| 1999年1月、東京ドーム大会で大谷晋二郎・高岩竜一組を敗り、第2代IWGPジュニアタッグ王座戴冠(w/ドクトル・ワグナー・ジュニア)。 |
| 自身初のタイトル奪取となった。 |
| 同年2月、マサ・サイトー引退記念写真展でのミニトークショーで「オレは最初から・なんか入ってないサインをしてた。 |
| あれは勝手にマスコミが・を入れたの」とカ・シンからカシンに改名した理由を述べた。 |
| さらに過去の経歴からライバル関係にあり、不仲であると囁かれていた中西学との関係に触れ、「いや、ライバルじゃない。 |
| ほんと、ほんと」と発言。 |
| しかし、「中西が新日本に入るって言った時は本気で(新日本を)辞めようかなと思ったんですけどね」とも述べ、「プロレス入ってからは、挨拶ぐらいはしたことある。 |
| 後はもう、以心伝心で伝わるから」と、どうとも取れる旨の意味深な発言を続け、以後、事あるごとに中西を引き合いに出す片鱗を見せる。 |
| 同年3月、金本浩二の「オレは剛竜馬、小林邦昭にはならない」という発言を受けて「オレは剛竜馬や中西学にはならない」と発言。 |
| 金本は自分はジュニアの脇役にはならないという旨の発言であったが、カシンの価値観から暗に自分はバカにならないという旨のパロディー発言であった。 |
| 同月のIWGPジュニアタッグ王座防衛戦で選手権試合認定状を破り捨てる前代未聞のパフォーマンスを行うもグラン浜田&エル・サムライ組を敗り、王座防衛。 |
| 試合後、認定状を破った件を実況レポーターの真鍋由アナウンサーに問われ、「オレの勝手だろ。 |
| お前にとやかく言われる筋合いはない」と発言。 |
| さらにグラン浜田に対しては「パートナーに娘(浜田文子)連れてきた方がよかったんじゃないか?」と発言。 |
| 同年4月、東京ドーム大会で獣神サンダーライガー・ザ・グレート・サスケ組に敗れて2度の防衛を果たしたIWGPジュニアタッグ王座から転落。 |
| 同年5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア6に出場。 |
| 田中稔戦で中西の得意技であるアルゼンチン・バックブリーカーを披露し試合後、「今日はバカな……いや、バカの技使ちゃったよ」と発言し、敗因はそれで腰を痛めたからと述べる。 |
| さらに「優勝したら、(当時紛争状態にあった)コソボの人達に給付金をやる」と宣言。 |
| 折原昌夫戦では試合後、「今日の勝利は、ニ瓶組長に捧げるよ」と発言し、個人間のトラブルを引き合いに出してコメント(トラブルの詳細は折原昌夫の項を参照)。 |
| 決勝まで勝ち進み、当時第33代IWGPジュニア王者であった金本を敗り、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア6に優勝。 |
| 賞金として500万円を獲得したが、小切手ボードを実況レポーターの真鍋アナに投げつけ、「お前これ、換金して寄付しとけ、ネコババするなよ!」と発言。 |
| 「どこにですか!?」と叫ぶ真鍋アナに「コソボだ、コソボ!」と答えた。 |
| 後日、前途の誓約通り実際に賞金をコソボに寄付(ただし、全部ではなく一部の100万円)。 |
| 同年8月、またも金本を敗り、第34代IWGPジュニア王座戴冠。 |
| しかし同王座の公式のベルトが存在するにも関わらず、その後の試合では自作の"ケンドー・カシンベルト"を巻いて入場し、本物のIWGPベルトはリング上で足蹴にするなど、その権威をことさらに冒涜して見せる。 |
| ほかにも、勝利後に授与されるトロフィーをその場で破壊するなど、奇行とも取れるパフォーマンスを本格的に始める。 |
| 同年9月、初防衛を果たしたライガー戦で、記者の「おめでとうございます」の言葉に「うん、余計なお世話だ」と発言。 |
| 同年10月、94年に開催されたジュニアタッグリーグで石沢としてタッグを組んで以来、師匠と呼ぶようになったディーン・マレンコから初勝利を上げ、「さすが師匠だ」と発言。 |
| 同月、東京ドーム大会でライガーに敗れ、IWGPジュニア王座から転落。 |
| マレンコとタッグを組んでライガー&サムライ組から勝利を上げた試合後、「タッグのベルトも獲れるけど、(マレンコの)スケジュールが合わない。 |
| とりあえず、ニシオ(中西学)と組むよりはいいかな」と発言。 |