| 7歳の頃平成10年版「将棋年鑑」、将棋の観戦記者である父・甲斐栄次から将棋を教わる。 |
| 1995年3月、女流育成会に入会。 |
| 1997年4月、13歳で同会を卒業し、同じ川崎市在住の中原誠門下で女流プロ入り甲斐のプロ入り・入門は、中原と林葉直子のスキャンダルが明るみに出る前年のことであった。 |
| 中原の弟子で女流棋士は甲斐のみである。 |
| 1998年、女流1級となるが、女流棋士会を休会し関東奨励会に6級で入会。 |
| 同期には戸辺誠、広瀬章人、高崎一生らがいた。 |
| かつては女流と奨励会の掛け持ち矢内理絵子、千葉涼子は、規定変更前に奨励会を掛け持ちしており、二人がともに自己最高位の2級であった時期と甲斐が奨励会で指していた時期は、一部オーバーラップしている。 |
| が認められていたが、1998年に女流棋士総則が改正され、「女流棋士が新たに奨励会に籍をおく場合は女流棋士を休場しなければならない」という規定ができたため、この規定の適用者第1号となった。 |
| なお、奨励会の対局開始は9月であったが、同年の女流棋戦で不戦敗が生じないところまでは指しており、その最後の対局となる第25期女流名人位戦B級リーグ第9回戦(12月2日)で勝って7勝2敗とし、A級リーグ昇級・女流初段昇段に相当する成績を残した。 |
| 奨励会では一時1級まで昇級したが、2003年8月9日に2級で退会。 |
| 同年9月1日に約5年ぶりに女流棋士に復帰。 |
| 休会当時の成績により、女流初段に昇段しての復帰となった(ただし、女流名人位戦リーグの予選から改めて参加)。 |
| 第32期女流名人位戦B級リーグ(2005年)で7勝2敗の成績を収め、初めてA級リーグに上がる。 |
| 第34期女流名人位戦A級リーグ(2007年)、最終9回戦は勝てばプレーオフという自力挑戦の目がある状況で迎えたが、敗れて挑戦権を逃す。 |
| 第11回鹿島杯女流将棋トーナメント決勝(2006年9月18日)で中村真梨花を破り、公式棋戦初優勝(女流二段昇段)。 |
| この期をもって終了した同棋戦の最後の優勝者となった。 |
| 初のネット棋戦・第1回ネット将棋・女流最強戦において、決勝(2008年3月23日)で、当時の女流名人・矢内理絵子を破り初代優勝者となる。 |
| 初代「女王」の称号を争うタイトル戦である第1期(2008年)マイナビ女子オープンで決勝に進出し、タイトル戦初登場。 |
| 矢内と決勝五番勝負(4月-5月)を戦い、1-3で敗れる。 |
| 同年、第19期女流王位戦白組リーグで中村真梨花との4勝1敗同士のプレーオフを制して優勝するが、挑戦者決定戦(9月1日)で紅組優勝の清水市代に敗れる。 |
| さらに同年、第16期倉敷藤花戦でも挑戦者決定戦(9月29日)に進出するが、里見香奈に敗れる(里見は清水から倉敷藤花を奪取)。 |
| 第3期マイナビ女子オープン(2009年夏-2010年)でタイトル経験者の清水市代、石橋幸緒、斎田晴子らを破って勝ち上がり、矢内女王に挑戦。 |
| 五番勝負第3局(2010年4月19日)までを無傷の3連勝で制し、初タイトル「女王」を獲得(女流三段昇段)。 |
| 女流棋戦では最高額の優勝賞金500万円を手中に収める。 |
| 第3局は双方持ち時間を使い果たしての1分将棋になってからが長く、互いに疑問手が出て二転三転する181手の大熱戦であった。 |
| さらには、第21期(2010年度)女流王位戦では予選から勝ち上がり、リーグでは4勝1敗で並んだ3名によるプレーオフを制して白組優勝。 |
| 挑戦者決定戦では紅組優勝の石橋幸緒を破り、清水市代女流王位に挑戦。 |
| そして、5月から行われた五番勝負女流王位戦五番勝負は従来10-11月に行われていたが、この年から5-6月に変更。 |
| では第4局(2010年6月17日)までで清水を3勝1敗で破り、一気に二冠王となる。 |
| 僅か2ヶ月前までタイトル獲得歴が全くなく、タイトル挑戦3回目での達成であった。 |
| この時点で女流棋界は、甲斐二冠(女王・女流王位、27歳)、里見二冠(女流名人・倉敷藤花、18歳)、清水女流王将(41歳)、矢内女流四段(無冠、30歳)という構図になり、甲斐は里見とともに若くして女流棋界を代表する座に就いた。 |
| 将棋大賞で初の受賞(第38回将棋大賞女流棋士賞)も果たした。 |
| 2011年はマイナビ女子オープンで上田初美に3連敗を喫して失冠したが女流王位を3勝2敗で死守、6月29日付けで四段に昇段している。 |