| 『ギャバン』以前には同じ東映テレビプロ制作の『特捜最前線』に助監督応援として携わったという。 |
| 脚本家兼監督の藤井邦夫は後にこのときの石田について、「現場では細かく動いてた。 |
| 何でもハイハイ言う事を聞いてね。 |
| で、後に『燃えろ!!ロボコン』で監督と脚本家として仕事したときに、すっかり監督として貫禄はついてたんだけど、当時のことを思い出したんだろうね、俺に対して監督、監督って妙に畏まったのが忘れられないね(笑)」と回想している。 |
| 『ギャバン』以降は基本的にADK担当枠作品の専属だが、春田純一やてらそままさきの証言によると、『科学戦隊ダイナマン』『仮面ライダーBLACK』にも助監督として携わっていたようである。 |
| 助監督時代は、諸田敏ほどではないがカメオエキストラとして出演する事があった。 |
| 20代のチーフ助監督時代に『特救指令ソルブレイン』九州ロケ編でホテル支配人役を演じた他、『特捜ロボジャンパーソン』第2話序盤の回想シーンでは政治家(を装ったロボット)の秘書役としても出演している。 |
| 「自分が助監督のときは常に監督に反発しながら仕事をしていた。 |
| だから多分監督からは嫌われていたと思いますよ」とかつてインタビューにて語っていた。 |
| 弟子筋の鈴村展弘は石田の演出を「男同士の友情を撮らせたら天下一品」と評している。 |
| 『テツワン探偵ロボタック』『燃えろ!!ロボコン』では本名の石田秀範名義ではなく「ヒデ・I」名義で活動していた。 |
| 『仮面ライダークウガ』が初のメイン監督作品だが実はこれは予定外の事態で、当初は別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。 |
| しかしその監督が降板したため、急遽パイロットを任されることになったという。 |
| 尚、髙寺成紀プロデューサーは石田にメインを託した第一の理由として、『テツワン探偵ロボタック』の浦沢義雄脚本「恋する餃子の涙」を脚本通り忠実に映像化したセンスを挙げている。 |
| また「恋する餃子の涙」は石田自身の会心作でもあったらしく、2000年の雑誌「宇宙船」インタビューでも印象深い回として特にその名を挙げていた。 |
| 『クウガ』のパイロット組の撮影は余程のハードスケジュールであったのか石田は撮影中に倒れてしまい、チーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。 |
| 『クウガ』の第2話の教会炎上シーンは多大な予算がかかったが、これについて後年高寺は「こっちで勝手に盛り上がったんだけど絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。 |
| でも制作担当は簡単に許可してくれた。 |
| 多分『初めてパイロットを撮る石田を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている(出典:2010年9月『高寺解体新書』)。 |
| 現在の東映特撮演出陣のメンバーでは演技指導に関してもっとも厳しい監督として知られている。 |
| ただし当時助監督の鈴村によると、基本的に本来石田は子供好きで照れ屋でお茶目な監督であるそうである。 |
| 『燃えろ!!ロボコン』の頃まではその温厚な性格で子役にもフレンドリーに接していたが、初パイロットを務めた『クウガ』より一変し、ハードな演出法に切り替わったとのこと。 |
| 石田が監督を務める回では現場に常に緊張感が漂うとまで言われており、田﨑竜太監督が『仮面ライダー電王』撮影中、役者への指導で「俺はこれで許しても巨匠(石田)は許してくれないぞ!」と鼓舞激励した事もある。 |
| 石田の演技指導は『劇場版仮面ライダー剣MISSINGACE』のメイキング映像でも見ることが出来る。 |
| 『クウガ』第7話の撮影に番組企画で参加した極楽とんぼの山本圭一の演技に激怒したシーンがバラエティ番組で放送されたこともあった。 |
| とはいえ、現在では再び以前のようなソフトな性格になったというスーツアクターの高岩成二、撮影技師・いのくままさおや東映・白倉伸一郎の証言もある。 |
| 『仮面ライダーカブト』に出演していた水嶋ヒロは「石田監督は父親のような存在」だと慕っており |
| 『劇場版仮面ライダーカブトGODSPEEDLOVE』でゲスト出演した次長課長は撮影中に緊張してかなり怯え、何回かダメ出しをされたが、シーン終了後、彼らに笑顔で振舞ったシーンがバラエティ番組で放送された。 |
| これまでに平成仮面ライダーシリーズ4作品でパイロット監督を務めているが、通常パイロット監督が手掛けることの多いオープニング・エンディング映像はほとんど自身では手掛けていない。 |
| 小藤浩一や田﨑竜太、鈴村展弘などの演出家が代行して撮っており、例外は『仮面ライダー剣』の前期オープニングのみである。 |
| 年現在までに、仮面ライダーシリーズ(劇場版なども含む)では148作品を演出している。 |
| これは監督の中では史上最多の記録である(第2位は長石多可男の118作品、第3位は山田稔の112作品)。 |