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つながりの強いひと
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宍戸錠
俳優。大阪市北区出身。日活スターの1人。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。小林旭と『渡り鳥シリーズ』など多数の映画で共演し、エースのジョーという愛称で... |
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直江信綱
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の戦国大名・長尾上杉氏の家臣。山東郡(三島郡)与板城城主。直江景綱の後任として奉行職を務めた。 |
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お船の方
戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。父は直江景綱、母は山吉政久の娘。直江信綱と直江兼続の正室。 |
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長尾為景
越後の戦国大名。越後守護代・越中国新河郡分郡守護代。上杉謙信の父。米沢藩初代藩主上杉景勝は外孫に当たる。 |
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直江親綱
中条藤資や本庄実乃らと共に景虎を支援した。 永禄3年(1560年)、景虎が相模の北条氏康討伐のために関東に出陣したときには、春日山城の留守居を務めている... |
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上杉景虎
戦国時代の武将。北条氏康の七男。母は遠山康光の妹。初めは北条三郎(ほうじょうさぶろう)と名乗ったと推定される。のちに上杉謙信の養子になる。 |
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田中美佐子
日本の女優。本名、深沢美佐子(ふかさわみさこ)旧姓、田中。 島根県知夫郡(現・隠岐郡)西ノ島町出身。佐藤企画所属。東洋女子短期大学英語英文科卒業。... |
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上杉景勝
上杉景勝/長尾顕景(うえすぎかげかつ/ながおあきかげ)は戦国時代から江戸時代にかけての武将・大名。豊臣政権の五大老の一人。出羽米沢藩初代藩主。上杉謙... |
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長尾景虎
戦国時代 (日本) 戦国時代の武将、越後国 越後の戦国大名である。出家前の名は長尾景虎(ながお かげとら)、上杉政虎(うえすぎ まさとら)、上杉輝虎(うえす... |
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柿崎景家
戦国時代の武将。越後国の守護代・戦国大名の長尾氏(上杉氏)の家臣。柿崎城・猿毛城城主。七手組大将の一人。 |
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小山田信茂
戦国時代の武将。武田氏の家臣。甲斐岩殿城(岩殿山城)に居を構えた国人領主(勝山記、妙法寺記の記述より、居城は谷村城との説もある。改正三河後風土記に... |
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甘粕景持
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏家臣。越後国飯塚灰毛城主。初名は長重(ながしげ)。後に主君である長尾景虎(上杉謙信)の一字を拝領して... |
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宇佐美定満
戦国時代の武将。越後琵琶島城(枇杷島城)主(現在の新潟県柏崎市)。越後上杉氏の家臣。上杉謙信の軍師「宇佐美定行」の名で知られる。上杉二十五将、上杉四... |
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長尾晴景
戦国時代の武将。越後の戦国大名、越後守護代である。 |
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樋口惣右衛門
天地人直江兼続 ◇樋口惣右衛門◇ ◇天地人キャスト高嶋政伸◇ 高嶋 政伸 たかしま まさのぶ 生年月日 1966年10月27日 出生地 日本, 東京都 父は高島忠夫、母は寿美花... |
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本庄繁長
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。上杉氏の重臣。 |
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北条高広
戦国時代の武将。長尾氏(上杉氏)に仕えた。北条広春(安田広春)の子(養子で実父は北条高定とも)。北条景広・北条勝広・北条高広(父と同名)の父。丹後... |
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長尾政景
長尾政景(ながおまさかげ)は戦国時代の武将。上田長尾氏の当主で越後坂戸城主。上杉景勝の実父である。 |
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柴田勝家
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。 |
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プロフィール
- 直江景綱とは
- 生涯
- 系譜
- 参考文献
- 関連作品
- 関連項目
直江景綱(なおえかげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の守護代・戦国大名の長尾氏(上杉氏)の家臣。山東郡(三島郡)与板城城主。 長尾為景・晴景・景虎(後の 上杉謙信)の3代にわたって仕えた宿老で、奉行職を務め主に内政・外交面で活躍した。また七手組大将の一人として軍事面で活躍することもあった。
生涯
| 直江親綱の子として生まれる(生年は永正6年(1509年)か)。 |
| 直江氏は元は越後守護上杉氏の家臣・飯沼氏の被官であったが、永正11年(1514年)、守護代・長尾為景によって飯沼氏が滅ぼされると、その居城・本与板城(後に与板城)の城主となっていた。 |
| 仮名は神五郎、初名は実綱と名乗った。 |
| 天文8年(1539年)からの守護・上杉定実の養子問題を巡る天文の乱では、中条藤資、平子氏らと共に入嗣推進派を形成した。 |
| 天文11年(1542年)には伊達家へ時宗丸(伊達実元)の迎えの使者にあたっている。 |
| 天文16年(1547年)、長尾氏家中で兄・晴景と弟・景虎との間に抗争が起こった際には、藤資や本庄実乃らと共に景虎を支援した。 |
| 弘治2年(1556年)、景虎の出家騒動中に藤資らが守護譜代の大熊朝秀を追放したのを機に、実乃らと共に奉行職として政務の多くを任されるようになる。 |
| 永禄2年(1559年)の景虎2度目の上洛の際には、神余親綱と共に朝廷および幕府との折衝にあたり、翌3年(1560年)、前関白の近衛前久(当時は前嗣)が越後に来訪したときにはその饗応役を務めた。 |
| また同年からの相模国の北条氏康討伐のために景虎が関東に出陣している間、春日山城の留守居を吉江景資と共に任されている。 |
| 永禄4年(1561年)、川中島の戦い(第四次合戦)では、小荷駄奉行として出陣し武田義信の軍を敗走させるなどの功を立てたという。 |
| 永禄5年(1562年)、大和守に任官し、「政綱」と改名する。 |
| 永禄7年(1564年)、謙信のかつての諱である「景虎」から一字を拝領して「景綱」と名乗ることになった。 |
| 天正3年(1575年)の「上杉家軍役帳」によると305人の軍役を課せられていたとあり、旗本衆の中でもとりわけ重きを成していたことがわかる。 |
| 以後も、天正4年(1576年)からの能登遠征に従い石動城(石川県中能登町)を守るなど、謙信に従って各地に従軍したが、天正5年(1577年)3月5日に病没した。 |
| 享年は69歳といわれている。 |
| 墓所は徳昌寺(新潟県長岡市与板町)。 |
| 景綱には男子がなく、婿養子となっていた直江信綱(長尾氏出身)が後を継いだ。 |
| 後に信綱が毛利秀広に殺害されると、大身の直江家を押さえようとした上杉景勝の命で、景勝側近の樋口兼続(直江兼続)が信綱未亡人を娶り、直江家を相続した。 |
系譜
| 直江氏は神氏の一族あるいは藤原麻呂の後裔ともいわれるが、系譜に関しては不明瞭な部分が多い。 |
| 史料で確認できるのは景綱の父・親綱からである。 |
| 正室:正国尼(山吉政久の娘、生年不詳-元亀元年4月20日(1570年6月3日))。 |
| 巨躯悪相であったために景綱からは遠ざけられていたという。 |
| 景綱と妹の間に男子が誕生するとその子を奪い、妹に正室の座を譲って剃髪し隠居したという。 |
| 継室:山吉政久の娘(名、生没年不詳)。 |
| 正国尼の妹で、正国尼の隠居後に正室となる。 |
| 景綱の死後も上杉謙信に近侍し、謙信臨終の際には上杉景勝を継嗣とするなどの遺言を聞き届けたという。 |
| 男子(名、生没年不詳)。 |
| 誕生間もなく正国尼によって連れ去られてしまったという。 |
| 景綱には家督を継ぐ男子がなく、景綱存命中に総社長尾氏から藤九郎(信綱)を婿に迎える。 |
| 信綱の間には実子もいたが、後に信綱が殺害されると、景勝の命令で樋口氏の兼続と再婚させられた。 |
| 側室:北条輔広の娘(名、生没年不詳)。 |
| 伊勢松(生没年不詳)。 |
| 女子(名、生没年不詳)。 |
| 夏戸城主志駄義時に嫁ぎ、義秀を産む。 |
| 直江信綱(長尾顕方あるいは長尾景秀の子)。 |
| 直江兼続(樋口兼豊の子)。 |
関連作品
| 『天と地と』(1990年、演:浜田晃)。 |
| 『武田信玄』(1988年NHK大河ドラマ、演:宇津井健)。 |
| 『風林火山』(2007年NHK大河ドラマ、演:西岡徳馬)。 |
| 『天地人』(2009年NHK大河ドラマ、演:宍戸錠)。 |
| 『軒猿』藪口黒子(月刊ヤングジャンプ、集英社)。 |
関連項目
| 戦国時代の人物一覧。 |
| 与板城-直江氏の居城。 |
| 本与板城-直江氏初期の居城。 |
| 徳昌寺-直江氏の菩提寺。 |
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1514年
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守護代・長尾為景によって飯沼氏が滅ぼされる... |
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1542年
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伊達家へ時宗丸(伊達実元)の迎えの使者にあ... |
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