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つながりの強いひと
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牛尾治朗
日本の実業家。ウシオ電機株式会社代表取締役会長、経済同友会代表幹事のほか、社会経済生産性本部会長、KDDI取締役、経済財政諮問会議議員などを歴任。日本... |
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小林陽太郎
日本の実業家。経済同友会終身幹事(元代表幹事)。日本電信電話相談役最高顧問。ソニー取締役会議長。国際大学理事長。慶應義塾評議員・理事。 |
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中曽根康弘
日本の政治家。位階は従六位。勲等は大勲位。財団法人世界平和研究所会長。中曾根康弘とも表記される。衆議院議員(20期)、科学技術庁長官(第7・25代)、運... |
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鹿島守之助
妻 親
日本の外交官、実業家、政治家、外交史研究家。法学博士。元鹿島建設会長。元参議院議員。文化功労者。旧姓永富。 |
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平岩外四
愛知県常滑市出身の財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長(在任、1990年(平成2年)12月21日-1994年(平成6年)5月27日)。... |
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桜井正光
日本の会社経営者。リコー代表取締役会長、NPO法人日本防災士機構評議員。経済同友会代表幹事を務めた。 |
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堤清二
日本の実業家、小説家、詩人。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。筆名は辻井喬(つじいたかし)、横瀬郁夫(よこせいくお)。日本芸術院会員、財団... |
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渥美健夫
日本の実業家、官僚。元鹿島建設(鹿島)名誉会長。妻伊都子は元鹿島建設会長鹿島守之助の長女。長男直紀の妻美恵子は元首相中曽根康弘の二女。 |
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五島昇
日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長。日本商工会議所会頭。五島慶太の長男。 |
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石川一郎
父
日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任、昭和23年(1948年)~昭和3... |
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稲葉興作
稲葉興作(いなばこうさく、1924年1月16日-2006年11月26日)はシンガポール生まれの実業家。石川島播磨重工業社長、会長、日本商工会議所会頭を務めた。 |
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影山光洋
日本の報道写真家。静岡県に生まれ、若い頃から写真撮影に親しむ。浜松商業卒業後、画光舎に勤める。その後、東京高等工芸学校に進み(一期生)、卒業後朝日... |
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菊池久
トップページ > 組織でさがす > 生涯学習課 > 足利市生涯学習センター指導者情報 菊池 久 足利市の生涯学習情報を幅広くご提供するために、生... |
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永野重雄
永野重雄(ながのしげお、1900年7月15日-1984年5月4日)は日本の実業家である。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。新日本製鐵会長などを歴任し... |
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吉田秀和
日本の音楽評論家、随筆家。クラシック音楽の豊富な体験・知識をもとに、音楽の持つ魅力や深い洞察をすぐれた感覚的な言葉で表現、日本の音楽評論において先... |
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斎藤英四郎
新日本製鐵(新日鉄)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。新潟県北蒲原郡安田町(現・阿賀野市)出身。新潟中学校、旧制新潟高等学校を卒業。東京... |
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飯田亮
飯田 亮(イイダ マコト) セコム株式会社取締役最高顧問。1933年、東京・日本橋生まれ。神奈川県立湘南高校卒業。1956年、学習院大学政治経済学部経済学科卒... |
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下条みつ
日本の政治家。衆議院議員(3期)。羽田グループに所属。前原グループに入会祖父は文部大臣を務めた下条康麿(父方)や経団連初代会長を務めた石川一郎(母方)... |
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盛田昭夫
日本の技術者、実業家。井深大とともにソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。 |
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プロフィール
- 石川六郎とは
- 生涯
- 年譜
- 家系
- 関連書籍
- 関連サイト
石川六郎(いしかわろくろう、 1925年(大正14年)11月5日-2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻は鹿島の第4代社長・ 鹿島守之助の娘。父は 石川一郎初代経団連会長。学位は工学博士(東京大学)。称号は日本商工会議所・ 東京商工会議所名誉会頭。その他の役職として日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問を務めた。鹿島を建設業界最大手のゼネコンに押し上げた。芸術・スポーツの振興にも力を注いだ。東京大学名誉教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)学長を務めた
生涯
| 東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に化学会社の常務だった石川一郎、冨美子の六男として誕生。 |
| 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制成蹊高等学校を経て、東京帝国大学(現東京大学)第二工学部に入学。 |
| 他の5人の兄弟が応用化学を学ぶ中、彼は土木工学を専攻した。 |
| 昭和23年(1948年)に同大学を卒業した後、運輸省(現国土交通省)に入省。 |
| 日本国有鉄道に勤務中、鹿島の第4代社長・鹿島守之助の目に留まった。 |
| これを契機に鹿島家との交流を深めた六郎は1953年、守之助の二女で画家のヨシ子と結婚。 |
| また、守之助から鹿島への入社を打診された。 |
| 六郎はこれを受諾し、1955年(昭和30年)に国鉄を退社。 |
| 取締役として鹿島に入社した。 |
| 入社後の六郎は、原子力開発に尽力した。 |
| 父・一郎が原子力委員会委員長代理として原子力政策に携わっていたことも影響しているとみられる。 |
| 将来のエネルギー需要を満たすために原子力が必要とされると確信した六郎は、社内に原子力室を新設し、初代室長に就任した。 |
| 役員会は巨大なリスクを懸念して反対したが、六郎は積極的に原子力分野への進出を推進した。 |
| 1957年(昭和32年)に日本原子力研究所第1号原子炉を受注したのをはじめ、東京電力福島原子力発電所など多くの原子力発電所を受注した。 |
| また、日本における超高層ビルの魁・霞が関ビルの建設を主導した。 |
| 1978年(昭和53年)、鹿島の第7代社長に就任。 |
| 「精神作興(せいしんさっこう:精神を奮い起こすこと)」を掲げ、TQC(TotalQualityControl:総合的品質管理)をいち早く導入するなど、社内改革を推進した。 |
| また、九頭竜ダムや名神高速道路などの大型案件を受注した。 |
| オイルショック後の景気低迷や、静岡県で発覚した談合事件への批判などにより、「建設業冬の時代」と称された1982年(昭和57年)、日本土木工業協会会長に就任。 |
| 建設業界の信頼と業績の回復に努めた。 |
| 1984年(昭和59年)、社長職を鹿島昭一に譲り会長に就任。 |
| 1986年(昭和61年)藍綬褒章を受章した。 |
| 1987年(昭和62年)5月、日本商工会議所第15代会頭に就任。 |
| 第14代会頭・五島昇が病気退任するに当たり、五島の強い推薦を受けての就任であった。 |
| 日商会頭としては、消費税導入にあたり、「条件付き導入」を主張するとともに、各地の商工会議所が消費税導入に反対していたのを説得した。 |
| 1993年(平成5年)ゼネコン汚職で当時の鹿島副社長が逮捕されたことを受けて、事件との関連は否定しつつも全ての役職から辞任した。 |
| その後も、日商・東商の名誉会頭として後進の育成に当たったほか、日伊協会会長、日独協会理事、日本・ベルギー協会理事、日墺文化協会理事、森記念財団評議員、五島記念文化財団理事、慶應工学会理事、日本英語交流連盟(ESUJ)顧問、ジェスク音楽文化振興会理事、地球環境行動会議(GEA)相談役、日本外交協会理事、社会経済生産性本部理事などを務めた。 |
| 2005年(平成17年)12月14日午後9時41分、心不全のため東京都内の病院で死去、80歳。 |
| 2006年(平成18年)1月24日、鹿島・日商・東商の合同葬が築地本願寺で営まれた。 |
年譜
| 1938年 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。 |
| 1943年 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。 |
| 1945年 旧制成蹊高等学校卒業。 |
| 1945年 東京帝国大学第二工学部(現東京大学工学部)土木工学科に入学。 |
| 1948年 東京帝国大学卒業。 |
| 運輸省鉄道総局に入省。 |
| 1949年 日本国有鉄道に入社。 |
| 1953年 鹿島ヨシ子と結婚。 |
| 1955年 鹿島建設に入社。 |
| 同社取締役(経営企画担当)に就任。 |
| 1956年 鹿島常務に就任。 |
| 1957年 鹿島専務に就任。 |
| 1959年 鹿島副社長に就任。 |
| 1960年 日本青年会議所会頭に就任。 |
| 1974年 経済同友会副代表幹事に就任。 |
| 1978年 鹿島社長に就任。 |
| 1982年 日本土木工業協会会長に就任。 |
| 1984年 鹿島会長に就任。 |
| 経済団体連合会(経団連:現日本経済団体連合会)常任理事に就任。 |
| 1985年 日本建設業団体連合会第5代会長に就任(~1987年12月)。 |
| 1986年 藍綬褒章を受章。 |
| 1987年 日本商工会議所会頭・東京商工会議所会頭に就任(~1993年7月)。 |
| 土木学会会長に就任。 |
| 1987年 新日本フィルハーモニー交響楽団理事長に就任。 |
| 1988年 国際商業会議所日本委員会第13代会長に就任(~1993年)。 |
| 1991年 日本工学会会長に就任(~1999年)。 |
| 日本卓球協会第14代会長に就任(~1997年)。 |
| 1992年 ペルー政府から太陽勲章大十字位を受章。 |
| 1994年 名誉会長に就任。 |
| 1995年 日伊協会会長・東京銀杏会会長に就任。 |
| 1995年 日本卓球協会第7代名誉会長に就任。 |
| 2000年 日本エジプト友好協会理事長に就任。 |
| イタリア政府からカヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ(騎士大十字勲章)を受章(外部リンクを参照)。 |
家系
| 石川六郎の『私の履歴書』によれば、「父方の祖父・卯一郎は大坂の出身であり、単身明治の東京に出た。 |
| 石川家は江戸時代、「宇田屋」という屋号の商家であった。 |
| 祖父は関東酸曹というカセイソーダ製造の化学会社を経営した。 |
| 神一行著『閨閥改訂新版特権階級の盛衰の系譜』298頁によれば、「石川家はもともと大坂の農家の出であるが、六郎の祖父・宇一郎が立志伝中の人物。 |
| 丁稚奉公から身を興し、苦闘のすえ、昭和電工と日産化学の前身である関東酸曹という会社を創立した。 |
| その長男が父・一郎で、六郎は大正十四年の生まれである。 |
関連書籍
| 石川六郎『海外建設プロジェクトと建設輸出(新体系土木工学別巻)』技報堂出版、1982年、ISBN4765512010。 |
| 『私の履歴書(第37巻)』日本経済新聞社、ISBN4532169011(全38巻)、ISBN453216902X(第25~38巻)※分売不可。 |
| 石川六郎『婦人問題講演集(第1巻)』日本図書センター、2003年、ISBN4820599852。 |
| 菊池久『血統商法―鹿島建設会長石川六郎の眼力とあくなき挑戦』 ぴいぷる社、1988年、ISBN4893740121。 |
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1948年
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同大学を卒業した後、運輸省(現国土交通省)... |
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