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つながりの強いひと
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水原秋桜子
日本の俳人、医学博士。本名は水原豊(みずはらゆたか)。 |
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高浜虚子
高浜虚子(たかはまきょし、1874年(明治7年)2月22日-1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名・高濱清(たかはまきよし)。ホトトギ... |
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加藤楸邨
加藤楸邨(かとうしゅうそん、1905年(明治38年)5月26日-1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は加藤健雄。妻は俳人の加藤知世子。 |
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中村草田男
日本の俳人。本名・中村清一郎(なかむらせいいちろう)。 |
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正岡子規
日本の俳人、歌人、国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。俳句、短歌、新体詩、小説、... |
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石田勝彦
・ 石田勝彦 石田 勝彦(いしだ かつひこ、 1920年 10月3日 - 2004年 7月9日 )は 俳人 。本名は和郎(かずろう)。俳人の石田いづみは妻、同じく俳人の 石田... |
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石塚友二
俳人・小説家・編集者。新潟県北蒲原郡笹岡村生まれ。本名は友次。笹岡尋常高等小学校卒業。農業学校を出て家業の農業に従事したのちに上京。水原秋桜子の「... |
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細見綾子
細見綾子は 明治40年3月31日 青垣町東芦田に生まれました 細見家は江戸時代
からの名家で 父の喜市は芦田村の村長を務めた人物 しかし綾子が13歳の時
病気で... |
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石田修大
息子
石田修大 三笠書房発行年月:2008年07月 ページ数:278p サイズ:単行本 ISBN:9784837922742 石田修大(イシダシュウダイ)1943年東京生まれ。67年早稲田大... |
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星野立子
昭和期の俳人。高浜虚子の次女。夫は星野天知の息子・星野吉人。東京府麹町区富士見町(現・東京都)出身である。東京女子大学高等学部卒業。1930年女性初め... |
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飯田蛇笏
日本の俳人。本名、飯田武治(いいだたけはる)。別号に山廬(さんろ)。 |
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岸田稚魚
岸田稚魚(きしだちぎょ、1918年(大正7年)1月19日-1988年(昭和63年)11月24日)は俳人。本名は順三郎。 |
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秋桜子
日本の女優、モデル。本名は非公開。北海道出身。所属事務所はティー・アーティスト。趣味は散歩、カラオケ、ショッピング。 |
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森澄雄
日本の俳人。本名、森澄夫。日本芸術院会員。 |
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五十崎古郷
1930年 3月 、松山中学校を卒業した波郷は自宅で農業を手伝いながら、同年 4月 、近くに住む俳人、 五十崎古郷 (いかざきこきょう)に指導を受けた。「波郷... |
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角川春樹
日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長。 |
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久保田万太郎
東京生まれの小説家、劇作家、俳人。1926年よりNHKに奉職した経歴をもつ。俳号は暮雨、傘雨。 |
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山中学
▲ 代表取締役社長/ 山中 学氏
1975年 兵庫県生まれ
大学卒業後、3年間の金融業界での経験を経て株式会社山辻に入社。
現在山辻の3代目として八百... |
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村山古郷
俳人。京都府生まれ。本名・正三。國學院大學国文科卒。中学教師を務めていたが、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事し、鴨立庵第二十世庵主。俳誌『嵯... |
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プロフィール
- 石田波郷とは
- 早くから句作
- 本格的に活動
- 戦争と病苦
- 生をかみしめる秀句
- 受賞歴
- 句集
- 随筆
- 選集など
- 作詞
- 全句集・全集
- 主な文献
- 関連サイト
石田波郷(いしだはきょう、1913年(大正2年)3月18日-1969年(昭和44年)11月21日)は、昭和期の俳人。本名哲大(てつお)。 正岡子規、 高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)(現・松山市西垣生)に生まれた。明治大学文芸科中退。戦後の俳壇を先導し、俳句文学に大きな功績を残した。長男の 石田修大は日本経済新聞社の元論説委員で、日本経済新聞「私の履歴書」の担当記者でもあった。また伝記や句集を編んだ俳人の友人に 村山古郷や楠本憲吉がいる。
早くから句作
| 愛媛県温泉郡垣生村大字西垣生980番地に、父惣五郎、母ユウの次男として生まれる。 |
| 1919年4月、垣生尋常高等小学校に入学。 |
| 小学生の頃から友人と俳句を作って遊んでいたが、本格的に句作を始めたのは県立松山中学校(現・松山東高校)4年の時で、同級生の中富正三(後の俳優・大友柳太朗)に勧められたことによる。 |
| 俳号は「山眠」、「二良」とつけた。 |
| ちなみに中富は「如煙」、「悠々」と号した。 |
| 中学5年の頃、同級生と「木耳(きくらげ)会」を起こす。 |
| 同村の村上霽月主宰の今出(いまづ)吟社に出入りし、句作に励む。 |
本格的に活動
| 1930年3月、松山中学校を卒業した波郷は自宅で農業を手伝いながら、同年4月、近くに住む俳人、五十崎古郷(いかざきこきょう)に指導を受けた。 |
| 「波郷」という俳号は古郷による命名。 |
| 水原秋桜子の指導を受けたことのある古郷の勧めで秋桜子主宰の『馬酔木(あしび)』に投句を始める。 |
| 高屋窓秋らとともに流麗清新な抒情俳句に新風を開き、水原秋桜子門の代表的俳人となった。 |
| 1932年2月20日、単身上京。 |
| 5月頃、東京市経営の深川一泊所に勤務。 |
| 10月頃、秋桜子の下で『馬酔木』の事務を、後に編集を担当するようになる。 |
| 石橋竹秋子、牛山一庭人らと親しく交わり、俳句以外の文芸の世界にも目を開く。 |
| 1934年4月、明治大学に入学(第3期生)。 |
| 1935年11月、第1句集『石田波郷句集』を刊行。 |
| 1936年3月、大学を中退し、久保田万太郎を慕って句作に専念する。 |
| 同年9月、馬酔木新人会『馬』創刊。 |
| 1937年9月、『馬』と『樹氷林』を合併し、句誌『鶴』を創刊、主宰となる。 |
| 波郷24歳であった。 |
| 秋桜子は波郷の句を「昭和時代を代表する秀句」と絶賛した。 |
| 1938年6月末、目黒区駒場町761駒場会館アパートに転居する。 |
| 1939年8月、『鶴の眼』を上梓。 |
| 新興無季俳句運動の素材的・散文的傾向に同調せず、韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り、中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。 |
戦争と病苦
| 第二次世界大戦中は、俳句固有の方法と格調を元禄俳句に探り、古典と競う俳句一途の決意を深めた。 |
| 1942年3月、縁談の人、吉田安嬉子本名せん。 |
| のちに俳号をあき子とすると初めて会い、同年6月27日九段軍人会館にて結婚挙式。 |
| 1943年5月19日、長男修大(のぶお)が誕生し、同年6月、浦和市本太後原2145の岳父の家作に転居する。 |
| 同月、未召集兵教育を受ける。 |
| 波郷の禍福は9月23日、30歳で召集されたことに始まる。 |
| 月末、千葉佐倉連隊に入隊し、10月初旬、華北へ渡り、山東省臨邑に駐留する。 |
| 1944年、元旦を不寝番兵として迎える。 |
| 同年3月、左湿性胸膜炎を発病、陸軍病院を転々とし、1945年1月22日夕刻に博多に帰還する。 |
| 同年3月9日、安嬉子と修大を伴い北埼玉樋遺川村に疎開する。 |
| 6月17日兵役免除となり、8月15日、盆休みの農家の庭先にて終戦の玉音放送を聞く。 |
| この頃より病気が再び悪化、以後、1969年に死去するまで、手術と入退院を繰り返す。 |
生をかみしめる秀句
| しかし波郷は、病気との闘いを通して、生をかみしめ自分を見つめる数々の秀句を詠みついでいった。 |
| 1946年1月、妻子を伴って上京、葛西(江戸川区)の義理兄吉田勲司(本名:吉田登一)宅に仮寓。 |
| 同年3月10日、江東区北砂町1-805に転居。 |
| 3月15日、長女温子(はるこ)が誕生。 |
| 9月、綜合雑誌『現代俳句』を創刊、編集に当たり、1947年11月には現代俳句協会の創立など、俳壇の再建に尽力する一方、焦土俳句を経て、1950年6月に刊行された『惜命(しゃくみょう)』は、子規を先駆とする闘病俳句の最高傑作と位置付けられている。 |
| 「俳句は生活そのもの」とする波郷は、『ホトトギス』の「花鳥諷詠」に対する「人間探求の」俳句を深化させることに成功した。 |
| その後、病苦を乗り越え人生の日々を静かに凝視した句境を格調正しい表現によって詠み続けたが、1969年11月21日午前8時30分、肺結核で病没した。 |
| 墓所は調布市の深大寺。 |
| 戒名は風鶴院波郷居士。 |
| 墓碑銘は「石田波郷」(自筆)。 |
受賞歴
| 1955年 第6回読売文学賞(『定本石田波郷全句集』にて)。 |
| 1969年 第19回芸術選奨文部大臣賞(『酒中花』にて)。 |
句集
| 『石田波郷句集』 沙羅書店、1935年。 |
| 『鶴の眼』 沙羅書店、1993年。 |
| 同文庫版、邑書林〈邑書林句集文庫〉、1996年。 |
| 『行人裡』 三省堂、1940年。 |
| 『大足』 甲鳥書房、1941年。 |
| 『風切』 一条書房、1943年。 |
| 『病鴈』 壺俳句会、1946年。 |
| 『風切 再刻版』 臼井書房、1947年。 |
| 『風切以後』 山王書房、1947年。 |
| 『雨覆』 七洋社、1948年。 |
| 『胸形変』 松尾書房、1949年。 |
| 『惜命』 作品社、1950年。 |
| 『臥像』 新甲鳥、1954年。 |
| 『定稿惜命』 琅玕洞、1955年。 |
| 『春嵐』 琅玕洞、1957年。 |
| 『酒中花』 東京美術、1968年。 |
| 『酒中花以後』 東京美術、1970年。 |
| 単独句集はここに記した通りだが、再刊本や重複する作品の多い句集を除くと、『鶴の眼』『風切』『病鴈』『雨覆』『惜命』『春嵐』『酒中花』『酒中花以後』の8冊に作品のほとんどが含まれる。 |
| 全集や全句集はこれらを中心に編まれており、収録作品数および制作年代は次の通りである。 |
| 『鶴の眼』(363句、初期-1939年)、『風切』(318句、1939年-1943年)、『病鴈』(111句、1943年-1945年)、『雨覆』(273句:1946年-1947年)、『惜命』(506句:1947年-1950年)、『春嵐』(424句:1950年-1957年)、『酒中花』(928句:1957年-1968年)、『酒中花以後』(272句:1968年-没年)。 |
随筆
| 『清瀬村』 四季社、1952年。 |
| 同文庫版 角川書店〈角川文庫〉、1956年。 |
| 『俳句哀歓作句と鑑賞』 宝文館、1957年。 |
| 『江東歳時記・清瀬村(抄)-石田波郷随想集』 講談社〈講談社文芸文庫〉、2000年。 |
選集など
| 『波郷百句』 現代俳句社、1947年。 |
| 『現代俳句大系第一巻石田波郷集』 現代俳句社、1949年。 |
| 『石田波郷句集』 角川書店〈角川文庫〉、1952年。 |
| 『自註石田波郷集上』 青山書店、1954年『波郷百句』の再刊。 |
| 『現代俳句文学全集石田波郷集』 角川書店、1957年。 |
| 『石田波郷集』 村沢夏風註、俳人協会〈脚注名句シリーズ〉、1984年。 |
| 『初蝶』 石田勝彦編、ふらんす堂〈ふらんす堂文庫〉、2001年。 |
| 『波郷句自解-無用のことながら』 梁塵社〈梁塵文庫〉、2003年『波郷百句』および「『春嵐』私註」を中心に、自句自解の文章を収める。 |
作詞
| この校歌は、1957年、同中学校創立10周年を記念して作られたもので、当時、清瀬の国立東京療養所(現独立行政法人国立病院機構東京病院)に入院していた波郷に白羽の矢が立ち、作詞を行った。 |
| 川戸直美 「五・七・五 無限の世界」『清中だより』平成21年度6月号、2009年。 |
全句集・全集
| 『石田波郷全集』(全9巻別巻1) 角川書店、1970年-1972年。 |
| 『石田波郷全集』(全10巻別巻1) 富士見書房、1987年-1988年。 |
主な文献
| 石田修大 『わが父波郷』 白水社、2000年。 |
| 石田修大 『波郷の肖像』 白水社、2001年。 |
| 楠本憲吉 『石田波郷-新訂俳句シリーズ人と作品17』 桜楓社、1980年。 |
| 高野公彦他編 『石田波郷 人と作品』(えひめ発百年の俳句-郷土俳人シリーズ) 愛媛新聞社、2004年。 |
| 辻井喬 『命あまさず 小説石田波郷』 角川春樹事務所、2000年。 |
| 「俳句」編集部編 『石田波郷読本』 角川学芸出版、2004年。 |
| 村山古郷 『石田波郷伝』 角川書店、1973年。 |
| 村山古郷 『波郷さんのベレー帽』 富士見書房、1987年。 |
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1919年
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垣生尋常高等小学校に入学 |
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1930年
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松山中学校を卒業した波郷は自宅で農業を手伝... |
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