| 2002年3月に新日本プロレスのスカウト部長になる前の木村健悟にスカウトされて新日本プロレスに入団し、同年11月22日後楽園ホール興行での対矢野通戦でプロレスデビュー。 |
| その後前座戦線で活躍しかなり早い段階で頭角を現した。 |
| またドロップキックの空中姿勢、華麗さがありドロップキック・マスターというニックネームがついた。 |
| ジュニアヘビー級戦線で活動し、2003年にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場。 |
| 2004年にはヤングライオン杯、ヤングライオン闘魂トーナメントで優勝を飾り、新日本のヤングライオン(若手レスラー)の中ではトッププレイヤーになった。 |
| 2005年には2月から10月までメキシコのCMLLへ海外遠征に出発。 |
| 同団体で元全日本プロレスの奥村茂雄とツナミ・デル・オリエンテを結成。 |
| 2005年10月に帰国し、緑のオーバーマスクをかぶり新日本に凱旋帰国。 |
| 2006年2月19日両国でエル・サムライとタッグを組み稔&後藤洋央紀組を破り、第16代IWGPジュニアタッグ王座を獲得。 |
| 長期メキシコ遠征帰国後から、勝利後リング上でテーマソングに乗ってファンキーな踊り(通称:タグダンス)を見せるようになった。 |
| 日本初公開のタグダンスは、2006年1月28日後楽園ホールにて、ファンキー仕様の髪型を初披露した田口が4代目タイガーマスクと組み、後藤洋央紀、稔組と戦った試合で田口が後藤を必殺のどどんで破った後に多少中途半端ながら披露された(その直後に小バカにした態度で稔に真似されていた)。 |
| 2007年3月にはサムライジムに入門。 |
| エル・サムライにテクニックを伝授し4月には稔の持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。 |
| 6月のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにはBブロック1位通過を果たしベスト4に進出。 |
| 7月6日の後楽園ホールにて、稔にリベンジを果たし第52代IWGPジュニアヘビー級王者に輝き、同時に稔に奪われたサムライジムの看板を取り戻した。 |
| その後12月9日の井上亘に敗れるまで4度の防衛を果たした。 |
| 2009年、プリンス・デヴィットとのタッグチーム“Apollo55”を結成し7月5日、アレックス・シェリー・クリス・セイビンのモーターシティマシンガンズに勝利し、第24代IWGPジュニアタッグ王座を獲得。 |
| 21日には、ミラノコレクションA.T.・タイチとのタッグチーム“ユニオーネ”相手に初防衛。 |
| 9月にはモーターシティマシンガンズと再戦を行い勝利し2度目の防衛に成功した。 |
| 11月に行われたG1TAGLEAGUEではApollo55でエントリー。 |
| スピード溢れる連携を駆使して数々のヘビー級タッグチームと互角に張り合い、Bブロック2位で通過。 |
| 準決勝では中邑真輔、矢野通組を撃破し決勝進出。 |
| 決勝でジャイアント・バーナード、カール・アンダーソンと対決するも、あえなく敗戦。 |
| しかし、ジュニアながらも準優勝という大健闘を見せ付けた。 |
| 12月4日に金本浩二、吉橋伸雄組とタイトルマッチ。 |
| これに3度目の防衛に成功。 |
| 2010年1月4日にはCMLLの刺客として送られたアベルノ、ウルティモ・ゲレーロ組と対戦。 |
| 両者派手な技、アピールとスピード駆使して最後はブラックホールバケーションで勝利。 |
| 4度目の防衛に成功。 |
| 2月14日に5度目の防衛戦として邪道、外道が挑戦する予定だったが、邪道が前日の試合で頸椎を負傷するアクシデントのため、外道は急遽ディック東郷を連れて挑戦(当日、入場テーマ曲が鳴るまで誰が登場するのか分からなかった)。 |
| 最後はブラックホールバケーションで外道を黙らせ5度目の防衛に成功。 |
| 試合後、Apollo55のセコンドについていたミラノがリングに上がり外道にトラース・キックを発射させ、共に喜びを分かち合った。 |
| 10月11日、新日本両国大会では飯伏幸太&ケニー・オメガの「ゴールデン☆ラヴァーズ」と戦いIWGPジュニアタッグ防衛に失敗するも、プロレス大賞「ベストバウト賞」に選ばれた(プロレス大賞ベストバウトにジュニアヘビー級タッグ戦が選ばれたのは史上初であった)。 |
| 2011年1月22日には後楽園ホールで行われた、CMLLと新日本プロレスの共催興業でマスカラ・ドラダの持つCMLL世界ウェルター級王座に挑戦し、二対一で勝利し王座に輝いき、翌日の23日の後楽園にてプリンス・デヴィットと共にゴールデン☆ラヴァーズのIWGPジュニアタッグベルトに挑戦し、ベルト奪還に成功する。 |
| 3月11日に東日本大震災が発生し、自身の生まれ故郷である宮城県岩沼市が被災、津波による二次災害に見舞われる。 |
| 4月3日、被災した故郷の悲しみを背負いながらCMLL世界ウェルター級王座を掛けて円華と対戦し、どどんで初防衛に成功。 |
| バックステージのインタビューで「プロレスで元気づける。 |
| それが今自分のできる精一杯の事」とコメントした。 |
| 6月18日、マスカラ・ドラダとCMLL世界ウェルター級ベルトを賭けて対戦し、ドラダにフォール負けし、防衛記録2回でCMLLに奪還を許してしまう。 |