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2006年は、4月終了時点でセ・リーグの打率ランキングで2位に付け、秋季キャンプで課題となっていたスローイングも補正され、ランナーを刺す場面も多くなり、とくに
高橋由伸のセンターコンバートで空いた右翼手の守備に適性を見せる。
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6月12日に左足小指の骨折が判明し、登録を抹消される。
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7月11日の札幌ドーム対横浜ベイスターズ戦で1軍復帰
スタメン出場。
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7月16日の対東京ヤクルトスワローズ戦で
高津臣吾から決勝点となるシーズン第6号ホームランを放ち、試合後のお立ち台では「この勢いで甲子園(対阪神タイガース3連戦)でも3つ取って来ます!」と話した。
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(なお、同3連戦の結果は雨天中止・雨天中止・敗戦だった。
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)その後故障の影響などもあり徐々に成績が下降したが、11盗塁、18二塁打と機動力がある事もアピールした。
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シーズン終了後には秋季キャンプを辞退し、ボルト除去手術を受けた。
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2007年は成績次第ではライバルにもなるとも思われた
高橋由伸の初球開幕本塁打、
谷佳知の完全復活により代打起用でシーズンを迎える。
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開幕13試合目に
スタメン起用されるとようやく初ヒットを放ち、以後徐々に復調すると、中堅手として
デーモン・ホリンズや
鈴木尚広と併用されたが、矢野がセンター守備に不慣れな面を見せたことから、「(
原辰徳監督曰く)攻撃と守備のバランスが取れた」ホリンズが
スタメン起用され、矢野が代打中心に起用されることになる。
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しかし、これがこの年の矢野に数々のエピソード(後述)を残すこととなった。
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終盤戦で不調の谷に替わり数試合
スタメン出場したものの、(いわゆる1打席に集中した「代打のバッティング」に特化していたのか)19打席ノーヒット。
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再び代打に戻るも、代打成績も落ちこむという悪循環に陥ってしまい、クライマックスシリーズでも目立った活躍もなく
スタメンを奪取するには及ばず。
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めぐり合わせの悪い1年となってしまったが、シーズンわずか46安打で二塁打14、三塁打2、本塁打7を記録。
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序盤と終盤の不振もあったものの、シーズン出塁率.354、長打率.538という数字は巨人の主軸打者に匹敵する数字を残した。
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秋季キャンプでは
脇谷亮太と共に強化選手に選ばれ、2008年オフは
仁志敏久(巨人→横浜)にスローイングなど外野守備を師事。
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さらに
渡辺俊介(千葉ロッテ・大学の先輩)らと行った初の海外(グアム)での自主トレでは、1日10時間トレを実行しており、いかに外野のレギュラーを奪取したいかが現れていた。
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2008年シーズン開幕前に右ひじ関節の炎症と診断されたが、何日経っても痛みがひかないため数日後再検査に行ったところ、右ひじの疲労骨折と診断された。
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6月に1軍昇格するが、故障が再発し数日で2軍降格。
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9月に2軍戦復帰するが、フェニックスリーグで左膝を負傷し、その後手術に踏み切る。
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ケガに泣いた1年となった。
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2009年、前年の膝の手術の影響\(リハビリ\)で、7月までは試合には未出場だったが、8月6日のイースタン公式戦\(東京ドーム\)で、4番指名打者で実戦復帰し、復帰初打席で しぶとくレフト前にタイムリーヒットを放ち、復帰後 初打席初安打初打点を記録した。
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その後は、8月11日のイースタン公式戦で、復帰後初ホームランを放つなど、活躍している。
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そして、矢野に対し 原監督は「後半戦は、矢野が
キーマン。
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矢野が上がってくれれば心強い」と話し、2軍監督の岡崎監督は8/6の復帰戦で「もう矢野を壊したくないんだ」「これから10年は巨人を引っ張っていく選手」「あれだけのリハビリに耐えてきた」と、矢野に対する熱い思いを語った。