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つながりの強いひと
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白鵬翔
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鈴木桂治
茨城県常総市(旧結城郡石下町)出身の柔道家。講道館柔道五段。血液型はAB型。身長184cm。体重100kg。国士舘高校、国士舘大学体育学部卒業。国士舘大学大学... |
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プロフィール
- 稀勢の里寛とは
- 入門まで
- 初土俵~十両
- 新入幕
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 才能・取り口
- 合い口
- エピソード
- 関連サイト
稀勢の里寛(きせのさとゆたか、1986年7月3日-)は、茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市)出身で鳴戸部屋所属の現役大相撲力士。本名は 萩原寛(はぎわらゆたか)、愛称はハギ。身長188cm、体重171kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥。龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ、寄り、突き。最高位は東関脇(2009年9月場所、2010年5月場所-7月場所、2011年1月場所)、血液型はB型。
入門まで
| 小学校4年生から野球をやっていたが、相撲が好きで小学2年頃からよくテレビで観戦していた。 |
| 中学2年時に牛久市へ転入。 |
| 野球の能力も高く小学生時代は捕手を、中学1年からは投手を勤め、中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もあった。 |
| 入門にあたっては難色を示す両親や中学の先生を、鳴戸親方が熱心に説得して実現した。 |
初土俵~十両
| 低迷する日本人力士の希望として親方衆やファンの期待は大きく、関取昇進以前から将来の飛躍を確実視されていた。 |
| その素質への高い期待に応えるように、中卒で入門した力士としては極めて早い出世を重ねる。 |
| そのペースを上回る勢いで出世し追いついてきた琴欧州(現・琴欧洲)とは、幕下から十両時代にかけて良きライバル関係を築く。 |
| 十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9カ月)。 |
| ただし十両では終盤戦で頻繁に立ち合い変化に敗れ失速、二桁勝利を残せず通過に3場所を要し、同時に十両昇進し十両を2場所で通過した琴欧州、豊ノ島に遅れをとった。 |
新入幕
| 2004年11月場所、貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3カ月)で番付を駆け上がり新入幕を果たす。 |
| 同時にこれまで本名のままで取っていた四股名を「稀勢の里」と改名した。 |
| 「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて師匠が提案、本人も納得してつけられた。 |
| 新入幕からの一年は苦戦が続き、十両時代にも見られた土俵際で粘られてたまたま足が出て勝った相撲や体格に任せて無理矢理倒す相撲(このような相撲で敗れた玉力道(現荒磯)や琴乃峰は膝に重傷を負っている)、相手の叩きにつけ込んだ相撲が多く、また土俵際の逆転を頻繁に許すなど詰めの甘さも目立ち、舞の海秀平には「前に出て土俵際で止まることも勉強しなければいけない」と酷評されたこともある。 |
| この間は最高9勝で、ぎりぎりの勝ち越しと負け越しを繰り返していたが、2005年9月場所では12勝を挙げ最後まで優勝争いに残り、また優勝争いの先頭だった琴欧州に土をつけるなどの大活躍で、初の三賞、敢闘賞を受賞した(19歳2カ月での初三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録)。 |
| しかし、更なる活躍が期待された翌11月場所は自己最高位の東前頭5枚目で壁にぶち当たり5勝10敗と大きく負け越した。 |
[[2006年]]
| 3月場所では東前頭7枚目で10勝5敗と2005年9月場所以来3場所ぶりの二桁勝利を上げる活躍をし、翌5月場所は苦戦しながらも自己最高位の東前頭筆頭で千秋楽に勝ち越した。 |
| 7月場所での三役昇進を果たした(19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の年少記録)。 |
| この場所は中日までは自分よりも番付が上の力士とばかりの対戦が組まれ、8日目まで2勝6敗ながらも、2大関(琴欧州・魁皇)を破るなど健闘し、9日目から6連勝し最終的には8勝7敗と新三役で勝ち越しを収めた。 |
| 翌9月場所では横綱朝青龍から初白星を上げ、8勝7敗ながらも朝青龍に勝利したことが評価され、殊勲賞を受賞した(しかしその勝ち越しとなった8勝目は不戦勝であった)。 |
| 翌11月場所も勝ち越し、幕内に昇進して以来初めての年間全場所勝ち越しを達成した。 |
[[2007年]]
| 2007年は大関昇進、優勝を期待される年となった。 |
| だが、1月場所では変化技に弱いなど土俵際での甘さが見え、新入幕から2年以上が経つにもかかわらず、弱点が未だ克服されていないことを露呈させる形となり、何とか粘ったが千秋楽に破れ7勝8敗と負け越し、4場所勤めた小結から陥落した。 |
| 東前頭筆頭で迎えた翌3月場所は、三役復帰に向けて必死の土俵を続けていたが中日の朝青龍戦で送り投げで投げられ、倒れた後に軽く膝蹴りを受ける。 |
| これには異論もあるが、当時解説者は「これはいけませんね。 |
| 膝でおっつけしちゃ」と朝青龍に苦言を呈している。 |
| その後は相撲内容が振るわず、結局6勝9敗で負け越し、5月場所も6勝9敗と3場所連続で負け越した。 |
| 続く7月場所は、千秋楽で大関昇進が確実な関脇・琴光喜に勝利するなど、西前頭6枚目ながら11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利を達成した。 |
| その場所において琴光喜の大関昇進が決まったこと、同じく関脇・安馬(現日馬富士)が負け越したこと、さらには小結、前頭上位で勝ち越したのは安美錦と朝赤龍だけだったために、翌9月場所では小結に復帰することとなった。 |
| しかし、また6勝9敗と勝ち越すことが出来ず、平幕に転落した。 |
| 次の11月場所では、中盤までは黒星が先行する展開であったが終盤に4連勝するなど星を伸ばし、9勝6敗と勝ち越した。 |
| この場所からは四つ相撲主体の取り口が多く見られるようになり、終盤は左四つ右上手からの攻めが冴えを見せた。 |
[[2008年]]
| 東前頭筆頭と三役復帰が見える番付で迎えた1月場所は、朝青龍復帰の場所として注目を集めた。 |
| 2日目に朝青龍と対戦した稀勢の里は、真っ向からの勝負で横綱を土俵下に送り倒し、自身初となる金星を獲得。 |
| 最終的に10勝5敗という好成績を残し2回目となる殊勲賞を獲得。 |
| 3月場所で3場所ぶりに小結復帰を果たし、11日目までは7勝4敗の成績で迎えるも、その後に下位力士に連敗、14日目に勝ち越しを決めたものの、千秋楽に7勝7敗の西関脇・琴奨菊戦に敗れ関脇昇進を逃した。 |
| 5月場所では初日に朝青龍に圧勝し、さらにここ数場所連敗が続いていた安馬、琴奨菊の両関脇に相撲内容では圧倒されていたものの土俵際の逆転で勝ち、千秋楽に勝って10勝5敗と三役では初の2桁勝利を挙げ2度目の敢闘賞を受賞した。 |
| しかし6日目までは5勝1敗と優勝争いも期待されていたにもかかわらず、7日目にこの場所優勝した琴欧洲戦で張り差しに失敗して敗れると終盤戦にかけて調子を崩し、今後に課題が残る場所ともなった。 |
| 両関脇が勝ち越したため7月場所も小結に据え置きとなり、小結在位8場所と、最高位が小結の力士としては昭和以降では富士錦の10場所、出羽錦と高見山の9場所に次ぐ記録となった(富士錦以外はその後関脇に昇進している)。 |
| 7月場所は当然関脇を狙っており、北の湖理事長(当時)が「今場所は非常に大事だ」という程だったが、この場所からスランプに陥り初日から黒星を重ね6勝9敗で負け越した。 |
| 前頭2枚目に降格となった9月場所も腸捻転と診断され初日から4連敗(場所中は公表していなかった)。 |
| 5日目には白鵬を破り金星を獲得したものの、この場所は立合いの手つきの厳格化の方針が打ち出され現場では不安定な判断が続いており、実際には稀勢の里が手つき不十分のまま立合いを成立させてしまった可能性があった |
| その後も振るわず12日目に負け越しが決定。 |
| 終盤下位力士に勝って持ち直したものの6勝9敗に終わった。 |
| 体調が回復した11月場所は番付を下げたことや朝青龍の休場、大関陣の不振も重なり11勝4敗と3場所ぶりの勝ち越し、前述の記録で高見山と並び2位タイの9場所目となる小結への復帰が決まった。 |
| この場所13勝2敗の優勝同点で大関昇進を決めた安馬を破ったが、相撲内容には不安定さが見られ、番付下位の豪風に敗れたりもした。 |
[[2009年]]
| 1月場所では初日に進退問題に揺れる朝青龍との対戦が決まり、世代交代の期待を一身に受けたが、立ち合いから押し込み、右上手を取り土俵際まで追い詰めたにもかかわらず逆転負け。 |
| その後も一進一退が続き1度も白星先行できず。 |
| 関脇・安美錦の途中休場により勝ち越せば関脇昇進という状況ながらまたしても負け越してしまうのかと危惧された。 |
| 7勝7敗で迎えた千秋楽も高見盛にもろ差しを許し土俵際まで追い詰められ、万事休すと思われたがなんとか勝利を収め、小結昇進から2年半かかって遂に関脇昇進を果たした。 |
| しかし詰めの甘さや格下相手の取りこぼし、安易な張り差し等相撲内容に改善は見られず、千秋楽には北の富士から苦言を呈された。 |
| 関脇として満を持して臨んだ3月場所では体調不良が伝えられる中、序盤から不安定な相撲が多く、詰めの甘さや安易な変化など相撲内容は相変わらずで負け越しに終わり、一場所にして関脇から陥落することになった。 |
| 5月場所では上位との対戦がほとんど無い平幕ながら自身最多となる13勝をあげ、3度目の敢闘賞を受賞した。 |
| 千秋楽まで優勝争いに加わり、日馬富士が琴欧洲に敗れて朝青龍が白鵬に勝てば「白鵬、朝青龍、日馬富士、稀勢の里での四つ巴戦」の可能性もあったが、日馬富士が琴欧洲を破り、優勝の可能性が消えた。 |
| しかし久々に周囲の期待に十分に応えた場所であり、再び大関昇進を期待する声が高まったかに思えた。 |
| 7月場所は、2場所ぶりに関脇に復帰(西関脇)した。 |
| 中日に横綱朝青龍を土俵際で左からの突き落としで破り、朝青龍の全勝を止めた。 |
| 9日目まで7勝2敗だったが、その後3連敗。 |
| 13日目に勝ち越しを決め、最終的に9勝6敗。 |
| 1横綱(朝青龍)3大関(魁皇、琴光喜、千代大海(現佐ノ山))を破った。 |
| しかしながら琴奨菊、旭天鵬、把瑠都には同じ負け方を繰り返し、勝った相撲でも張り差しを多用するなど相撲内容は相変わらずだったことで、千秋楽には舞の海から「期待外れ」と評された。 |
| 9月場所は中日まで5勝3敗だったがその後4連敗となった。 |
| 7勝7敗にこぎつけたものの、千秋楽には把瑠都に片手で土俵下に投げ捨てられるという力の差を見せ付けられる内容で完敗した。 |
| 7勝8敗で負け越しとなり11月場所では小結に陥落し、小結在位が歴代10位タイの10場所となった。 |
| また23歳3カ月での10場所到達は武双山(現藤島)の27歳6ヶ月を大幅に上回る史上最年少記録である。 |
| 11月場所も6勝9敗と精彩を欠き、解説陣からは引き続き酷評された。 |
[[2010年]]
| 前頭3枚目に陥落した1月場所は序盤把瑠都や琴奨菊などの苦手力士を連破する活躍で5連勝したがその後5連敗し、終盤は盛り返したが9勝6敗に終わった。 |
| 小結に復帰した3月場所も9勝6敗と勝ち越しはしたが2桁勝利には届かず、上位陣との対戦では外国勢の白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都にはいずれも敗れている。 |
| 関脇で迎えた5月場所もその4人に敗れ、8勝7敗に終わった。 |
| 7月場所は中日まで6勝2敗の成績だったがそこからこれまで苦手として来た力士に加え阿覧や豊真将にも完敗するなど5連敗し、千秋楽にも鶴竜に土俵際の逆転で敗れ7勝8敗と負け越し、9月場所は12場所目の小結へ陥落した。 |
| その9月場所でも把瑠都を破ったものの7勝8敗と負け越し、11月場所は前頭筆頭に転落した。 |
| だが、その11月場所の2日目に、63連勝中の白鵬を寄り切りで破って連勝記録を止めた。 |
| 同時に自身3個目の金星獲得ともなった。 |
[[2011年]]
| 1月場所11日目に押し出しで23連勝中だった白鵬を破った。 |
| 同場所の番付に代わって発表された順席では西関脇となっている。 |
| 7月場所は終盤に5連勝し千秋楽では14戦全勝で優勝を決めていた日馬富士に土を着け全勝優勝を阻むなど10勝5敗を挙げ、3度目の三役での二桁勝利となったが、東関脇の琴奨菊は11勝を挙げたため9月場所の番付も西関脇のまま維持となった。 |
才能・取り口
| 十両、幕内、三役と、いずれも年少昇進記録に名を連ね、北の湖、貴乃花と並ぶ若さで昇進を果たして早くから好角家の期待を集めた。 |
| その素質は抜群で体躯にも恵まれており、前後して台頭してきた期待の日本人力士豊真将、琴奨菊、豊ノ島、豪栄道、栃煌山らの中でも、もっとも早くから期待された力士である。 |
| 左のおっつけは威力抜群で相手の体が浮くほどであるが、右のおっつけは左に比べると甘いと評されている。 |
| 北の富士はテレビ解説で彼のことを日本人でもっとも期待できると発言したことがあり、舞の海は、一時は前述の5人と豊響を含め日本人期待の若手を、1958年5月場所で十両優勝決定戦を戦った富樫(後の横綱柏戸)ら7人の力士になぞらえ、「七人の侍」として持ち上げていたが、2009年時点で誰一人大関にかすりもしないというあまりの不甲斐なさに、舞の海は放送中アナウンサーに「七人の侍」について触れられると苦笑いに近い反応を取るようになり、同年末の「大相撲とことん言います!2009」で「解散」を宣言、さらに2010年には軽微な賭博を含むと稀勢の里自身を含め半数以上が大相撲野球賭博問題に関与したため事実上消滅した。 |
| 2006年に三役昇進を果たした後は長らく停滞しており、大関挑戦はおろか三役での勝ち越しすらままならない状態が5年も続いている。 |
| 2008年7月場所では、あまりの不甲斐なさに北の富士からは「張り差しではなくただの張り」、舞の海からは「稀勢の里の体と豊ノ島の頭を足して2で割れればちょうどいいんですけどね」などと屈辱的な解説を受けてしまった。 |
| 新関脇だった2009年3月場所の13日目に鶴竜にあっさり二本差しを許し寄り切られ負け越してしまったが、その相撲を見た解説の武隈親方は、弱点を直さない稀勢の里の相撲振りを「謙虚じゃない。 |
| 負けた相撲から学ぶことをしない」と酷評し、更にそのような状態で関脇に在ることに対して(同じ日に解説だった舞の海が同年1月場所前に朝青龍に言われてしまった言葉を転用して)「顔じゃない」(角界独特の用語で、分不相応である、の意)と辛らつに批判した。 |
| ついには2009年3月場所中に武蔵川から「よその部屋に出て行って横綱、大関に星をあげ、自信をつけろ」と言われるに至った。 |
| 2010年11月場所で鳴戸部屋から髙安が十両に昇進したため、若の里の引退後も出稽古が解禁される可能性は低くなった。 |
合い口
| 大関・魁皇とは16勝12敗と勝ち越しているが、2010年5月場所から2011年1月場所まで4連敗しており、同年の5月技量審査場所で勝利し、連敗を止めた。 |
エピソード
| 新十両の際、THE・サンデー(日本テレビ)において、徳光和夫から琴欧州の愛称「角界のベッカム」に対し「角界の平山相太」と評された。 |
| 2005年7月場所の玉飛鳥戦、2006年3月場所の安美錦戦とわずか5場所の間に2度も勇み足で敗れている。 |
| 2009年1月、年寄名跡の荒磯を取得した |
| 前述のとおり2010年11月場所、2011年1月場所と2場所連続で白鵬を破ったが、いずれもNHKの放送時間が残りわずかだったため2010年11月場所では殊勲インタビュー冒頭のみで放送終了、2011年1月場所では放送時間内にインタビューが行われなかった(いずれも大相撲・幕内の全取組では全て放送されている)。 |
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1958年
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十両、幕内、三役と、いずれも年少昇進記録に... |
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1986年
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稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)は、茨城県... |
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