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13年間勤めた通商産業省を辞め、政界入りをめざす。
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父・金五には大反対され、夫人には3回落選するまで付き合ってほしいと懇願する中で1983年の第37回衆議院議員総選挙に立候補、初当選を果たす。
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1997年の第2次橋本改造内閣で文部大臣として初入閣。
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その後、小渕内閣では大臣経験者ながら高村正彦外相の下で外務政務次官となる。
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続く森内閣では文部大臣・科学技術庁長官を兼任、中央省庁再編により初代文部科学大臣を務めた。
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小泉政権では自民党総務局長、幹事長代理を務め、2003年の北海道知事選挙では通産省の後輩高橋はるみを擁立し、北海道史上初の女性知事誕生に貢献した。
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(1995年同選挙では自由民主党推薦候補伊東秀子を支援したが新進党推薦候補堀達也が当選している。
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2004年の第2次小泉改造内閣では外務大臣に就任した。
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町村の外相起用を強く働きかけたのは、安倍晋三だとされ、9月22日に安倍が小泉と会談した際に起用が決まったとされる。
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外相としては対中ODA廃止や尖閣諸島の灯台管理などを行い、第3次小泉内閣まで務めた。
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政治家の年金未納問題が注目された際には年金の未納が発覚している。
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また、郵政選挙では町村は再選が厳しいとの見方があったが、最終的に町村は全国4位の17万票を獲得し圧勝した。
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2006年自由民主党総裁選挙では安倍晋三候補の選対本部長代理として、安倍総裁の実現に奔走し、発足した政権では要職への就任が有力視されたが実現しなかった。
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その後、森喜朗元首相から派閥を譲り受け、町村派会長に就任した。
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2007年8月27日、安倍改造内閣で外務大臣に再登板。
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当初は、官房長官への就任が確実視されていたが、安倍首相と麻生太郎の最終的な話し合いで、土壇場になり与謝野馨の名が浮上・再び外相の地位につくこととなった。
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外相再登板後は、麻生前外相が提起した「北方領土面積二等分論」を論外だと批判。
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従来の方針通り「4島一括返還論」に戻した。
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安倍首相の退陣表明を受けて行われた2007年自由民主党総裁選挙で、立候補の意欲を示したが、同派閥の福田康夫の立候補表明を受け福田を支持、自身の立候補は見送った。
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2007年9月25日、福田康夫内閣の発足に伴い内閣官房長官に就任した。
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自民党の派閥領袖が官房長官を務めるのは初めてのことである。
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なお、町村が官房長官という要職で閥務ができないため、町村派は会長職を廃止して代表世話人に町村、中川秀直、谷川秀善の3人による集団指導体制となった。
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福田康夫改造内閣でも内閣官房長官に留任した。
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2009年2月5日、町村派の森元首相は、麻生首相に批判的言動を行った中川秀直の派閥内での影響力を削ぐために、町村を会長に復帰させた。
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町村自身、中川との関係はあまり良好ではないようで、町村派の会合などで「町村派の中には確か広島選出の議員はいらっしゃらなかった……ああ、中川先生がいらっしゃいましたか」などと皮肉とも取れる言動が見られる。
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同年の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で民主党元職の小林千代美に3万票余りの差をつけられ落選。
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重複立候補した比例北海道ブロックでは自民党2枠に対し、名簿順1位内の惜敗率2番目となり、かろうじて当選を果たした。
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北海道第7区の自民党新人・伊東良孝が814票差の接戦を制したことによる復活であった。