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頼山陽
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頼山陽(らいさんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)-天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は... |
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谷文晁
江戸時代後期の日本の画家。江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。名は正安。はじめ号は... |
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田能村直入
明治時代に活躍した画家である。田能村竹田の養継子。日本最後期の文人画家として知られる。幼名は松太のち伝太、諱は蓼のちに痴、字を虚紅のちに顧絶、号は... |
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江戸時代の文人画家。名は孝弼(たかすけ)。字は君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門。35歳の時、「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」... |
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青木木米
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円山応挙
江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。諸説あるが「足のない幽霊... |
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江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
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葛飾北斎
日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』... |
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明治・大正期の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。 |
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江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。初号は豊章といい、歌... |
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近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
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尾形光琳
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明治の大日本帝国海軍軍人。日露戦争でのエピソード(後述)で知られており、特に戦前は「軍神」として神格化された。兄の勝比古も海軍軍人である。 |
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江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。 |
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狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。 |
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プロフィール
- 田能村竹田とは
- 略歴
- 重要文化財指定作品
- その他
- 著作
- 参考資料
田能村竹田(たのむらちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日)-天保6年8月29日(1835年10月20日))は、江戸時代後期の南画(文人画)家。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。幼名は磯吉、後に玄乗、生蔵。名は孝憲。字は君彜(くんい)。通称は竹蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号(居室の名)に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。
略歴
| 豊後国直入郡竹田村(今の竹田市)の岡藩儒医田能村碩庵の次男として生まれる。 |
| 禄高12人扶持であったがこれは武士の中ではかなり低く、更に藩の財政難で実際はこの6割程度しか俸禄を得られなかった。 |
| この為竹田は生涯にわたり生活資金の工面に苦労させられることになる。 |
| 6歳で素読を始め、11歳で藩校由学館で入学。 |
| 成績は極めて優秀だった。 |
| その詩才を見抜いた師の唐橋君山は詩文結社竹田社・米船社の同人に迎えた。 |
| 翌年、宿痾となった耳病と眼疾を発病する。 |
| 寛政6年(1794年)、18歳のときに母と兄を亡くし、翌年田能村家の嫡男となり藩主にまみえた。 |
| 20歳頃より淵上旭江門の地元画家に画を学び、君山の紹介で江戸の谷文晁に現在でいう通信教育まで受けている。 |
| 22歳のとき由学館に儒員として出仕し最終的には頭取に出立している。 |
| 医業を辞めて学問に専心することとなり、幕命により『豊後国志』の編纂に携わった。 |
| 享和元年(1801年)、編纂事業準備のため江戸に下向。 |
| その途次大坂の木村蒹葭堂を訪ね、江戸ではかねてより文通のあった谷文晁を訪問。 |
| 文化2年(1805年)眼病の治療と儒学を学ぶため、途中博多、長崎、熊本、小倉、下関に立ち寄り京都へ約2年間遊学。 |
| その間村瀬栲亭に入門。 |
| 大坂では浦上玉堂や岡田米山人・上田秋成らと知遇を得る。 |
| 文化8年(1811年)、生玉の持明院で頼山陽と邂逅、以来親交を深める。 |
| またこの年秋には紀州にて野呂介石にも画法を指南されている。 |
| 文化8年は専売制度に反対して藩内に農民一揆が発生。 |
| 竹田は農民救済・学問振興を含めた藩政改革を要求する建言書を藩に2度提出したが受け入れられず、病気療養の必要もあり文化9年(1812年)辞表を提出。 |
| 翌年致仕は認められ、37歳の若さで隠居となるが、休息料として名目上2人扶持の俸給を与えられており、周囲の竹田への信頼を物語る。 |
| それ以後豊後と京阪との間を行き来しながら、頼山陽をはじめ岡田半江・浦上春琴・菅茶山・青木木米などの文人たちと交流を持つ。 |
| 文政9年(1825年)、50歳で長崎に遊歴。 |
| 来舶清人や長崎派の画家から中国絵画の技法を学ぶ。 |
| 天保6年夏、大坂の藩邸で亡くなった。 |
| 画の弟子に高橋草坪や帆足杏雨・田能村直入(養継子)などがいる。 |
| 竹田は筆まめで多くの著作を著している。 |
| とりわけ『山中人饒舌』は日本の文人画史・画論として当時から広く読まれ、『屠赤瑣瑣録』では文事や文人趣味などを知る上での資料価値が高い。 |
| また『竹田荘師友画録』は師友となった104名の人物評伝を掲載している。 |
| 竹田は元末四大家や宋代の米友仁を敬慕。 |
| 多くの人物との交流から様々な画風を学んだことで山水図・人物図・花鳥図とその画域を広げ、写実を通して文人画のエッセンスともいうべき写意を表現した。 |
| 晩年は繊細で味わい深い画境に到達し旺盛に創作をした。 |
| 現在、竹田の作品は、出光美術館に約200点、大分市美術館に45点、竹田市歴史資料館に10点をはじめ、日本各地の24カ所の美術館・博物館に所蔵されている週間朝日百科『日本の美術館を楽しむNo.46大分市美術館』朝日新聞社、2005、13頁。 |
[[重要文化財]]指定作品
| 花卉図(大分市美術館)6幅対紙本墨画淡彩1808年。 |
| 四季花鳥図(大分市美術館)4幅対絹本着色1809年。 |
| 雁来紅群雀図(大分市美術館)1幅1813年。 |
| 富士図(大分市美術館)1幅1819年。 |
| 月下芦雁図(大分市美術館)六曲一隻1823年。 |
| 梅花書屋図及題詩(大分市美術館)双幅紙本墨画1824年。 |
| 渓荘趁約図(大分市美術館)1幅絹本墨画1828年。 |
| 柳陰捕魚図(大分市美術館)1幅1828年頃。 |
| 秋景山水図(大分市美術館)4面1828年。 |
| 松鶴図(大分市美術館)4面1828年。 |
| 船窓小戯帖(個人蔵)1帖紙本淡彩1829年。 |
| 稲川舟遊図(個人蔵)1幅紙本淡彩1829年。 |
| 亦復一楽帖(寧楽美術館)1帖全13図紙本淡彩1830年。 |
| 騎馬武者図(大分市美術館)1幅1818~30年(文政年間)後半。 |
| 冬籠図(大分市美術館)1幅1826~30年。 |
| 暗香疎影図(大分市美術館)1幅紙本淡彩1831年。 |
| 五言古詩及塡詞(大分市美術館)双幅紙本墨書1831年。 |
| 歳寒三友双鶴図(個人蔵)1幅絹本著色1831年。 |
| 桃花流水図(大分市美術館)1幅1832年。 |
| 曲渓複嶺図及題詩(大分市美術館)双幅1832年。 |
| 秋渓間適図(大分市美術館)1幅1832年。 |
| 梅花書屋図(出光美術館)1幅紙本著色1832年。 |
| 盆卉図(大分市美術館)紙本淡彩1833年。 |
| 澗道石門図(大分市美術館)1幅1834年。 |
| 浄土寺図(大分市美術館)1幅1834年。 |
| 漁樵問答図(大分市美術館)1幅絹本淡彩1834年。 |
| 秋渓趁約図(大分市美術館)1幅紙本淡彩1834年。 |
| 君子延年図(大分市美術館)1幅紙本淡彩1830~35年。 |
| ※上記のうち大分市美術館所蔵分は、「田能村竹田関係資料(帆足家伝来)」の名称で絵画23件、書跡3件が一括して重要文化財に指定されている1969年に「暗香疎影図」1点のみが重要文化財に指定された。 |
| その後1994年に他の絵画等を追加指定し、指定名称を「田能村竹田関係資料」と改めたものである。 |
その他
| 金箋春秋山水図屏風(白鶴美術館)六曲一双紙本金箋淡彩1823年。 |
| 軽舟読画図(個人蔵)重要美術品。 |
| 松溪載鶴図(出光美術館)重要美術品1832年。 |
| 松溪聴泉図(出光美術館)重要美術品1834年。 |
著作
| 『山中人饒舌』。 |
| 『竹田荘師友画録』。 |
| 『屠赤瑣瑣録』。 |
| 『花竹幽牕の記』。 |
| 『葉のうらの記』。 |
| 『黄築紀行』。 |
| 『竹田荘詩話』。 |
| 『百活矣』。 |
| 『瓶花論』。 |
| 『填詞圖譜』。 |
参考資料
| 飯島勇『日本の美術165田能村竹田』至文堂、1980年。 |
| 「週刊アーティスト・ジャパン第47号田能村竹田」同朋舎出版、1993年。 |
| 大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社、2001年、251-253頁、ISBN4831508985。 |
| 展覧会図録『文人の夢・田能村竹田の世界』静岡県立美術館、2005年9-11月。 |
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1794年
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18歳のときに母と兄を亡くし、翌年田能村家の... |
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