| 2005年3月にはミキハウスとの契約が満了し、翌月グランプリとの契約を結ぶ。 |
| 直後に、中国で最もレベルの高い超級(スーパー)リーグに参加、遼寧本鋼チームと契約した。 |
| この超級リーグは週1、2回の日程、広大な中国大陸を試合毎に行き来する移動に多忙を極めたが、福原は全試合に出場した。 |
| だが、チームに世界2位の王楠、4位の郭躍がいた為、シングルスの出番が少なくダブルスが多かった。 |
| 期間中は中国のインタビュー番組や、卓球の雑誌にも登場した。 |
| 8月の最終戦は岡山県で、日本で初の超級の試合を行った。 |
| 2005年2月にはアジアカップで強豪の郭焱を破り2位に、同年11月の女子ワールドカップ(各大陸の世界ランキング上位者と推薦選手の16人でのITTF大会でまだ新しい大会)に推薦が決まり出場したが、リ・ジャウエイや帖雅娜といった強豪相手に快進撃を続け見事3位銅メダルを獲得し、世界ランクを一気に16位まであげた。 |
| 2006年5月には世界選手権ブレーメン大会で銅メダル(2004年ドーハ団体に続き2度目)を獲得した。 |
| 放送したテレビ東京の視聴率は最高12%を出した。 |
| 好調だった2006年度はチームを広東佐川急便に変えて超級リーグに参加(なお、チームの2006年度オーナー権を福原サイド(千秀企画)が買っている)。 |
| 2007年4月1日には早稲田大学スポーツ科学部に入学し青森から引っ越した。 |
| 春季リーグに出場したものの2部から1部に昇格させることはできずに終わった。 |
| (翌2008年春リーグから関東学生リーグは1部所属校を6校から8校と増やした)。 |
| 2007年4月3日、全日本空輸(ANA)との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表した。 |
| 2007年5月の第49回世界卓球選手権個人戦では3回戦敗退。 |
| 大学の試合には2007年春リーグ以外出場しておらず、個人練習での強化に努めている。 |
| 2007年4月より『とっさの中国語』(NHK教育)にレギュラー出演した。 |
| 2008年1月、世界ランクが10位と、世界ランクの上位から1カ国・地域2名を上限とし上位20名に与えられる代表資格を獲得し北京五輪日本代表に内定した。 |
| 6月、JOCから日本選手団の開会式旗手に任命された。 |
| 卓球選手では初であり、最年少である。 |
| 本人は会見で「(団旗の)グラムの重さより、日本(代表としての)の重さをすごく感じると思う」と意気込みを話した。 |
| 五輪では平野早矢香、福原、福岡春菜の3人でシングルス、団体戦に出場した。 |
| その後よりレベルの高い試合で実戦感覚を養うことを目的として、2009年4月で早稲田大学卓球部での活動を休止し、海外で行われるITTFプロツアーを中心に出場。 |
| 日本国内ではサンリツ(物流会社)の卓球部の一員として日本リーグに参戦することになった。 |
| そして、海外ツアーや中国のスーパーリーグ参戦を優先する為、および早稲田大学の単位の取得が困難になった為に、2010年3月で早稲田大学を退学し、卓球に専念して2012年のロンドン五輪に臨む意向であることが関係者から明らかになった。 |
| 1988年11月-宮城県仙台市にて誕生。 |
| 1992年8月-卓球の練習をはじめる。 |
| 1998年7月-大阪府八尾市に転居(9歳)。 |
| ミキハウスJSC(ジュニアスポーツクラブ)に所属。 |
| 1999年3月-日本卓球協会の理事会で承認され、レジスタードプロに登録(3月20日付け、10歳)。 |
| 2005年4月-グランプリと所属契約。 |
| (4年) 中国超級リーグに参加、遼寧省チームに入団(4月に契約、6月-12月まで中断をはさみ試合)。 |
| 2006年3月-中国超級リーグ、広東佐川急便チームに移籍(3月に契約、6月-8月まで試合)。 |
| 2006年8月-早稲田大学のスポーツ科学部トップアスリート入学試験に出願。 |
| 2006年9月13日-早稲田大学スポーツ科学部に合格。 |
| 2007年3月1日-青森山田高等学校卒業。 |
| 2007年4月1日-早稲田大学スポーツ科学部入学。 |
| 2007年4月3日-全日本空輸(ANA)との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表。 |
| 2010年3月-早稲田大学スポーツ科学部自主退学。 |