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つながりの強いひと
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山口誓子
本名の「新比古(ちかひこ)」が「誓ひ子」(歴史的仮名遣)に通じるためである。 |
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西東三鬼
西東三鬼(さいとうさんき、1900年(明治33年)5月15日-1962年(昭和37年)4月1日)は俳人。本名・斎藤敬直(さいとうけいちょく)。 |
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石田波郷
昭和期の俳人。本名哲大(てつお)。正岡子規、高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)(現・松山市西垣生)に生まれた。明治大... |
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永田耕衣
日本の俳人、評論家。本名は軍二。別号、田荷軒主人。 |
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鷹羽狩行
俳人。本名・高橋行雄。山形県新庄市生まれ。父親の仕事の関係で少年期を広島県尾道市で育ち、尾道商業高校時代に俳句を始め、山口誓子・秋元不死男に師事。... |
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秋元松代
妹
日本の劇作家。俳人の秋元不死男は兄。 |
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大野林火
俳人。本名は大野正(おおのまさし)。近現代的で叙情質の高い作風で知られる。 |
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安住敦
俳人。東京市芝区生まれ。立教中学校(現・立教池袋中学校)卒。逓信官吏練習所修了。逓信省に勤務。富安風生に師事。1935年日野草城の『旗艦』に参加、戦後... |
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高浜虚子
高浜虚子(たかはまきょし、1874年(明治7年)2月22日-1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名・高濱清(たかはまきよし)。ホトトギ... |
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加藤楸邨
加藤楸邨(かとうしゅうそん、1905年(明治38年)5月26日-1993年(平成5年)7月3日)は日本の俳人、国文学者。本名は加藤健雄。妻は俳人の加藤知世子。 |
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中村草田男
日本の俳人。本名・中村清一郎(なかむらせいいちろう)。 |
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飯田蛇笏
日本の俳人。本名、飯田武治(いいだたけはる)。別号に山廬(さんろ)。 |
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飯田龍太
飯田龍太(いいだりゅうた、7月10日-2月25日)は日本の俳人、随筆家、評論家。戦後における俳壇で新鋭的な俳人として一躍注目を集める。俳人・飯田蛇笏(武治... |
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寺山修司
日本の詩人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。「言葉の錬金術師」の異名をとり、上記の他に歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、... |
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阿波野青畝
阿波野青畝(あわのせいほ、1899年(明治32年)2月10日-1992年(平成4年)12月22日)は日本の俳人。本名は阿波野敏雄。昭和初期に、山口誓子、高野素十、水原秋... |
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松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(... |
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正岡子規
日本の俳人、歌人、国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。俳句、短歌、新体詩、小説、... |
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水原秋桜子
日本の俳人、医学博士。本名は水原豊(みずはらゆたか)。 |
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皆吉爽雨
昭和13年、雪解刊行会・刊。 皆吉爽雨(みなよし・そうう)は、福井県の生まれである。福井の旧制中学校を卒業し、大阪の会社に就職した。 「雪解」は彼の第... |
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プロフィール
- 秋元不死男とは
- 経歴
- 句集
- 評論・エッセイ
- 参考文献
秋元不死男(あきもとふじお、1901年11月3日-1977年7月25日)は俳人。前号は東京三(ひがしきょうぞう)。別号に秋元地平線。本名は秋元不二雄。
経歴
| 神奈川県横浜市生まれ。 |
| 1929年(昭和4年)北川光春" |
| 1930年(昭和5年)7月、『土上』にABCの筆名で「プロレタリア俳句の理解」を発表、読売新聞文芸部長の千葉亀雄により評価され、執筆意欲を高めた村山(1985):100-104ページ。 |
| その後、『土上』を代表する俳人に成長する三谷(1966):130ページ。 |
| 1934年、新興俳句運動に加わる。 |
| 1940年、西東三鬼らと「天香」を創刊。 |
| 1941年、治安維持法違反の嫌疑で検挙され、1943年2月に保釈されるまで獄中にあった。 |
| 俳号の東京三は「京三東」(きょうさんとう)と読める |
| 戦後、1946年、平和と民主主義を掲げる新俳句人連盟の創立に関わり、同連盟幹事長。 |
| 同年6月、新俳句人連盟分裂の責任をとって休俳宣言をするも、1947年、現代俳句協会創立会員(のち幹事長)。 |
| 1947年、俳号を秋元不死男と改める。 |
| 1948年、山口誓子の「天狼」創刊に参加。 |
| 1949年、「天狼」東京句会を中心にして「氷海」創刊。 |
| 1961年、現代俳句協会を脱退、俳人協会設立に参加。 |
| また、1956年、古沢太穂、小林康治、飯島草炎らとともに横浜俳話会を発足。 |
| 西東三鬼とともに行動をともにすることが多く、俳壇の分裂再編にも、その都度関わった。 |
| そのためその風貌に似合わず策士のイメージも付きまとった。 |
| 戦後の「民主主義革命のために奉仕する俳句」などの主張のように、そのときどきの時流に迎合する、いわゆるオポチュニストと見る向きもある。 |
| 晩年は飄逸な句風となった。 |
| 「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」「ライターの火がポポポポと滝涸るる」「へろへろとワンタンすするクリスマス」といったオノマトペを活用した作品で知られる。 |
| 「アーチストではなくアルチザン(職人)」を自称。 |
| 1968年、句集『万座』にて第2回蛇笏賞を受賞。 |
| 1971年、直腸癌の摘出手術を受ける。 |
| 翌年2月に再入院し、7月25日、入院先で逝去。 |
| 忌日は「甘露忌」と呼ばれる。 |
| 妹は劇作家の秋元松代。 |
| 息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビディレクター・プロデューサー。 |
句集
| 『街』(東京三名義)俳苑叢、1940年。 |
| 『瘤』 作品社、1950年。 |
| 『万座』 角川書店、1968年。 |
| 『自選自解秋元不死男句集』 白凰社、1972年。 |
| 『甘露集』 角川書店、1977年。 |
| 『秋元不死男全集』(全句集・俳文集) 角川書店、1980年。 |
| 『季語別秋元不死男全句集』(鷹羽狩行編) 角川書店、2001年。 |
評論・エッセイ
| 『現代俳句の出発』(東京三名義) 河出書房、1939年 。 |
| 『俳句への招き』 永田書房、1976年。 |
| 『俳句入門』 角川書店、1977年。 |
| 『秋元不死男俳文集』 角川書店、1980年。 |
参考文献
| 三谷昭(1966):"新興俳句運動の俳諧とその傾向"俳句(角川書店).15(10):127-133.。 |
| 村山古郷『昭和俳壇史』角川書店、昭和60年10月25日、308pp.ISBN4-04-884066-5。 |
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1934年
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新興俳句運動に加わる |
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1946年
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平和と民主主義を掲げる新俳句人連盟の創立に... |
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