| -->所属事務所から芦屋市の実家へデビュー曲が決定したとの知らせが届き、レコーディング準備に入るため、1月7日、上京することになった。 |
| 電話の受話器越しに作曲者の吉田拓郎が歌う『狼なんか怖くない』のデモテープを初めて聴き感激した。 |
| ''レコーディングに関しては狼なんか怖くないの「レコーディング」の項を参照のこと。 |
| 3月25日、デビュー・シングル『狼なんか怖くない』(作詞:阿久悠/作曲:吉田拓郎/ジャケット撮影:篠山紀信)がビクターから発売。 |
| 17歳のアイドル歌手として芸能界にデビューした。 |
| 当時のアイドルには必ずと言っていいほどキャッチフレーズが付けられており、石野に付けられたものは「100万ドルの微笑」。 |
| ファースト・アルバム『微笑(ほほえみ)』の帯にもその記述が見られる。 |
| また、八重歯とタレ目であることをチャームポイントにしていた。 |
| ''八重歯についてのエピソードは、項目「#八重歯タレント」を参照のこと。 |
| 『狼なんか怖くない』を初めてお客さんの前で披露したのがTBSテレビの『笑って笑って60分』で、後日感想を訊かれて「私の歌をあんなに喜んでくださるなんてもう最高!、すごく嬉しかった!」とコメント。 |
| 3月27日、デビューから2日後にフジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演。 |
| 『狼なんか怖くない』を歌い終えた石野に対し、司会者の芳村真理は「いやー真子ちゃん、デビューして2日目!ご苦労様でした!」と声をかけている石野の所属事務所バーニングプロダクションは同番組と強いパイプを持っていた芸能事務所のひとつで、新人歌手の番組初出演に優遇措置を受けていた。 |
| デビューからしばらくの間、石野が仕事の移動で使っていた車はマネージャーの井上氏が運転する「フォルクスワーゲンの真っ赤なビートル」。 |
| これは所属事務所の1年先輩の高田みづえが使用していた車を譲り受けたもの。 |
| また、当時は極度の男性恐怖症があり、男性マネージャーと2人で車に乗っている時はいつでも車から飛び降りられるように助手席のドアノブを握っていた。 |
| 6月25日、シングル2作目『わたしの首領』(わたしのドン)発売。 |
| 作詞担当の阿久悠は、当時広島で起きていた暴力団抗争からヒントを得て、「首領」を「ドン」と読ませた。 |
| 8月、シングル1作目と2作目の作曲担当の吉田拓郎がパーソナリティーを務めるラジオ番組『セイ!ヤング』にゲスト出演。 |
| 本番中のCM開けのジングル「♪セ〜イ!ヤ〜ング♪」を口ずさんだ石野は吉田から「そうやって、いつも歌ってるわけ?」と尋ねられ、「子供の頃からいつも歌っています」と告白する。 |
| また、自分を動物に例えると何?とのリスナーの質問に、石野が「タヌキ…じゃないですか?」と答えると、吉田は「僕は自分をカモシカだと思ってますけどね」と応じて石野を笑わせた。 |
| また吉田は番組内で石野について「あたなは頭が良い」「あなたはラジオよりテレビのほうが面白い!」と褒めた。 |
| 当時披露したモノマネ芸に、アメリカ人美女プロゴルファー「ローラ・ボー」1978.8文化放送「吉田拓郎のセイ!ヤング」で披露。 |
| 当時流行した日清製油(現、日清オイリオ)のテレビCMに出演した)の歌真似1978年8月放送、文化放送『吉田拓郎のセイ!ヤング』、ゲスト石野真子と、「アグネス・チャン」(1979.7.20日本テレビ「カックラキン大放送!!」で披露)などがあった。 |
| ファンの集いを兼ねたこのコンサートは「石野真子のドンとやってみよう、宿題なんか怖くない、1万人大集会」というタイトルで中高生をターゲットに開催したもので、石野の歌を楽しむ一方、大学教授を招き夏休みの宿題対策を冗談を交えて行う企画だった。 |
| 10月22日、石野が初めて出演する映画『九月の空』が松竹大船撮影所にて撮影開始。 |
| 高橋三千綱の芥川賞受賞作品『九月の空』を映画化したもので、山根成之監督作品。 |
| 12月31日、『失恋記念日』が第20回日本レコード大賞新人賞を受賞最優秀新人賞にはシンガーソングライターの渡辺真知子が選ばれた。 |
| 「『失恋記念日』は賞を頂けたという事で、いつも唄う時には1曲につき2着の衣装があったんですけど、3着・4着と増えたっていうのがすごく嬉しかった」2008年12月27日放送、テレビ朝日『超お宝映像大公開ガリベン昭和歌謡SP』での本人の回想コメント。 |