出版部1984年2月。 |
| 『伊勢神宮と式年遷宮』皇學館大學出版部1987年12月。 |
講演録
| 『歴史家として観た戦後五十年―YP(ヤルタ会議ポツダム会議)体制の克服と国連体制の崩壊』1996年3月。 |
| 『女帝・女系反対論に対する批判と私見、原則―「有識者会議」報告に賛同し、政府案に要望す』2006年1月 。 |
編著
| 『維新の歌 幕末尊王志士の絶唱』日本教文社1974年5月。 |
| 『平泉澄博士全著作紹介』勉誠出版2004年2月。 |
共著
| 『大正昭和福井県史・下巻』福井県1957年3月。 |
| 『枚方市史・第3巻史料編(2)』大阪府枚方市役所1966年3月。 |
| 『伊勢神宮と日本文化』(神宮教養叢書別冊6) 神宮文庫 1990年4月。 |
共編著
| 『出雲国風土記の研究』(平泉澄監修)出雲大社1953年7月。 |
| 『続日本紀語句索引稿』(日本上古史研究会増刊第3集、福原紀子・寺田富美子と共編)日本上古史研究会1958年7月。 |
| 『平成時代の幕明け 即位礼と大嘗祭を中心に』(文化講演叢書)新人物往来社 1990年11月。 |
参考文献
| 渡辺寛「田中先生の御退任にあたって」『皇學館史學』7・8(合併号)1993年3月。 |
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1951年
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『住吉大社神代記』 住吉大社神代記刊行会 |
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1953年
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『出雲国風土記の研究』(平泉澄監修)出雲大社 |
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