■
9歳で父・阪東妻三郎を亡くす。
■
1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際にスカウトされ、同映画の端役としてデビューした。
■
その後、1961年に映画『永遠の人』で本格デビュー。
■
松竹専属として多数の映画とテレビドラマに出演、1967年にフリーとなるが相変わらず冴えない脇役ばかりであった。
■
当時は今と違い地味で暗い風貌で、また声があまり通らない事やその他の理由から、1960年代は成功には程遠かったものの、線の細いナイーブな二枚目青年として、多様化の時代とも言える1970年代に見事に呼応、1970年に出演したテレビドラマ『冬の旅』等を嚆矢として次第にテレビドラマでの活躍が目立つようになる。
■
1970年代中頃まではテレビ時代劇『眠狂四郎』に代表されるようなニヒルでクールな、そして「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれるような憂愁を帯びた役柄に限られていたが、1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帖』あたりから、軽やかで明るい役柄にも徐々に芸域を広げていった。
■
後年、その頃を顧みて、ある新聞の取材に対して「(若様侍を演ることに関して)それまでのクールなイメージとの段差があり、かなり熟慮した」と語っている。
■
そして40歳を過ぎた1984年、それまでの路線を完全に覆すようなコメディドラマの主役に抜擢された。
■
TBS系列の『うちの子にかぎって…』である。
■
ちょっと頼りなく優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。
■
続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』など数々のコメディドラマに主演した。
■
以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。
■
恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界随一の主演スターとしての地位を築き、本人もある時期から自身を「テレビ俳優」と位置づけるようになった(他に桃井かおりも自身をそう位置づけている)。
■
後年のインタビューでは待ち時間が多い映画の現場よりも、スピーディーに撮影が進むテレビドラマの現場の方が気持ちが乗ると語っている。
■
刑事ドラマ『古畑任三郎』役では和製刑事コロンボとも言える新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった。
■
舞台では専ら時代劇でニヒルなヒーローを主演し活躍している。
■
殺陣は妖艶な美しささえ感じさせる独特の境地を見せ、多くの時代劇ファン・自身のファンを興奮させる。
■
若くして映画に主演した当時には、その責任の大きさを理解できず、自身の役者としての力について考えることはあまりなかったという。
■
テレビの世界に入り、有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて初めて自分の力のなさに気づいたといい、それ以来の努力は相当なものであったと想像される。
■
テレビドラマに多く出演しているせいか、映画ファンからは多少、過小評価される感もあるが、日本の二世俳優としては屈指の努力家であり、また、父の名声にすがることなく実力で這い上がってきた真の名優と言える。
■
それは眠狂四郎を見た原作者の柴田錬三郎が、市川雷蔵亡きあと、「最高の狂四郎役者」と絶賛したという事実が何よりも物語っている。
■
いずれにしてもテレビドラマを主な活躍の舞台としている俳優としては別格の評価を得ている名優である。