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高校時代より貸本漫画家生活を送り、日本大学芸術学部映画学科には7年在籍し1964年に卒業。
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卒業論文は「日本におけるテレビアニメーションの動向」。
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劇画ブームにより漫画家生活が行き詰まるようになると、大学仲間とハワイアンバンドを結成、キャバレー回りをするようになる。
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プロにも誘われるほどだったが、アニメの道へ入る。
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フジテレビの子会社のアニメ制作会社であるテレビ動画(のちのフジテレビエンタプライズ)を経て、大西プロへ。
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大西プロでは下請けした『鉄腕アトム』の原画を担当。
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初の絵コンテはテレビ動画の『がんばれ!マリンキッド』、初の演出はスタジオ・ゼロの『怪物くん』(第1作)。
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ハワイアンバンドの経験を活かして、ミュージカルアニメ『ワンサくん』の絵コンテを担当した際、楽符を書き込んだのが、プロデューサーの西崎義展に気に入られ、『宇宙戦艦ヤマト』でも演出の仕事をすることになったという。
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『宇宙戦艦ヤマト』では松本零士を補佐し、現場を取り仕切るアニメーションディレクターを担当。
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無重力で爆発煙が四方に広がる通称「ヒトデ爆発」などのエフェクトを手がける。
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SF知識の少ない制作スタッフには、自ら原画を描いてイメージを伝えた。
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大西プロを離れてからは、動画技術研究所、JAB(ジャパン・アート・ビューロー)などを結成するも解散。
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1978年にアートランドを設立。
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以降はクリエーターとして活動しつつ、美樹本晴彦、板野一郎ら気鋭の若手スタッフの舵取り役も務める。
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アートランドが参加した『超時空要塞マクロス』『メガゾーン23』などの人気作で注目を集め、『マクロス』では1983年度の第1回日本アニメ大賞演出部門最優秀賞を受賞。
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テレビ21話「ミクロ・コスモス」と企画アルバム『超時空要塞マクロスIII MISS D.J』では映画監督ショウ・ブラクストーン役で声優も務めている。
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その後、『銀河英雄伝説』では音楽経験を活かし、艦隊戦シーンのBGMにクラシック音楽を使用する演出を行う。
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その他OVAを中心に監督作は多く、テレビアニメ『みかん絵日記』も手がけている。