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つながりの強いひと
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稲嶺恵一
ゲストに前沖縄県知事の稲嶺恵一さんをお迎えしました。大変に重責を担われながら知事として奮闘されてきたお話や、プライベートな話題として、これまでに周... |
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稲嶺惠一
日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道など... |
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日重
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日蓮宗の僧。若狭国の出身。字は頼順。号は一如院。幼い頃に仏心院日珖に師事して、日蓮教学を学ぶ。南都の教学をは... |
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瀬長亀次郎
日本の政治家。衆議院議員(7期)、那覇市長(1期)、立法院議員(2期)、沖縄人民党委員長、日本共産党幹部会副委員長を歴任する。 |
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屋良朝苗
琉球政府および沖縄県の政治家・教育者。1968年11月より唯一の公選行政主席として沖縄の日本復帰までその職にあり、復帰後は沖縄県知事を2期務めた。沖縄県中... |
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浅野豊美
福島県伊達郡桑折町(旧睦合村)生まれの国際政治学者・歴史学者。中京大学国際教養学部教授。浅野清治玄孫。専門は日本政治外交史・東アジア国際関係史。「... |
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十河信二
日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市市長、第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1955年-1963年)。「新幹線の父」と呼ばれる。西条市名誉市民第一号。 |
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山崎元幹
山崎元幹(やまざき・もとき 明治22年(1889年)7月7日-昭和46年(1971年)1月24日)は昭和期の実業家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)最後の総裁としてその終... |
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矢内原忠雄
日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。 |
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田中角栄
日本の政治家。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 |
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西銘順治
外務省及び琉球政府の官僚で、琉球政府及び沖縄県の政治家。沖縄自由民主党総裁。那覇市長や衆議院議員を歴任し、1978年から1990年まで沖縄県知事を務めた。... |
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米軍基地
米兵ブラザーたちが最新のダンスミュージックを最新のステップで踊っていたDISCOがたくさんあった。 しかしダンサーとしてのカミングアウトは大学4年の時。新... |
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大田昌秀
日本、沖縄の政治家、社会学者。元沖縄県知事、元社会民主党参議院議員。琉球大学名誉教授。沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 |
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仲井眞弘多
現沖縄県知事。報道などでは新字体を用い仲井真弘多とも表記される。 |
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上原康助
日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任する。 |
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國場幸昌
日本の政治家。元衆議院議員(6期)。沖縄開発政務次官(第5代、第6代、第9代、第10代)を務めた。沖縄県国頭郡国頭村出身。海軍航空学校卒業。 |
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糸数慶子
日本の政治家。無所属参議院議員(2期)。沖縄社会大衆党委員長。バスガイド、沖縄県議会議員(3期)を歴任。 |
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西銘順志郎
政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。 |
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鈴木宗男
日本の政治家。前衆議院議員(8期懲役刑確定に伴い2010年〈平成22年〉9月15日に失職)、新党大地代表(初代、収監中は浅野貴博が代行)。かつては国務大臣北... |
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プロフィール
稲嶺一郎(いなみねいちろう、1905年9月23日-1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事 稲嶺惠一の父。
略歴
| 1929年早稲田大学に入り、その後下宿先となった早稲田大学の恩師の娘と結婚。 |
| 卒業後は南満州鉄道に入社。 |
| 満鉄青年同志会に参加し、用務部長として十河信二や山崎元幹という満鉄有力者と個人的な関係を結んだ。 |
| 満鉄駐在員としてバンコクに滞在し、タイの王族、華僑、現地有力者などとの間で親交を結ぶ。 |
| 東南アジアの新しいリーダーと戦中に交際を深めたことが、戦後のアセアン人脈となる。 |
| 第二次世界大戦中は、海軍武官府に出向しインドネシアのジャカルタに赴任。 |
| 敗戦後にはジャカルタ在住の沖縄県出身者コミュニティーの中心的人物となり、インドネシア人に漁業技術等を伝授。 |
| インドネシア独立戦争を支援した容疑でオランダ当局によって投獄された。 |
| 日本本土に帰国後は戦後すぐに結成された沖縄人連盟に参加し、英語能力を生かしGHQ琉球課との接触の窓口を勤める。 |
| GHQ琉球課長ウェッカリングの依頼を受け、戦後初めて沖縄人連盟を代表して、地上戦で荒廃した沖縄本島を1947年に訪問。 |
| 沖縄県民から大歓迎を受ける。 |
| 当時の沖縄本島は、米軍基地拡大により耕地を接収される一方、南洋群島や満洲から強制的に引揚民が帰還させられたため、過剰人口で溢れかえっていると稲嶺には見えた。 |
| ただし、引揚の積極推進を率先して行ったのは、当の沖縄人連盟であった。 |
| そのため稲嶺は、沖縄県の復興を、戦前の最大の産業ともいうべき移民事業の再興によって、しかも、旧南洋群島への再移民許可によって行うべしとする報告書をまとめ、琉球課に提出し受理される。 |
| 米国海軍の反対でその案が否定されると、ブラジル・アルゼンチンへの移民送出事業のため、沖縄民政府を代表し南米視察に出かける。 |
| 移民事業は、旧南洋群島と共にアメリカの信託統治領に沖縄県を編入して欲しいとする、稲嶺の考えを支える経済的社会的土台であった。 |
| 稲嶺が移民へ深く係わったのは、大東亜共栄圏時代に人口再配置による計画経済の影響を受けたことと、戦前の沖縄県が移民を主産業として成立していた事実からであった。 |
| 屋良朝苗率いる沖縄教職員会主催の矢内原忠雄による1957年の沖縄訪問にも、移民事業は沖縄県再興の切り札として期待され、実際、ボリビア等に沖縄県民が送出された。 |
| 後に、移民は瀬長亀次郎等の沖縄人民党から、「棄民」であるとの批判を浴び、又、日本本土への出稼ぎが本格化すると衰退していった。 |
| ボリビアのコロニア・オキナワは有名。 |
| 米軍とのコネクションを生かし、沖縄帰還後は、琉球石油(現在のりゅうせき)を起業し、正妻の内助の功に支えられながら沖縄県随一の企業へと育て上げる。 |
| 1970年の国政参加選挙(第8回参議院議員補欠選挙)に自由民主党から参議院議員に当選。 |
| 3期13年務め、沖縄県の発展に尽力。 |
| 沖縄県保守勢力の中心的存在となる。 |
| 政界屈指のアセアン人脈の持ち主として知られた。 |
| 独立闘争を支援したことから、インドネシアの建国記念式典に国賓待遇で迎えられたこともある。 |
| 日本インドネシア友好団体協議会会長、日本カンボジア協会会長などの要職を歴任した。 |
参考文献
| 稲嶺一郎『世界を舞台に』(沖縄タイムス、1988年)。 |
| 金城達己『ボリビアコロニア沖縄入植二十五年誌』(ボリビアコロニア沖縄入植二十五周年祭典委員会、1980年)。 |
| 浅野豊美編『南洋群島と帝国・国際秩序』( |
| 若月泰雄『発展途上国への移住の研究』(玉川大学出版部、1987年)。 |
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