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プロフィール
- 田辺徳雄とは
- 来歴・人物
- 打撃
- 守備
- 年度別打撃成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 登録名
- 関連項目
- 外部リンク
田辺徳雄(たなべのりお、1966年5月11日-)は、山梨県出身の元プロ野球選手。現在は埼玉西武ライオンズ二軍打撃コーチ。現役時代のポジションは内野手。西武黄金期の遊撃手として活躍した。巨人に移籍した2000年の登録名は田辺路朗(たなべのりお)。現役時代のあだ名は「おやじ」。
来歴・人物
| 吉田高校在学中のに、夏の選手権大会に出場。 |
| 1回戦で吉井理人、山下徳人を擁する箕島高校と対戦するが、延長13回サヨナラ負けを喫した。 |
| 1984年のドラフト2位で指名され、西武ライオンズに入団。 |
| 当時は西武黄金時代の始まりで、周囲の選手の体格やプレーを見てプロでやっていけるか強い不安を感じたという週刊ベースボール、2000年12月25日号、P.109。 |
| 二軍では監督の日野茂や守備コーチの広瀬宰に厳しく鍛えられ、昼の試合後に特守を行なって夕食後も夜間練習をするほどだった。 |
| その甲斐もあって1年目のはイースタン・リーグで打率3割を記録し、秋にはアリゾナでの教育リーグに派遣された。 |
| 翌は1Aにあたるカリフォルニアリーグのサンノゼ・ビーズでトップバターとしてプレー。 |
| 140試合に出て.306の高打率で |
| ここでは破けたスパイクを使う選手達を見てハングリー精神を学んだと語っている週刊ベースボール、2000年12月25日号、P.110。 |
| 一方、1986年に監督に就任した森祇晶は秋山幸二を三塁手から中堅手に、石毛宏典を遊撃手から三塁手にコンバートさせた。 |
| 田辺は石毛の後任の遊撃手となる事が期待され、帰国後のは背番号が6に変えられている。 |
| 同年は開幕から一軍のレギュラーとなったが、気持ちを入れ込みすぎて練習で負傷しさらにベン・オグリビーにスネをスパイクされ、後半戦は二軍で過ごした。 |
| 翌は清家政和とレギュラーの座を争い、自己最高を更新する51安打、打率.258を記録するなど打撃力でポジションを勝ち取った朝日新聞、1988年6月21日付朝刊、埼玉地方面。 |
| しかしシーズン中にヒジを痛め、さらにそれをかばって8月に肩も痛めたため週刊ベースボール、1989年10月9日号、P.116後半戦は一軍登録を抹消されている。 |
打撃
| アメリカへの野球留学でクラウチングスタイルを身に付けたが、日本の投手の左右への揺さぶりに対応しきれず、足を上げてボールを呼び込むスタイルに変更した。 |
| ポイントを近めにしたことで広角打法が身に付き、一、二塁間を抜ける当たりやライト前のポテンヒットが増えたという。 |
| AK砲の後の6番を打っていた頃は走者の残っている場面で打席を迎えることが多く、ヒット狙いで打席に立っていた週刊ベースボール、1989年10月9日号、P.117。 |
| ど真ん中の球は苦手で見逃す事も多かったが、高めはボール球でも積極的に打っていった。 |
| 外す配球がしにくいため田村藤夫ら他球団の捕手に嫌がられたものの、チーム内のミーティングで打撃コーチに怒られることも多かった。 |
守備
| 遊撃手時代は、二塁手の辻発彦と三塁手の石毛宏典という名手に挟まれていた。 |
| 遊撃手経験の長かった石毛には厳しく守備をチェックされ、声を出さずに捕球して怒られる事もあった。 |
| 辻にはキャンプ期間から連係プレーの練習に付き合ってもらっていたが、6-4-3のダブルプレーの送球は非常に緊張したという。 |
| 余裕を持って打球に追いつく高い身体能力が認められ、石毛のコンバート後に10年間は遊撃守備でチームを支えられると森祇晶は評価していた。 |
| 30歳を過ぎると頭の中でイメージする遊撃守備に体がついていかない事も増えた。 |
| 二塁や三塁の守備についた事で新たな視点を得ることができ、勉強になったと語っている。 |
表彰
| ベストナイン:2回(1989年、1992年)。 |
| ゴールデングラブ賞:2回(1989年、1992年)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:2回(1992年、1994年)。 |
| 1000試合出場:1996年7月26日332人目)。 |
背番号
| 51(1985年-1986年)。 |
| 6(1987年-1999年)。 |
| 23(2000年)。 |
| 76(2002年-2009年)。 |
| 82(2010年-)。 |
登録名
| 田辺徳雄(たなべのりお)(1985年-1999年、2002年-)。 |
| 田辺路朗(たなべのりお)(2000年)。 |
関連項目
| 山梨県出身の人物一覧。 |
| 埼玉西武ライオンズの選手一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
| 日本人のマイナーリーグ選手一覧。 |
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1966年
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田辺 徳雄(たなべ のりお)は、山梨県出身の... |
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1986年
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監督に就任した森祇晶は秋山幸二を三塁手から... |
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投票数
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