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弘忍
中国禅宗の五祖。没後に代宗の時代になって、大満禅師の諡号と、法雨塔の塔号を賜る。黄梅県(湖北省)出身(『宋高僧伝』では、或いは淮左潯陽(江西省)の... |
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高野山真言宗
平安時代初頭に弘法大師(空海)が入唐し、唐(中国)・長安(西安市)の青龍寺で恵果(けいか・えか)から密教を学び、日本に帰国後、開いた真言宗の一宗派... |
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慧能
師匠
范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧で、中国禅宗(南宗)の第六祖である。 |
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普寂
普寂(ふじゃく、諡号:大照禅師、別名:華厳尊者、651年(永徽2年)-739年(開元27年))は中国の禅宗の僧侶であり、神秀を継いで北宗の第二祖となる。俗姓は馮... |
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道元
鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と... |
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最澄
平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては... |
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高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号の1つであり、特に皇帝の師への尊称である。僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。中国で... |
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道元禅師
道元禅師とその宗風 弊社では現在お取り扱いができません お困りの方 鏡島 元隆著 税込価格: (本体 : ) 出版:春秋社 サイズ ISBN 発行年月 利用... |
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栄西
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。日本臨済宗の開祖、建仁寺の開山。生年には異説がある。天台密教葉上流の流祖でもある。また、喫茶の習慣を... |
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千手観音
仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥ... |
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中宗
中宗(チュンジョン、ちゅうそう、弘治元年3月5日(1488年4月16日)-嘉靖23年11月15日(1544年11月29日)、在位:1506年9月2日-1544年11月14日)は李氏朝鮮の... |
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武則天
唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた(在位:690年10月16日-705年2月22日)。日本では則天武后(そくてんぶこう)と呼ばれることが多... |
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則天武后
則天武后と玄宗皇帝 大唐帝国の「光と影」 PHP文庫 お38-4 岡本好古/著 出版社名 : PHP研究所 出版年月 : 2007年5月 ISBNコード : 978-4-... |
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憲宗
儒者の臣を藩帥に任命し、監査任務を主とする監軍には宦官を配し、節度使勢力の動静を監視させる制度を開始した。さらに名臣と謳われた武元衛や李吉甫らにも... |
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張説
中国唐代の政治家である。字は道済(説之)。667年に洛陽で生まれる。本籍は范陽(河北省)であるが、河東(山西省)に移住し、数代前に再び移住して洛陽に出... |
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玄宗
唐の第6代皇帝(在位:712年-756年)。諱は隆基。治世の前半は開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因... |
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源満仲
平安時代中期の武将。清和源氏六孫王経基の子。源頼光、源頼親、源頼信らの父。「多田」を号したことから多田満仲(ただのみつなか、ただのまんじゅう)とも... |
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道信
禅宗の第四祖。蘄州(きしゅう)を中心として布教に励み、弟子の五祖弘忍と共に「東山法門」と呼ばれる一大勢力を築き、後の禅宗の母胎を形成する。姓は司馬、... |
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李白
中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
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斉藤正章
斉藤 正章(サイトウ マサアキ) 1975年東京生まれ。デザイン系専門学校を卒業後、システム開発会社に就職。プログラマー兼システムエンジニアとして8年間勤務... |
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プロフィール
神秀(じんしゅう、606年(大業2年)-706年(神龍2年))は、(開封)陳留尉氏県出身で俗姓は李。中国禅宗における六祖(北宗としては開祖)。
生涯
| 618年(武徳元年)、13歳の頃に出家する。 |
| 625年(武徳8年)、20歳で洛陽の天宮寺において具足戒を受ける。 |
| 655年(永徽6年)、50歳で蘄州(湖北省)東山の五祖弘忍の門下に入ってその筆頭弟子となり、「彼に及ぶ弟子はいない」と師に評されるまでになった。 |
| 661年(龍朔元年)頃、56歳で、師のもとを去り、『伝法宝紀』によれば、秘かに還俗したとか、荊州(湖北省)の天居寺に住していたというが、その後、10年ほどの行動は確かでない。 |
| 674年(上元元年)、師の弘忍が没する。 |
| 676年(儀鳳元年)頃、荊州当陽山の玉泉寺に住し、その後、近くに度門蘭若を建立してそこに移った。 |
| 700年(久視元年)、94歳で武則天に招かれ、翌年、95歳で上京を果たした。 |
| 彼は肩輿にて内道場に上殿し、北面して臣礼をとることなく、長安・洛陽の「両京の法主」となり、また、武則天、中宗、睿宗の「三帝の国師」となった。 |
| 度門蘭若は度門寺に昇格した。 |
| 706年(神龍2年)2月、101歳で洛陽の天宮寺で没すると、中宗は詔して龍門山に葬り、岐王範、張説、盧鴻の3人が碑誄を撰した。 |
| 3月、諡して大通禅師の号を、度門寺には勅額を賜った。 |
思想
| 彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であり、弟弟子の六祖慧能の直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。 |
| (この点を、『壇経』では、神秀の「身は是れ菩提樹、心は是れ明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」と、慧能の「菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄(伝本では本来無一物)、何れの処にか塵埃を惹かん」の偈によって象徴している)。 |
| 当初は彼が六祖とされていたはずなのだが、後に六祖慧能の弟子で七祖を自称した荷澤神會の北宗批判により、それまでは区別のなかった東山法門派が神秀門下の「北宗」、慧能門下の「南宗」の二派に分かれるようになり、南宗開祖の慧能が神會の目論見通り、六祖となった。 |
| 彼の後は弟子の普寂が嗣ぎ、日本にも奈良時代・平安初期に伝わり、日本天台宗の開祖最澄も師の国分寺行表から北宗禅の思想を受け継いでいる。 |
伝記資料
| 『宋高僧伝』巻8「唐荊州当陽山度門寺神秀伝」。 |
| 『景徳傳燈録』巻4「北宗神秀禅師」。 |
| 『伝法宝紀』。 |
| 『楞伽師資記』。 |
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