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17 真喜志康忠先生。我ん腰当(くさてぃ)その1
上の写真は、真喜志康忠先生自伝「沖縄芝居五〇年」の表紙。
うちなーぐちに「腰当(くさてぃ)」という言葉がありますが、元々の意味は「後ろにすること」、「背にすること」という意味で、それが転じて「根拠になるもの」という意味でも使われます。
国立国語研究所編『沖縄語辞典』が私のうちなーぐちの根拠になるものと紹介しましたが、それは文献の事であり、生きた私のうちなーぐち、それを学んだのは「真喜志康忠(まきし こうちゅう)」先生です。
真喜志康忠先生は1923(大正12)年に、那覇市高橋町(現 那覇市泊)に生まれ、数え年9歳(昭和7年)からうちなー芝居の道へ入り、戦前、戦後のうちなー芝居のスターとして、誰でも知っているというほどのうちなー芝居の名役者です。
さて、ここで私と康忠先生との関わりの前に、私自身の生い立ちにおける時代 ... もっと見る
17 真喜志康忠先生。我ん腰当(くさてぃ)その1
上の写真は、真喜志康忠先生自伝「沖縄芝居五〇年」の表紙。
うちなーぐちに「腰当(くさてぃ)」という言葉がありますが、元々の意味は「後ろにすること」、「背にすること」という意味で、それが転じて「根拠になるもの」という意味でも使われます。
国立国語研究所編『沖縄語辞典』が私のうちなーぐちの根拠になるものと紹介しましたが、それは文献の事であり、生きた私のうちなーぐち、それを学んだのは「真喜志康忠(まきし こうちゅう)」先生です。
真喜志康忠先生は1923(大正12)年に、那覇市高橋町(現 那覇市泊)に生まれ、数え年9歳(昭和7年)からうちなー芝居の道へ入り、戦前、戦後のうちなー芝居のスターとして、誰でも知っているというほどのうちなー芝居の名役者です。
さて、ここで私と康忠先生との関わりの前に、私自身の生い立ちにおける時代背景の事を書こうと思います。
私は1969(昭和44)年にうちなーに生まれ、育ちました。金武町出身の実母の兄夫婦、つまり、伯父伯母に生後すぐ引き取られ、生活はずっとコザ(現 沖縄市)でした。
私の世代はうちなーぐちを父母から教えてもらえず、学校教育もすべて日本語なので、うちなーぐちはあまり分からないというのが実情です。
私はうちなーぐちの講師をしていて、これまで何百人という人にうちなーぐちを教えて来ました。
教えながらも、どれぐらいの年齢までが、うちなーぐちを理解できないか、常にチェックしてきました。
そこで得た、私なりの結論ですが、大体私より10歳ぐらい年上の世代、つまり1959年以後生まれた人は、うちなーぐちはあまり理解できない世代だと言えると思います。
2010年現在で、1959年生まれの方というのは51歳です。
大体、この年から上の世代になると、うちなーぐち母語話者の確率は増えていき、この年から下は極端に減っていきます。
こう書いて、ようやく分かってもらえると思うのですが、うちなー芝居というのはすべて、うちなーぐちでやります。したがって、現在51歳から年下の世代は、うちなー芝居を見てもほとんど意味が分からないのです。
ですから、真喜志康忠という名を聞き、分かるというのは、51歳より上の方だというのも事実で、私の同級生、現在41歳の世代は5人にひとり、もしくは10人にひとりしか真喜志康忠という存在を知らないでしょう。
その2に続く
Date: 2010/11/01(月) 戻る
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