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つながりの強いひと
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片岡篤史
京都府久世郡久御山町出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。日本ハムファイターズ、阪神タイガースに所属した。愛称は、「ツル」(日本ハム時代の愛称。... |
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金本知憲
友達
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。ファンやマスコミからの愛称はアニキ(兄貴)など、友人からはかねもっちゃん、カネ。右投げ左打ちの打者... |
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赤松真人
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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桜井広大
桜井広大(さくらいこうだい、1983年7月1日-)は阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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筒井壮
大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。東北楽天イーグルスの監督・星野仙一の甥に当たる。 |
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桧山進次郎
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。2010年現在、阪神において生え抜き最古参・最年長選手で打席に立つとスタンドから一際大きな声援を受ける... |
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八木裕
岡山県玉野市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。愛称は「代打の神様」、「ハチキ」。現在は阪神タイガース二軍打撃コーチ。 |
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浅井樹
富山県富山市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 |
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中村豊
大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称は「豊」。現在は阪神タイガース二軍守備走塁コーチ。 |
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緒方孝市
元プロ野球選手(外野手)。現在は広島東洋カープ守備・走塁コーチ。 |
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上坂太一郎
愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 |
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林威助
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。中華民国(台湾)国籍だが、日本の高校・大学に通っていたため、NPBの規定で日本人登録選手の扱いとなって... |
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葛城育郎
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。妻は松竹芸能所属のタレント中山知紗。 |
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藤川球児
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。元高知ファイティングドッグス・ゼネラルマネージャーの藤川順一は実兄。 |
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藤原通
元プロ野球選手(内野手)。登録は内野手だが、外野手もこなす。 |
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今岡誠
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。兵庫県宝塚市出身。愛称は「ゼブラくん」、「誠の救世主」、「フクちゃん」など。夫人はネイリスト... |
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藤本敦士
東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。兵庫県明石市出身。愛称は「モンキー」、「もっさん」、「フジモン」、「あつし」、「あっちゃん」。 |
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浅井良
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。 |
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高橋勇丞
愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 |
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野口寿浩
千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(捕手)。 |
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プロフィール
- 町田公二郎とは
- 来歴
- 人物・プレースタイル
- 「幻の本塁打」
- 記録
- 背番号
- 登録名
- 関連項目
町田公二郎(まちだこうじろう、1969年12月11日-)は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。セ・リーグ代打本塁打記録保持者。からまで登録名を町田康嗣郎としていた。
来歴
| 明徳義塾高校では3年生時の春の甲子園で1回戦敗退。 |
| その後、専修大学に進学。 |
| 東都大学リーグ通算66試合出場、224打数65安打、打率.290、15本塁打、39打点。 |
| 2年生時の春には首位打者になりチーム31回目のリーグ優勝に貢献した。 |
| 通算15本塁打は当時東都大学リーグ歴代2位タイの記録であった。 |
| その長打力を買われ、のドラフト1位で広島東洋カープに入団。 |
| 1年目のから4番を任され、6本塁打を放つ活躍を見せる。 |
| 大学時代の活躍に加えて、将来のクリーンナップ候補としての期待から入団時は「山本浩二2世」と呼ばれたこともあった。 |
| 早い時期から右の大砲として首脳陣に期待されるが、前田智徳や江藤智、緒方孝市、金本知憲などの走、攻、守に優れた強力なライバルの台頭もあり、長打力はあったものの、守備や走塁に課題があった町田は、年々スタメンに名を連ねる試合が減少する。 |
| 以降は右の代打の切り札としての地位を確立し、代打通算本塁打20本はプロ野球歴代2位タイの記録で、セ・リーグ記録でもある。 |
| には代打で9打席連続出塁の新記録を打ち立てた。 |
| には登録名を「公二郎」から「康嗣郎」に改めた。 |
| 通算代打成績は397打数、90安打、20本塁打、71打点、打率.227。 |
人物・プレースタイル
| 広島時代は左右の投手によって左打者の浅井樹との併用が多かった。 |
| プロ生涯で一度も規定打席に到達した事はなく、先発のレギュラーというポジションではなかったものの、ファンの人気は高く、応援時(特に好機での代打起用)ではゲーム1・2を争う盛り上がりを見せた。 |
| その際には「未来へ輝け 町田公二郎」と書かれた横断幕も必ず用いられていた。 |
| 守備では現役時代、一貫して外野手登録ではあったが、当時の外野陣には前田、緒方、金本といった主力選手でほぼ固定されていた事情もあり、内野を守る機会も多かった。 |
| 内野手として一塁、二塁、三塁を守った事がある。 |
| ただ守備は上手いとは言い難く、外野手としても肩の弱さを問題視された事もある。 |
| 守備面に関しては浅井の方が評価は高かった。 |
| 常に笑顔を絶やさない明るい性格の持ち主で、サインや写真撮影にも気軽に応じ、女性ファンの人気も高かった。 |
| その一方で、勝負所で本塁打を打った際やヒーローインタビューなどではあまり表情を変えないクールなコメントが多かった。 |
| ただ、そんな町田が感情を表に出したときがある。 |
| の広島市民球場でライト前に代打サヨナラタイムリーを放った際に両手をあげガッツポーズ。 |
| ヒーローインタビューで涙を浮かべ「また明日から頑張ります」と語った(このシーズンは開幕当初から20打席以上の無安打が続くなど極度の不振に苦しみ、打席数を増やして調子を上げようと1番スタメンも経験するなど試行錯誤を繰り返していた)。 |
| 1打席しか許されない代打というポジションから、責任感も人一倍強かった。 |
| 打撃と比較して、守備と走塁には課題があったが、全力プレーは健在で、内野守備ではしばしばダイビングキャッチによる好守も見せた。 |
| 12球団屈指のハードな練習と言われる広島にいながら、チーム1・2を争う練習量を誇る事でも有名で、合同練習の3時間前に球場入りし、特製の錘付バットをひたすらスイングするのが彼のトレーニングスタイルであった。 |
| その成果により筋骨隆々とした体をつくりあげた。 |
| とあるプロ野球中継で「和製シュワルツェネッガー」と称された事がある。 |
| 山本浩二監督には「そんな練習したら、体を壊してしまうぞ」と驚かれた。 |
| 阪神タイガースの金本知憲とは広島時代の同期にあたり、仲が良かった。 |
| 阪神移籍後も、ともに若手選手への兄貴的存在として慕われた。 |
| 若き日の金本も、町田の人並外れたウエイトトレーニングを参考にしたという。 |
| 町田が対中日戦で阪神移籍後第1号本塁打を放った際には、ベンチの誰よりも喜びをあらわにし、ヒーローインタビュー(この試合で金本も本塁打を打っている)では、「町田は広島時代からの同期で、阪神に来てからなかなか1本が出なくて心配していたが、(今日本塁打を打てて)自分の事のように嬉しい」とのコメントを残している。 |
| 町田が戦力外通告を受けた際、現役引退の意向を最初に伝えたのも金本であった。 |
「幻の本塁打」
| 広島時代の6月30日の対横浜ベイスターズ戦(富山市民球場アルペンスタジアム)の5回に東出輝裕の代打として出場し、川村丈夫の初球を左翼ポール際へ本塁打性の打球を放つ。 |
| ボールは明らかにポールを巻いていたが、三塁塁審の真鍋勝己はファウルという判定。 |
| 広島首脳陣は約10分間猛抗議したが認められなかった(球審は渡真利克則)。 |
| 町田は結局空振り三振し、バットを叩き付けて悔しがった。 |
| また、阪神移籍後の5月3日の対広島戦(甲子園球場)では1点ビハインドの9回に走者一塁の場面で代打出場。 |
| ジョン・ベイルから左翼ポール際への逆転サヨナラ本塁打かという大飛球を放つも、塁審の上本孝一の判定はファウル。 |
| この時も結果は三振だった。 |
記録
| 初出場:1992年6月3日、対阪神タイガース10回戦(広島市民球場)、9回裏に北別府学の代打として出場。 |
| 初先発出場:1992年6月6日、対ヤクルトスワローズ7回戦(福島県営あづま球場)、6番・左翼手として先発出場。 |
| 初安打:同上、2回表に伊東昭光から。 |
| 初本塁打・初打点:1992年7月25日、対横浜大洋ホエールズ17回戦(横浜スタジアム)、1回表に岡本透から。 |
| 初盗塁:1992年8月1日、対読売ジャイアンツ15回戦(広島市民球場)、1回裏に二盗(投手:宮本和知、捕手:大久保博元)。 |
| 通算代打本塁打:20本(歴代2位タイ・セ・リーグ記録)。 |
| 通算代打満塁本塁打:4本(歴代1位タイ・日本記録)。 |
| 代打9打席連続出塁(1996年・歴代2位)。 |
| 9年連続代打本塁打(1995-2003年・日本記録)。 |
背番号
| 5(1992年-2004年)。 |
| 50(2005年-2006年)。 |
| 73(2007年-2010年)。 |
| 75(2011年-)。 |
登録名
| 町田公二郎(まちだこうじろう)(1992年-1997年、2005年-)。 |
| 町田康嗣郎(まちだこうじろう)(1998年-2004年)。 |
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1969年
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町田 公二郎(まちだ こうじろう)は、高知県... |
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1992年
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初出場:、対阪神タイガース10回戦(広島市民... |
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