| 天正13年(1585年)7月11日、秀吉の関白就任に伴い、従五位下治部少輔に叙任される。 |
| 同年末に秀吉から近江国水口4万石の城主に封じられたと一般にはされているが、水口には天正13年7月に中村一氏が6万石で入っており、その後は同18年(1590年)に増田長盛、文禄4年(1595年)に長束正家と引き継がれており、三成が領有したという事実はない。 |
| 天正14年(1586年)1月、当時名将として名高かった島清興(左近)を知行の半分を与えて召し抱えたといわれる『常山紀談』(異説あり三成が左近を召抱えたのは、左近の先主・羽柴秀保が死去した文禄4年以降とも言われており、この場合、三成は既に佐和山25万石の城主になっている(二木謙一1982『関ケ原合戦』)。 |
| また、水口4万石の半分の2万石で召し抱えたという説もあるが、三成が水口を領有した事実はないため、これは誤りである。 |
| 秀吉はこれに驚愕、そして賞賛し、左近に三成への忠誠を促し、菊桐紋入りの羽織を与えた。 |
| 同年、越後国の上杉景勝が秀吉に臣従を誓うために上洛してきた時、これを斡旋した。 |
| また、秀吉から堺奉行に任じられる。 |
| 三成は堺を完全に従属させ、兵站基地として整備する。 |
| 秀吉は翌天正15年(1587年)の九州の役に大軍を動員し、比較的短期間で終わらせるが、その勝因の1つは水軍を最大限に活用して大軍を動員・輸送する能力があったことである安井(1996)p.19。 |
| こうした秀吉の軍事機能を支えたのが、後方の兵糧・武具などの輜重を担当した三成ら有能な吏僚達であった。 |
| 九州平定後、命じられて博多奉行となり博多復興に従事した。 |
| また、天正16年(1588年)、取次として薩摩国の島津義久の秀吉への謁見を斡旋した。 |
| 天正17年(1589年)、美濃国を検地する。 |
| 天正18年(1590年)の小田原の役に参陣。 |
| 秀吉から後北条氏の支城の館林城、忍城攻撃を命じられる。 |
| 忍城攻めでは元荒川の水を城周囲に引き込む水攻めが行われ、その際の遺構が石田堤として周囲に現存している。 |
| 関東各地の後北条氏のほとんどの支城は本城である小田原城よりも先に陥落したが、忍城では小田原開城後の7月初旬まで戦闘が続いた。 |
| なお三成は取次として、常陸国の佐竹義宣が秀吉に謁見するのを斡旋し、奥州仕置後の奥州における検地奉行を務めるなど着実に実績を重ね、吏僚としての功績は大きかった。 |
| 文禄元年(1592年)の文禄の役では渡海し、増田長盛や大谷吉継とともに漢城に駐留して朝鮮出兵の総奉行を務める。 |
| 文禄2年(1593年)、碧蹄館の戦いや幸州山城の戦いに参加。 |
| その後、明軍の講和使謝用梓・徐一貫を伴って肥前名護屋に戻るなど、明との講和交渉に積極的役割を果たしている。 |
| しかし、秀吉と現地の連絡役という立場の行動は、豊臣家中で福島正則ら武断派の反発を招いた。 |
| 文禄3年(1594年)、島津氏・佐竹氏の領国を奉行として検地する。 |
| 文禄4年(1595年)、秀吉の命により、秀吉の甥・豊臣秀次を謀反の嫌疑により糾問する(秀次事件、最終的には秀次は秀吉に切腹を命じられた)。 |
| 秀次の死後、その旧領の内近江7万石が三成の代官地になる(当初は旧領の内尾張清須21万石が与えられる予定であったが、こちらは福島正則に与えられた)。 |
| また、同年に近江佐和山19万4000石の所領を秀吉から与えられた。 |
| 文禄4年(1595年)3月、蒲生氏郷が死亡したが、一部資料にはこれを三成の毒殺とするものがある。 |
| 動機は上杉景勝に会津を与えるためというが、今井林太郎はこれに否定的な見解を採る。 |
| 慶長元年(1596年)、佐和山領内に十三ヶ条掟書、九ヶ条掟書を出す。 |
| 明の講和使節を接待。 |
| 同年、京都奉行に任じられ、秀吉の命令でキリシタン弾圧を命じられている。 |
| ただし、三成はこの時に捕らえるキリシタンの数を極力減らしたり、秀吉の怒りをなだめて信徒達が処刑されないように奔走するなどの情誼を見せたという(日本二十六聖人)。 |
| 慶長2年(1597年)、慶長の役が始まると国内で後方支援に活躍した。 |
| 慶長3年(1598年)、秀吉は小早川秀秋の領地であった筑後国・筑前国を石田三成に下賜しようとしたが、三成は辞退している。 |
| しかし、筑後国・筑前国の蔵入地の代官に任命されて名島城を与えられた。 |
| 慶長4年(1599年)に予定されていた朝鮮における大規模攻勢では、福島正則や増田長盛とともに出征軍の大将となることが決定していた「島津家文書」二‐九七八。 |
| しかし、慶長3年(1598年)8月秀吉が没したためこの計画は実現せず、代わって戦争の終結と出征軍の帰国業務に尽力した。 |