681606
1573203
1274185
%E7%9B%A7%E5%A4%A9%E5%91%BD
%E7%9B%A7%E5%A4%A9%E5%91%BD
%E7%9B%A7%E5%A4%A9%E5%91%BD
%E7%9B%A7%E5%A4%A9%E5%91%BD
%E7%9B%A7%E5%A4%A9%E5%91%BD
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
柳致環
柳致環 1908年、統営生まれ。1959年に発刊した自作詩解説集(雲に画く)で、私が生まれたところは統営であると述べた。 1931年、『文芸月刊』第2号に詩「静... |
|
|
金素雲
韓国釜山出身の詩人。本名は金教煥、筆名は鉄甚平(てつ・じんぺい)。号は巣雲、三誤堂。詩人・作家の北原綴は息子。歌手の沢知恵は孫。 |
|
|
李光洙
李光洙(イ・グァンス、1892年3月5日-1950年10月25日)は朝鮮の文学者、思想家である。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。号は「春園」(チュンウォン、춘원... |
|
|
趙芝薫
朝鮮の詩人、国文学者。本名は趙東卓(チョ・ドンテク、<spanlang="ko">조동탁)。本貫は漢陽趙氏。青鹿派の一詩人として伝統への郷愁を詠った。高麗大の教授... |
|
|
徐廷柱
1944年8月発刊された『国民文学』に日本語で掲載された。 未堂はこの詩で「ああ、うれしい、うれしい/犠牲は私でなければ誰にも代わりはできない」とし、太... |
|
|
毛允淑
�E女性詩――一九二〇年代『新女子』という最初の女性雑誌が創刊され、主幹の金元周は啓蒙的な女性解放論を提唱した。(7)その後、優れた詩人、盧天命・毛允淑... |
|
|
呉一島
呉一島(ごいっとう、1901年陰暦2月24日-1946年2月28日)は朝鮮の詩人。本名は呉熙秉。号は一島。詩誌『詩苑』の発行に尽力し、朝鮮の詩文学に貢献する。自身... |
|
|
金東仁
作家の主観とか賢言が省かれた客観と正確を試み、李光洙の文章には見られなかった洗練されたものを匂わせている。 |
|
|
岩野泡鳴
明治・大正期の日本の小説家・詩人。兵庫県洲本市出身。明治学院、仙台神学校(現在の東北学院)、専修学校(現在の専修大学)に学ぶ。当時、神田神保町の専... |
|
|
李箱
李箱(イサン、1910年9月14日(陰暦8月20日)-1937年4月17日)は朝鮮の詩人、小説家。本名は金海卿。本貫は江陵李氏。その難解で過度に自己中心的な作風は「... |
|
|
金東鳴
金東鳴(きんとうめい、1900年6月4日-1968年1月21日)は朝鮮の詩人、評論家。号は超虚。教員生活を送りながら民族的悲哀の漂う抒情詩を多く残した。解放後は... |
|
|
茨木のり子
同人誌『櫂』を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家である。本名、三浦のり子(みうらのりこ)。戦中・戦... |
|
|
北原白秋
日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉(きたはらりゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作... |
|
|
大岡信
日本の詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。 |
|
|
山田美妙
日本の小説家・詩人・評論家。SF・ミステリ作家の加納一朗は孫。 |
|
|
楠かつのり
音声詩人、映像作家。「詩のボクシング」の日本朗読ボクシング協会(www.jrba.net)代表。 |
|
|
草野心平
草野心平(くさのしんぺい、1903年(明治36年)5月12日-1988年(昭和63年)11月12日)は日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。宇宙的なま... |
|
|
銀色夏生
日本の女性詩人、随筆家、写真家。宮崎県出身。1982年より作詞を始め、のちに本の制作に専念する。1989年には、歌手を公募し、イメージアルバム『Balance』(... |
|
|
清岡卓行
日本の詩人、小説家。関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。妻は作家の岩阪恵子(いわさかけいこ、本名清岡惠子)。前妻の息子清岡... |
|
|
プロフィール
盧天命(ろてんめい、1912年9月2日-1957年6月16日)は朝鮮の詩人。孤独な生涯を郷土的世界と主情的世界を詩に読むことに捧げた。代表作「(鹿)」は、盧の代名詞となっている。
略歴
| 1912年9月2日、黄海道長淵郡蒪澤面に生まれる。 |
| 父は西海盧氏の盧啓一、母は義城金氏の金鴻基、3人姉妹の次女。 |
| 盧啓一は村の小地主で船関係の商売もしていたため、家は裕福な方であった。 |
| 盧は生まれたとき、基善と名づけられたが、5歳のときに麻疹にかかり、危うく命を落としそうになる。 |
| この一件の後、天命と名を改めた。 |
| 1920年、盧が9歳のとき、父が亡くなると、母方の実家があるソウルに移り住んだ。 |
| 進明普通学校を経て進明女子高等普通学校に進み、1930年に梨花女子専門学校英文科に進学した。 |
| この頃から詩の習作を始め、同校を卒業する頃には詩人として相当の水準に達していた。 |
| 本格的に詩作に没頭するのは朝鮮中央日報社に勤めてからである。 |
| 1935年、呉一島が創刊した詩誌『詩苑』の創刊号に「(私の青春の船は)」が掲載され、文壇に登場する。 |
| 『詩文学』を発行していた朴龍喆の妹である朴鳳子と同学であったので、よく朴龍喆宅に遊びに行っていた。 |
| また、海外文学派が作った劇芸術研究会の会員になり、海外文学派とも親交があった。 |
| 1938年、咸大勲、李軒求、徐恒錫、曺希淳、李時雄、毛允淑、崔永秀、金福鎮等劇芸術研究会のメンバーと、アントン・チェーホフの「桜の園」を演じた。 |
| この公演に来ていた普成専門学校で経済学を教えていた教授、金光鎮と出会い、恋に落ちる。 |
| しかし、金には妻がおり、幸せな恋愛にはならなかった。 |
| この顛末は社会的な話題になり、兪鎮午が彼等の恋愛を「離婚」という小説で出したのでなお有名になった。 |
| 結局、その恋愛は1949年に金が平壌に行ったきり戻って来ないことで終わった。 |
| 1938年1月、詩集『珊瑚林』に「(鹿)」という詩が収録された。 |
| 盧の代名詞ともなる詩である。 |
| 盧はか弱い草食動物である鹿に自分の孤独を発見した。 |
| 1945年、朝鮮が解放を迎えたかと思うと、すぐに朝鮮戦争が始まった。 |
| 盧は好むと好まざるとに関わらず、生きるために朝鮮文学家同盟の一員として活動した。 |
| これが、共産軍に加担したという嫌疑になり、捕らえられることになる。 |
| 1951年、盧は金珖燮に自分を救い出すように手紙で要求し、これを受け取った金は金尚鎔、李軒求、李健赫等と協力して釈放運動を起こし、1951年3月2日、釈放された。 |
| 1956年、『梨花70年史』を執筆しているとき、体調を損ね、翌1957年3月7日には、脳溢血で清涼里の衛星病院に入院する。 |
| そのときはまもなく退院するが、6月16日、午前1時30分、桜下洞の自宅で息を引き取った。 |
| 遺骨は、18日にソウル市東区中谷洞のカトリック墓地に埋葬された。 |
年譜
| 1912年9月2日、黄海道長淵郡蒪澤面に生まれる。 |
| 1917年、麻疹にかかり、一命を取り留める。 |
| 名を「天命」に改名する。 |
| 1926年、進明普通学校を卒業。 |
| 1930年、進明女子高等普通学校を卒業。 |
| 1930年、梨花女子専門学校(現梨花女子大学校)英文科に入学。 |
| 1934年、梨花女子専門学校を卒業。 |
| 1934年、ソウル鍾路区安国洞107番地に引っ越す。 |
| 朝鮮中央日報社学芸部の記者になる。 |
| 1935年2月、『詩苑』創刊号に詩「(私の青春の船は)」で文壇にデビュー。 |
| 1937年、朝鮮中央日報社を辞める。 |
| 龍井、北間島、二頭構、延吉などを旅行する。 |
| 1938年、朝鮮日報出版部の雑誌『女性』を編集。 |
| 1938年、普成専門学校の教授、金光鎮と出会う。 |
| 1941年、『女性』の編集を辞める。 |
| 1943年、毎日申報の文化部記者になる。 |
| 1945年、ソウル新聞社の文化部記者になる。 |
| 1946年、ソウル新聞社を辞める。 |
| 1946年、婦女新聞社編集局次長になる。 |
| 1947年、婦女新聞社を辞める。 |
| 1949年、ソウル市鍾路区桜下洞225番地に引っ越す。 |
| 1950年9月、共産軍に加担していたという嫌疑で投獄される。 |
| 1957年3月、脳溢血で清涼里の衛生病院に入院する。 |
| 1957年6月16日、自宅にて死亡。 |
|
1912年
|
黄海道長淵郡蒪澤面に生まれる |
|
1917年
|
麻疹にかかり、一命を取り留める |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
盧天命さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|