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つながりの強いひと
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熊倉伸宏
著者情報 熊倉 伸宏 1942年生まれ。精神衛生学を専門とする精神科医。1969年東京大学医学部卒業。医学部助手を経て、英国フルボーン病院勤務。帰国後、東邦大... |
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南雲忠一
日本海軍の軍人。太平洋戦争において日本海軍機動部隊の司令長官として主要な海戦で指揮を執った。海軍大将、従三位、勲一等、功一級。 |
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矢野志加三
同期
日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。愛媛県松山市出身。 |
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山本五十六
新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死す... |
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土肥健純
土肥 健純 教授 昭和22年5月29日生まれ、東京都出身 昭和52年3月 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士。 昭和54年4月 東京電機大学工... |
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島津忠重
島津氏30代当主。島津忠義の嫡男(正確には四男)。海軍少将正二位勲一等公爵。神号は「島津忠重命」。幼名は秀丸。嫡男は島津忠秀。次男・晃久は海軍技術大... |
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佐久間一郎
佐久間 一郎
東京大学大学院工学系研究科 教授 学歴 1982年 東大工学部精密機械を卒業 1984年 東大大学院工学系研究科精密機械工学専攻修士課... |
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石射猪太郎
石射猪太郎(いしいいたろう、1887年2月6日-1954年2月8日)は日本の外交官。日中戦争初期に外務省東亜局長を務めた。戦争拡大に走る軍部に抵抗し、日中和平を... |
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前田利為
日本の華族、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。旧加賀藩主前田本家第16代目当主(侯爵)である。 |
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吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
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高木惣吉
同期 友達
日本の海軍軍人で最終階級は海軍少将。また東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。旧制中学課程を経ることなく海軍兵学校に進み、海軍大学校を首席で卒業す... |
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松平恒雄
日本の外交官、政治家。外務次官、駐英大使、駐米大使、宮内大臣、初代参議院議長を歴任した。 |
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小林英津子
医療 ロボット の研究をされている小林英津子 准教授 です。 同じ学生アシスタントの柴田君の協力を得て、インタビューに行ってきました。 医療 ロボット っ... |
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末次信正
日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将、第1次近衛内閣の内務大臣。日本海軍を代表する作戦家の一人であり、連合艦隊司令長官として令名を謳われた。一... |
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藤江正克
日本のロボット工学者、早稲田大学教授。長く日立製作所でロボット開発に従事し、4足歩行ロボットの歩行機構の新たな方式を発明した。その後は、高齢者向け歩... |
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有馬正文
友達
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。鹿児島県日置市出身。 |
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宮下充正
日本市民スポーツ連盟会長、(社)日本エアロビックフィットネス協会会長、日本ウオーキング協会名誉会長などとして、国民の健康・体力づくりにかかわってい... |
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井上成美
日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。宮城県仙台市出身。親英米派(条約派)の米内光政、山本五十六の人脈に属し、日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反... |
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岡本淳
『ザ・選挙』TOPページ TOP > 高知県 > 大豊町 >政治家情報 大豊町議会議員 岡本 淳 (オカモト アツシ) 【出身】 【生年】 1944年 【党派】無所属... |
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プロフィール
- 矢野英雄とは
- 略歴
- 人物像
- 年譜
- 参考文献
- 関連項目
矢野英雄(やのひでお、1894年(明治27年)11月1日-1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。香川県観音寺市出身。
略歴
| 旧制香川県立三豊中学校より海軍兵学校第43期入校。 |
| 入校時成績順位は100名中第58位、卒業時成績順位は96名中第12位。 |
| 矢野はロンドンに2度駐在している。 |
| 1度目はロンドン海軍軍縮会議に伴う駐在要員で大使が松平恒雄、海軍駐在武官が島津忠重、陸軍駐在武官が前田利為とかつて大名だった家柄の者ばかりで、同時期に在勤した石射猪太郎が自著で「日本政府はロンドンに幕府を開くつもり」と揶揄した時代だった。 |
| 2度目の在勤のときは大使が吉田茂で、矢野は吉田に重用されたそうである。 |
| しかし海軍兵学校同期の高木惣吉や後輩の大井篤の著述によると、明敏な性格ながらも大勢に順応するタイプだったらしく、軍務局第1課長在任中の日独伊三國同盟條約締結の是非に就いては、明確な態度を表明していない。 |
| 神重徳や柴勝男のような親独主戦論者を井上成美が抑制したような言動はなかったようである。 |
| 中部太平洋方面艦隊参謀長には、本来海軍兵学校同期の矢野志加三が就任する予定だった。 |
| しかし海軍省に電波本部が設置され、矢野志加三が総務部長に就任する事に決定した為、代りに矢野英雄が就任する事になったという経緯がある。 |
| 3月3日に開催された壮行会の席上、矢野は「今度日本に帰って来る際は白木の箱入り」と憂鬱そうな表情で挨拶し、壮行会は終始重苦しい空気に包まれたものだったと言う。 |
| 充分な艦船も与えられていない艦隊と名ばかりの組織ではサイパンに上陸した米軍の攻勢に抗する事は叶わず、矢野は司令部において南雲忠一司令長官とともに戦死した。 |
| 海軍中将に特別昇進している。 |
人物像
| 「矢野は2度の在英で紳士に磨きをかけて来た」と同期から揶揄されたという。 |
| 海軍兵学校同期の高木惣吉とは練習艦隊実習船の磐手も同じだった事も影響して仲が良かった。 |
| 高木は有馬正文、横井忠雄、上阪香苗、三好輝彦などとも終生の親友だったが、三好の殉職、矢野と有馬の戦死と訃報が相次ぎ、覚悟はしていたものの精神的ショックが隠せなかったという。 |
年譜
| 1894年(明治27年)11月1日-香川県三豊郡観音寺町(現在の観音寺市)生。 |
| 1912年(大正元年)9月9日-海軍兵学校入校入校時成績順位100名中第58位。 |
| 1915年(大正4年)12月16日-海軍兵学校卒業卒業時成績順位96名中第12位・任海軍少尉候補生・1等巡洋艦「磐手」乗組・練習艦隊近海航海出発佐世保~仁川~旅順~大連~鎮海~舞鶴~鳥羽方面巡航。 |
| 1916年(大正5年)4月3日-帰着。 |
| 4月20日-練習艦隊遠洋航海出発香港~シンガポール~フリーマントル~メルボルン~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヤルート~ポナペ~トラック~父島方面巡航。 |
| 8月22日-帰着。 |
| 12月1日-任海軍少尉・戦艦「三笠」乗組。 |
| 1917年(大正6年)6月20日-1等巡洋艦「阿蘇」乗組。 |
| 10月10日-2等巡洋艦「千歳」乗組。 |
| 1918年(大正7年)12月1日-任海軍中尉。 |
| 1919年(大正8年)7月17日-3等駆逐艦「長月」乗組。 |
| 12月1日-海軍砲術学校普通科学生。 |
| 1920年(大正9年)5月31日-海軍水雷学校普通科学生。 |
| 12月1日-2等駆逐艦「樅」乗組。 |
| 1921年(大正10年)12月1日-任海軍大尉・海軍大学校航海学生(第21期)。 |
| 1922年(大正11年)11月29日-海軍大学校航海学生首席修了。 |
| 12月1日-1等駆逐艦「野風」航海長兼分隊長。 |
| 1923年(大正12年)5月1日-1等海防艦「八雲」分隊長少尉候補生指導官。 |
| 11月7日-練習艦隊遠洋航海出発上海~馬公~マニラ~シンガポール~バタヴィア~フリーマントル~メルボルン~ホバート~シドニー~ウェリントン~オークランド~ヌーメア~ラボール~トラック~パラオ~サイパン方面巡航。 |
| 1924年(大正13年)4月5日-帰着。 |
| 4月21日-海軍兵学校教官兼監事。 |
| 1926年(大正15年)3月10日-運送艦「室戸」航海長。 |
| 11月20日-呉鎮守府附。 |
| 12月1日-海軍大学校甲種第26期学生。 |
| 1927年(昭和2年)12月1日-任海軍少佐。 |
| 12月6日-海軍大学校甲種卒業卒業時成績順位22名中第3位。 |
| 1928年(昭和3年)12月10日-海軍軍令部出仕。 |
| 1929年(昭和4年)2月1日-在イギリス日本大使館附海軍駐在武官府補佐官補ロンドン軍縮会議駐在要員。 |
| 1931年(昭和6年)2月1日-帰朝。 |
| 5月1日-重巡洋艦「那智」運用長兼分隊長。 |
| 9月5日-海軍軍令部兼海軍省出仕。 |
| 12月1日-海軍省軍務局員。 |
| 1932年(昭和7年)12月1日-任海軍中佐。 |
| 1935年(昭和10年)8月15日-海軍軍令部兼海軍省出仕。 |
| 10月31日-第2艦隊司令部附。 |
| 11月15日-第2艦隊航海参謀。 |
| 1936年(昭和11年)12月1日-在イギリス日本大使館附海軍駐在武官艦政本部造船造兵監督長。 |
| 1939年(昭和14年)2月10日-帰朝。 |
| 6月22日-第5水雷戦隊司令部附。 |
| 7月1日-軽巡洋艦「長良」艦長。 |
| 9月1日-海軍軍令部兼海軍省出仕。 |
| 10月10日-海軍省軍務局第1課長。 |
| 1940年(昭和15年)11月15日-重巡洋艦「妙高」艦長。 |
| 1941年(昭和16年)8月11日-戦艦「長門」艦長。 |
| 1942年(昭和17年)11月1日-任海軍少将。 |
| 11月10日-海軍軍令部出仕。 |
| 12月1日-海軍軍令部第3部長兼大本営海軍報道部長。 |
| 1944年(昭和19年)3月2日-海軍軍令部出仕。 |
| 3月3日-壮行会開催。 |
| 3月4日-中部太平洋方面艦隊参謀長兼第14航空艦隊参謀長。 |
| 7月8日-戦死享年49戦死認定に依り海軍中将特別昇進。 |
参考文献
| 高松宮日記(細川護貞・阿川弘之・大井篤・豊田隈雄編・中央公論新社)ISBN4-12-490040-6C0320。 |
| 高木惣吉日記と情報・上下巻(みすず書房)ISBN4-622-03506-5C3031。 |
| 外交官の一生(石射猪太郎著・中公文庫)ISBN4-12-201376-3C1121。 |
| 自伝的日本海軍始末記(高木惣吉著・光人社)ISBN4-7698-0027-4C0095。 |
| 統帥乱れて北部仏印進駐事件の回想(大井篤著・毎日新聞社)ISBN4-620-30443-3C0020。 |
| 軍艦長門の生涯(阿川弘之著・新潮文庫)ISBN4-10-111007-7C0193(上巻) ISBN4-10-111008-5C0193(中巻) ISBN4-10-111009-3C0093(下巻)。 |
| 日本陸海軍の制度・組織・人事(日本近代史料研究会編・東京大学出版会)。 |
| 海軍兵学校沿革・第2巻(海軍兵学校刊)。 |
| 海軍兵学校出身者名簿(小野崎誠編・海軍兵学校出身者名簿作成委員会)。 |
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