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真田昌幸
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃先方衆として甲斐武田氏家臣となった信濃の地域領主・真田氏の出自。武田信玄時代の武田家に仕え、武田... |
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戦国時代の武将。信濃の在地領主で、甲斐国の戦国大名である武田氏の家臣。幼名は次郎三郎、通称は源太左衛門、剃髪して一徳斎と号す。諸系図では幸隆と記さ... |
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真田信幸
名前 真田 信幸 -Nobuyuki Sanada- 年齢 20 (登場時の年齢) 性別 男 所属・地位 上田城跡取 性格 誠実で温和だが、父譲りの智謀の持ち主 一人称 ... |
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戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総国大多喜藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。徳川... |
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池波正太郎(いけなみしょうたろう、1923年(大正12年)1月25日-1990年(平成2年)5月3日)は戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商... |
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真田信繁
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安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。上田藩藩主(後に松代藩に移封)・真田信之(信幸)の妻。徳川氏譜代家臣の本多忠勝の長女(第1子)で、母は側... |
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適正な財務会計導入が必須です。 実務経験豊富な公認会計士の知識と経験を有効にご活用ください。 |
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真田昌輝(さなだまさてる、天文11年(1543年)-天正3年5月21日(1575年7月9日))は戦国時代の武将。武田信玄の家臣。幼名を徳次郎。兵部丞、兵部少輔。名は... |
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真田信政
江戸時代初期の大名。信濃国松代藩第2代藩主。初代藩主真田信之の次男。母は本多忠勝の娘・小松姫。信吉の弟、信重の兄。正室は稲垣重綱の娘。側室に浜松の局... |
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真田信吉
江戸時代初期の大名。上野沼田城の初代城主。真田信幸(信之)の長男。母は側室とされる真田信綱の娘。信政、信重の異母兄。正室は酒井忠世の娘・松仙院。子... |
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小早川隆景
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プロフィール
- 真田信之とは
- 武田家臣時代
- 武田滅亡後
- 徳川家臣に
- 関ヶ原の戦い
- 江戸時代
- 人物・逸話
- 評価
- 参考文献
- 小説
- 漫画
- 映画
- テレビドラマ
- 関連サイト
真田信之(さなだのぶゆき)は、安土桃山時代から江戸時代の武将・大名。信濃上田藩の初代藩主。後に信濃松代藩の初代藩主。
武田家臣時代
| 永禄9年(1566年)、真田昌幸(当時は武藤喜兵衛)の長男として生まれる。 |
| 母は宇多頼忠の娘・寒松院(山手殿)。 |
| 父の昌幸が甲斐国の武田氏に臣従したため、信幸は人質として過ごした。 |
| 天正7年(1579年)、武田勝頼の嫡男・武田信勝の元服と同時に元服を許され、信勝の1字を賜って信幸と名乗った。 |
| 天正10年(1582年)に武田氏が織田信長によって滅ぼされると父のもとへと逃れた。 |
武田滅亡後
| 真田氏は織田氏に臣従し、本領を安堵されるも、僅か3ヶ月後に織田信長が本能寺で横死する(本能寺の変)。 |
| 信長の死を知った北条氏直は織田家臣・滝川一益を神流川の戦いで破ると、真田氏は後北条氏に臣従の構えを見せた。 |
| 同じ頃、上杉景勝が信濃へ進出していたが、信幸は川中島へ度々出陣し上杉領の海津城を撹乱した。 |
| だが、やがて徳川家康の家臣・依田信蕃、叔父の真田信尹らの誘いにより、沼田城を北条方から奪還、真田氏は北条氏に敵対する。 |
| 信幸は手勢800騎を率い、北条方の富永主膳軍5,000が防衛する手子丸城を僅か一日で奪還し、武功を挙げた(加沢記)。 |
| 依田信蕃らのゲリラ戦も功を奏し、真田氏は北条方を沼田から駆逐することに成功する。 |
| 天正12年(1584年)、真田氏は小県郡を支配する室賀氏と争い、小規模戦闘にて勝利を重ね、和睦に持ち込む。 |
| 直後に信幸は父・昌幸と共謀して当主・室賀義澄を殺害し、真田氏は小県を支配下に治めた。 |
| 同年、なおも真田領を狙う北条氏の侵攻に対し、北条氏邦の奇襲を察知した信幸は吾妻仙人ヶ窟にてこれを撃退している(松城通記)。 |
徳川家臣に
| 父が徳川家康に一時は臣従して上杉景勝軍と交戦するも、天正13年(1585年)、昌幸が沼田領を巡る家康からの要求を拒絶し、上杉に臣従すると信幸は父と共に徳川軍と戦う(第一次上田合戦)。 |
| 信幸は支城の戸石城に兵300余名で着陣、徳川軍の主力部隊を巧みに奥地に誘き寄せ、勝利に貢献する。 |
| その後、昌幸は豊臣秀吉に臣従し、天正17年(1589年)には家康とも和睦が成立すると、真田家は徳川氏の与力大名となった。 |
| このとき、家康は信幸の才能を高く評価し、家康は駿府城に信幸を出仕させて重臣の本多忠勝の娘・小松姫を養女とし、信幸に娶らせた。 |
| 天正18年(1590年)、後北条氏征伐である小田原の役では上野松井田城攻めで戦功をあげ、戦後に沼田領が真田家の所領として確定すると沼田城主となる。 |
| 文禄3年(1594年)には従五位下・伊豆守に叙位・任官される。 |
| 豊臣秀吉の朝鮮征伐である文禄・慶長の役では肥前名護屋まで赴いている。 |
関ヶ原の戦い
| 秀吉死後、慶長5年(1600年)に失脚していた五奉行の石田三成が挙兵する。 |
| 父と弟・信繁は三成ら西軍に付いたのに対し、信幸は家康ら東軍に参加することを決め、徳川秀忠軍に属して上田城攻め(第二次上田合戦)に参加する。 |
| 戦いの前に義弟の本多忠政と共に父の説得に赴いたが、結局失敗に終わったとされる。 |
| 信幸は弟・信繁が防衛する戸石城の攻略を命じられたが、真田兵同士の消耗を避ける為開城請求の使者を派遣、信繁も兄の意を汲み開城に応じた。 |
| 信幸は入城後守備し、信繁は昌幸のいる上田城へ撤退する。 |
| しかし秀忠軍本隊は昌幸の善戦にあって関ヶ原の戦いには遅参し、本戦には参加することができなかった。 |
江戸時代
| 戦後、昌幸の旧領に加え3万石を加増されて9万5,000石(沼田3万石を含む)となり、上田藩主となったが引き続き沼田城で本拠とした。 |
| 信幸は昌幸らの助命を嘆願し、西軍に付いた父との決別を表すために、名を信幸から信之に改めている。 |
| 義父の忠勝の働きかけもあり、昌幸らは助命され、紀伊九度山へ流罪となる。 |
| その後、父が亡くなったおりに、信之は父の葬儀を執り行えるよう幕府に許可を願い出たが、許されなかった。 |
| 慶長19年(1614年)からの大坂の役では病気のために出陣できず、長男の信吉と次男の信政が代理として出陣している。 |
| 元和8年(1622年)、信濃国松代藩に加増移封され、13万石(沼田3万石は継承)の所領を得る。 |
| 明暦元年(1656年)、長男の信吉や嫡孫で信吉の長男・熊之助が既に死去していたため、次男の信政に家督を譲って隠居する。 |
| しかし万治元年(1658年)2月に信政も死去した。 |
| この時、真田家では後継者争いが起こり、長男の血統(信吉の次男)である沼田城主・信利が次男の血統(信政の6男)である幸道の家督相続に異議を唱えて幕府に訴える事態となり、幕府や縁戚の大名を巻き込んだ騒動となる。 |
| 最終的には幸道が第3代藩主となり、2歳の幼少のために信之が復帰して藩政を執った(この騒動により信利の領地は沼田藩として独立し、松代藩は10万石となる)。 |
| しかし信之も10月に死去した。 |
| 墓所は長野県長野市の大鋒寺。 |
| 肖像画も所蔵されている。 |
| また、真田家の菩提寺長国寺には、藩祖信之の霊屋など歴代藩主の墓所が設けられている。 |
| 真田家は江戸時代を通じて存続し、途中で養子が入り信之の系統は断絶したものの、幕末に老中を出した。 |
| 明治には真田子爵(後に伯爵)家となる。 |
人物・逸話
| 着用していたとされる着物、胴丸等から身長は6尺1寸(約185cm)と推測されている。 |
| 当時としては非常に長身である。 |
| 温厚な人物だったといわれる。 |
| しかし、松代に転封された際にはこれに不服を持ち、検地資料などの重要書類を焼き捨てた上で、さらに上田城の植木や燈籠などを全て引き抜き、持ち去ったと言われる。 |
| 関ヶ原の戦いにおいて、父弟らによって秀忠が遅参したことや、大坂の役において弟が幕府軍を苦しめたことから真田家は秀忠に睨まれることが多く、そのために献身的に幕府の公役を務めたといわれる。 |
| 松代への移封は加増されているとは言え、秀忠の嫌がらせの1つとされている。 |
| 松代へ移封した際には20万両という大金を持って入封し、妻の小松姫と共に倹約家として有名であった。 |
| また、九度山へ配流された父弟にも生活が困らぬよう自費で生活援助を行っていた。 |
| 天正10年(1582年)10月、離反した真田氏征伐の為、北条氏は沼田へと軍を向ける。 |
| 当時17歳の信幸を大将とし真田軍800は手子丸城救援の為に駆けつけるも、時既に遅く城は陥落、城主・大戸真楽斎とその弟(子とも)・但馬守は自害してしまう。 |
| 信幸は真田家臣唐沢玄蕃に命じて北条軍前衛を挑発、誘導し伏兵によりこれらを掃討する。 |
| 真田軍の巧妙な戦術に対応しきれないまま、北条軍は兵力の消耗を恐れ篭城を選択した。 |
| 正面に比べ警戒の薄い北の丸に着目した信幸は工作部隊を派遣。 |
| 北の丸より侵入した工作部隊は「裏切者が出た」と叫びながら放火し、不意を突かれた北条軍は同士討ちを行う程の混乱に陥った。 |
| 信幸はこの機を逃すことなく50人の決死隊を率い、自らも槍を取って突入する。 |
| 前備の鎌原幸重を失うも正面に展開していた兵100名が挟撃し、ついに手子丸城本丸の奪取に成功した。 |
| 世に平穏が訪れたのち、かつて手子丸城の守将であり、徳川将軍家旗奉行となっていた富永主膳は自身を打ち負かした信之の采配を絶賛し、昔話として幾度も語ったという。 |
評価
| 後世に「真田幸村」と呼ばれ伝説化した弟・信繁、また「表裏比興の者」と評された父・昌幸と比べると一般には知名度の低い人物である。 |
| しかし、長らく人質として過ごしてきた信繁と異なり、早くから昌幸の片腕として活躍し、第一次上田合戦を始めとする北条・上杉・徳川との戦いで勝利を重ねて真田家を守ってきた武将である。 |
| この活躍によって、敵方である徳川の重臣・本多忠勝の娘である小松姫を娶っている。 |
| 豊臣秀吉の死後の混乱期においては徳川に属して家名を守り抜き、徳川の治世下でも幕府に対する忠誠と父譲りの才気で明治まで続く上田藩(松代藩)の基盤を固めたことは、父弟の評価に何ら劣るところはない。 |
| また、当時としては異例の93歳という長命は、晩年において戦国時代を生で知る数少ない人物として幕府内でも一目置かれる存在であった。 |
参考文献
| 笹本正治『真田氏三代真田は日本一の兵』ミネルヴァ書房、2009年ISBN4623054446。 |
小説
| ;主人公として登場する小説。 |
| 池波正太郎『真田太平記』(一)~(十二)(新潮文庫、1987-1988年、初版:朝日新聞社、1974-1983年)。 |
| 池波正太郎『獅子』(中公文庫、1995年、中央公論社)。 |
| 川村真二『真田信之』(PHP研究所、2005年)。 |
| 志木沢郁『真田信之』(学研M文庫、2009年)。 |
| 池波正太郎『真田騒動 恩田木工』(新潮文庫、1984年)。 |
| 津本陽『真田忍侠記』(毎日新聞社、1996年)。 |
| 上田秀人『斬馬衆お止め記御盾』(徳間文庫、2009年)、『同破矛』(徳間文庫、2010年)。 |
テレビドラマ
| ;主人公として登場するテレビドラマ。 |
| 『真田太平記』(1985-1986年、NHK新大型時代劇)渡瀬恒彦。 |
| ;その他のテレビドラマ。 |
| 『関ヶ原』(1981年、TBS)西田健。 |
| 『風雲!真田幸村』(1989年、テレビ大阪)楠年明。 |
| 『家康が最も恐れた男真田幸村』(1998年、テレビ東京)前田吟。 |
| 『葵徳川三代』(2000年、NHK大河ドラマ)堀越大史。 |
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1566年
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真田昌幸(当時は武藤喜兵衛)の長男として生... |
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1582年
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離反した真田氏征伐の為、北条氏は沼田へと軍... |
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