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つながりの強いひと
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米内光政
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを歴任した。渾名は「金魚大臣... |
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阿南惟幾
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。陸軍大将や(第二次世界大戦終戦時の)陸軍大臣に上り詰めた逸材だが、異才の多い帝国陸軍にあってはごく平均的な軍務... |
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三木清
(西田左派を含めた上での)京都学派を代表する哲学者。兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)出身。弟に中国文学者の三木克己がいる。 |
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牛島満
日本の陸軍軍人。鹿児島県鹿児島市出身。沖縄戦において、第32軍を指揮し、自決した。温厚な性格で知られ、教育畑を歴任したが、指揮官としても、[歩兵第36旅... |
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今村均
同期
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、戦後は総じて評価が低い傾向にある昭... |
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吉本貞一
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 |
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山下奉文
日本の陸軍軍人。第二次世界大戦当時の陸軍大将である。官位は陸軍大将従三位勲一等功三級。 |
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山本五十六
新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死す... |
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田中義一
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、... |
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河辺正三
昭和初期の富山県出身の陸軍軍人(陸軍大将)。ビルマ方面軍司令官、航空総軍司令官、第1総軍司令官を歴任した。インパール作戦を指揮した第15軍司令官牟田口... |
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木村兵太郎
昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。 |
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杉山元
大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校12期。陸軍大学校22期。陸軍大臣、参謀総長、教育総監... |
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本間雅晴
同期
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)においてフィリピン攻略戦を指揮し、戦後はバターン死の行進の責任を問われて処刑された。 |
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下村定
日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。 |
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東久邇宮稔彦王
日本の旧皇族、陸軍軍人。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)を名乗った。貴族院議... |
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喜多誠一
昭和期の日本陸軍の軍人。階級は陸軍大将正三位勲一等功四級に至る。 |
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岡部直三郎
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。北支那方面軍総司令官、第3方面軍司令官、第6方面軍司令官。 |
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板垣征四郎
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を... |
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土肥原賢二
土肥原賢二(どいはらけんじ、明治16年(1883年)8月8日-昭和23年(1948年)12月23日)は大日本帝国陸軍大将。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離... |
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塚田攻
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 |
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プロフィール
田中静壱(たなかしずいち、1887年(明治20年)10月1日-1945年(昭和20年)8月24日)は日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位勲一等功三級。
経歴
| 田中菊太郎の次男のちに長男が養子縁組したため家を継いだ。 |
| 塚本清『あゝ皇軍最後の日-陸軍大将田中靜壹傳』p.122。 |
| として兵庫県揖保郡揖西村(現たつの市)に生まれた。 |
| 実家は赤松満祐の一族を祖先とする大庄屋。 |
| 龍野中学校を卒業後、陸軍士官学校に進学する。 |
| 士官学校は今村均や本間雅晴と同期の第19期。 |
| 1916年(大正5年)、陸軍大学校(第28期)を優等で卒業し、英国オックスフォード大学留学の恩典を与えられた。 |
| その後はメキシコ駐在武官、参謀本部欧米課班長を経て、1932年(昭和7年)からは2年間にわたって駐米陸軍武官としてワシントンD.C.に駐在するなど、知米派軍人としての道を歩む。 |
| かの地では当時米陸軍参謀総長に就任したばかりのマッカーサーとも親交があった塚本、前掲書p.142。 |
| 指揮官としては渡米直前に水戸の歩兵第2連隊を率いて上海事変で初の戦闘に参加した。 |
| 将官昇進後は満州警備の歩兵第五旅団長の後、関東憲兵隊司令官、二度にわたる憲兵司令官など、憲兵関係の職をのべ4年ほど務めている。 |
| 再び戦場に出たのは日中戦争勃発後の1939年(昭和14年)8月で、第13師団長として約1年にわたって中国戦線を転戦し、特に宜昌作戦で市中一番乗りの功を立てた。 |
| そして日米開戦後の1942年(昭和17年)8月、更迭された本間雅晴の後任としてフィリピン平定中の第14軍司令官に親補された。 |
| 終戦当時は東日本の本土防衛を担う東部軍管区司令官。 |
| 米軍上陸に備えて迎撃の計画も練り上げていたが、皮肉にも叛乱鎮圧が田中の最後の任務となった。 |
| 宮城事件(玉音放送も参照のこと)が起きると自ら皇居に乗り込んで幹部将校を説得し、混乱を収束させた。 |
| 昭和天皇はその働きに対して同日の8月15日夕刻拝謁を賜ったが、それから9日後の8月24日、最後の反乱となった川口放送所占拠事件を鎮圧した夜、司令官自室で拳銃を用いて自殺した。 |
| 辞世の句は「聖恩の忝けなきに吾は行くなり」塚本、前掲書p.104。 |
年譜
| 年譜については |
| 1887年(明治20年)10月1日-兵庫県揖保郡揖西村にて生まれる。 |
| 1905年(明治38年)3月28日-兵庫県立龍野中学校卒業。 |
| 1907年(明治40年)5月31日-陸軍士官学校卒業(第19期)。 |
| 12月26日-歩兵少尉。 |
| 歩兵第10連隊附。 |
| 1910年(明治43年)11月30日-歩兵中尉。 |
| 1913年(大正2年)12月13日-陸軍大学校入学。 |
| 1916年(大正5年)11月25日-陸軍大学校卒業(第28期恩賜)。 |
| 1917年(大正6年)8月6日-歩兵大尉。 |
| 1919年(大正8年)3月8日-イギリス駐在を命ぜられる。 |
| 7月19日-留学先のロンドンで馬上の旗手として第一次世界大戦の戦勝記念行進に参加塚本、前掲書p.211。 |
| 但し、この記事では田中についての言及はない。 |
| 1922年(大正11年)8月15日-歩兵少佐。 |
| 1926年(大正15年)5月1日-メキシコ公使館附陸軍武官。 |
| 1927年(昭和2年)3月15日-歩兵中佐。 |
| 1928年(昭和3年)3月22日-参謀本部欧米課米班長。 |
| 1930年(昭和5年)8月1日-歩兵大佐。 |
| 歩兵第2連隊長。 |
| 8月13日-暹羅国コンマンドール・クーロンヌ勲章 |
| 1932年(昭和7年)5月28日-米国大使館附陸軍武官。 |
| 1934年(昭和9年)5月7日-参謀本部附。 |
| 8月1日-第4師団参謀長。 |
| (師団長:東久邇宮稔彦王中将)。 |
| 1935年(昭和10年)8月1日-陸軍少将。 |
| 歩兵第5旅団長。 |
| 1936年(昭和11年)8月1日-憲兵司令部総務部長。 |
| 1937年(昭和12年)8月2日-関東憲兵隊司令官。 |
| 1938年(昭和13年)7月15日-陸軍中将。 |
| 8月2日-憲兵司令官。 |
| 1939年(昭和14年)8月1日-第13師団長。 |
| 1940年(昭和15年)3月13日-勲一等瑞宝章 |
| 4月29日-勲一等旭日大綬章 |
| 9月28日-憲兵司令官(再任)。 |
| 1941年(昭和16年)10月15日-東部軍司令官。 |
| 12月24日-参謀本部附。 |
| 1942年(昭和17年)8月1日-第14軍司令官。 |
| 1943年(昭和18年)3月12日-マラリアに似た高熱を発する |
| このとき生長の家を勧められる。 |
| 5月19日-参謀本部附。 |
| 8月6日-東京第一陸軍病院に送還。 |
| 9月7日-陸軍大将。 |
| 1944年(昭和19年)8月3日-軍事参議官兼陸軍大学校長。 |
| 1945年(昭和20年)3月9日-第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官。 |
| 8月24日-司令官自室にて拳銃自殺。 |
参考文献
| 塚本清『あゝ皇軍最後の日-陸軍大将田中靜壹傳』(昭和32年・非売品)。 |
| 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。 |
| 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 |
| 外山操編『陸海軍将官人事総覧陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 |
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