| 京都競馬場・上田武司厩舎の厩務員である父・守義の長男として、1966年福岡県瀬高町(現・みやま市)にて出生。 |
| その後栗東トレセン設立に伴い1970年秋より滋賀県に移り住む。 |
| 父が厩務員という競馬に近い環境で育ち、幼稚園時から騎手になりたいという願望を抱くようになった石橋は小学校よりスポーツを始めるが、「競馬学校に行けば乗馬はいくらでもできる」として親の勧めもあり水泳を選ぶ。 |
| 幼少時より病弱であった石橋だが水泳での鍛錬によりその体質が改善され、水泳の県大会で上位争いをするまでになったという。 |
| その後競馬学校に進学した石橋は1985年3月3日、競馬学校第1期生(柴田善臣らと同期)として騎手デビューとなる。 |
| 初騎乗を初勝利で飾った石橋はデビュー年は25勝を挙げ、新人賞を獲得するなど好成績を残す。 |
| 翌年以降もコンスタントに2桁勝利を挙げ(デビュー以来、毎年2桁勝利を挙げている)、中堅騎手としての位置を確立していった。 |
| 1992年にミスタースペインで京阪杯・高松宮杯を制し初重賞制覇。 |
| この他ライブリマウントとのコンビで中央の重賞を3勝、当時はGIIだったフェブラリーステークス、地方競馬の帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯を制覇するなどした。 |
| このライブリマウントとのコンビで日本調教馬として第1回のドバイワールドカップに遠征した石橋はドバイワールドカップに日本人で初めて騎乗した騎手である。 |
| 高松宮杯、フェブラリーステークスは後にGIに格上げ、帝王賞とマイルチャンピオンシップ南部杯も後のダートグレード競走の整備の際にGIに格付けされているため、GIタイトルの獲得は奇しくも逃してしまう。 |
| ライブリマウントでの活躍以降は年間の勝ち鞍こそ2桁に乗せているが、これといってレベルの高い馬に出会うことが出来なかった。 |
| それでも関西の中堅騎手としての地位は揺るぎなく、競馬に対する真摯な態度から厩舎関係者や馬主の信頼も厚く、重賞でも人気を背負うような馬の騎乗を任されたりもしていた。 |
| しかしその重賞も勝てなくなり、1998年のウインターステークスをマチカネワラウカドで制して以降は重賞勝ちに恵まれていなかった。 |
| 230px|thumb|メイショウサムソンに騎乗2006年東京優駿。 |
| しかし、2006年には石橋にとって転機が訪れる。 |
| 1月のシンザン記念をゴウゴウキリシマで制し約7年ぶりの重賞制覇を成し遂げると、新馬戦から乗り続けていた瀬戸口勉厩舎のメイショウサムソンとのコンビ当初瀬戸口は鞍上に福永祐一を考えていたが、新馬戦の日には福永は別場での騎乗があったため石橋が騎乗した。 |
| また、調教(追い切り)の多くは石橋自らが跨っている。 |
| で皐月賞を制し騎手デビュー22年目にして初のGI制覇を成し遂げ、続く日本ダービーも制覇して二冠を獲得し、ダービージョッキーの仲間入りを果たす(三冠を賭けた菊花賞は4着に敗れた)。 |
| また、この年の暮れには騎手としての長年の功績が認められ、第39回日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した。 |
| 2007年も引き続きメイショウサムソンとのコンビで大阪杯、天皇賞(春)を制したが、宝塚記念2着後に同馬の凱旋門賞挑戦が決定。 |
| 同時にオーナーの意向で鞍上には武豊を迎えることとなり、コンビを解消することになる。 |
| その後、同馬に騎乗することはなかったが、2008年11月のジャパンカップでは武の落馬負傷により再び石橋が騎乗をしている。 |
| 2009年、マカオジョッキーシリーズに出場。 |
| 最終第3戦の重賞G3オータムトロフィーを6番人気のGoldenPistolsで優勝し、海外での重賞初勝利となった |
| 武が敬愛している先輩としても知られている。 |
| 行動を共にすることも多く、実際に石橋が皐月賞を制覇したとき、武は自分のことのように喜んでいたという。 |
| また、メイショウサムソンがオーナーの意向で武に乗り替わった際も石橋からサムソンの癖などあらゆる点についてレクチャーを受け、後の天皇賞制覇に繋げた。 |
| また、栗東所属の騎手たちにも慕われ、皐月賞制覇の際には中山競馬場の騎手控え室で拍手が沸いたという。 |
| なお、石橋は武の実兄(一般人の次男)と同級生である。 |