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プロフィール
- 立川談志とは
- 大学
- 所属事務所
- 家族
- 概説
- 経歴
- 政治活動
- 音楽活動
- その他の活動
- 現在
- 噺家として
- 笑点初代司会者として
- 性格
- 他の芸人、タレントへの批評
- 関連項目
- 関連サイト
立川談志(たてかわだんし)は、落語家の名跡。当代(家元の談志)は7代目だが、5代目と自称している。これは明治時代の寄席で人気を博していた釜堀りの談志(4代目)が初代を称し、俥屋の談志がそれに倣って4代目と称していたようなので、当代は5代目というのは語呂が良く、さらに師匠5代目 柳家小さんと代数が合うので丁度いいということで、5代目を名乗ることになった(当代著書『現代落語論』より)。釜堀りの談志を初代と見なした場合、3代目になるはずの談志がなぜ4代目を称していたかというのは、本名恒川駒吉の談志と俥屋の談志の間にはもう一人談志がいたらしいため、その談志を代数に含めていたためではないか ...
大学
| 大学の客員教授を務めている。 |
| 受け持ち科目は共通科目の「落語と文化・文明論」。 |
所属事務所
| 2000年12月13日~現在。 |
| 有限会社「談志役場」(松岡慎太郎社長=談志の息子)。 |
| 1983年落語協会脱会~2000年3月末まで。 |
| 「立川企画」(松岡由雄社長=談志の実弟)。 |
| 現在も立川志らくのマネージメントを担当。 |
| 1971年国会議員就任~1983年落語協会脱会まで。 |
| 「まむしプロダクション」(毒蝮三太夫社長、松岡由雄マネージャー=弟)。 |
| 談志プロと同じ会社。 |
| 本人が国会議員になったため、談志プロが社名と社長を変更したもの。 |
| 師匠5代目柳家小さんが一タレントとして所属していた。 |
| 1967年頃~1971年国会議員就任まで。 |
| 「談志プロダクション」(談志自身が社長)。 |
| 1965年頃~1967年頃。 |
家族
| 息子は所属事務所有限会社「談志役場」社長の松岡慎太郎。 |
| 弟は松岡由雄(立川企画社長←「まむしプロダクション」でマネージャー)。 |
| 娘は銀座のクラブホステスママ松岡弓子。 |
| 元バラエティタレントで、当時の芸名は松岡まこと。 |
概説
| 古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けている。 |
| 古典落語を現代的価値観・感性で表現しなおそうという野心的努力は高く評価され、天才と称されるがその荒唐無稽、破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもある。 |
| 落語の他、講談、漫談をも得意とするなど、芸域は広い。 |
| 自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。 |
| 出囃子は『木賊刈』(とくさがり)。 |
| 5代目三遊亭圓楽、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝死去後は8代目橘家圓蔵)と共に『江戸落語四天王』と呼ばれた。 |
経歴
| 1936年-1月2日、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区白山)に生まれる。 |
| 1952年-東京中学卒業。 |
| 先輩に安藤鶴夫、牧伸二がいる。 |
| 1952年-高校を中退し、4月の16歳で5代目柳家小さんに入門。 |
| 本名の「克由」の一字を取って、柳家小よしと名乗る。 |
| 1954年-3月に二つ目昇進し柳家小ゑんに改名。 |
| 寄席の他に日劇ミュージックホールや新宿松竹文化演芸場にも定期的に出演し、コントや漫談も披露。 |
| 赤シャツにジーパン姿がトレードマークだった。 |
| 1962年-入門が5年も遅い古今亭志ん朝が、「36人抜き」で小ゑんより先に真打になり、生涯最大の屈辱を味わう。 |
| 1963年-4月に立川談志を襲名し、真打に昇進。 |
| 同時に小さん門下から真打に昇進したのが5代目柳家つばめ。 |
| 日本テレビ『笑点』の企画を発案し、1966年5月から1969年11月まで初代司会者を務める。 |
| 後に、笑点放送100回記念では桂歌丸と異色漫才を行った。 |
| 1969年-第32回衆議院議員総選挙に無所属で出馬するも落選。 |
| 1970年- ニッポン放送にて、月の家圓鏡(現・8代目橘家圓蔵)と、木魚を叩きながら、ナンセンスなやりとりをするラジオ番組「談志・円鏡歌謡合戦」を放送開始。 |
| 人気番組となり、1974年まで放送(のちに、舞台やテレビ番組などで、何度も「再現」をしている)。 |
| 1971年-第9回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で初当選。 |
| 直後に自由民主党(自民党)に入党。 |
| 1975年-12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任したが、翌年1月30日(在任36日目)に辞任。 |
| 1978年-6代目三遊亭圓生ら三遊派が落語協会脱退。 |
| 落語協会分裂騒動となる。 |
| 談志と5代目圓楽を黒幕とする説が多い5代目圓楽は著書で新協会設立の話を圓生に持ちかけたのは談志であると述べている。 |
| 川柳川柳の著書によると、談志は脱退した三遊派で構成される『三遊協会』の次期会長は自分だと思い込んでおり、圓生に確認したところ、「次は志ん朝だ」と答えられたため、思惑が外れて計画から手を退いたとある。 |
| 金原亭伯楽の著書にも同内容のことが書かれている。 |
| 1983年 その後、落語に専念することになるが、落語協会真打昇進試験制度運用を巡って落語協会会長で、師匠小さんと対立、83年落語協会を脱会し落語立川流を創設、家元となる。 |
| 1995年-新潟県西蒲原郡岩室村夏井(現:新潟市西蒲区夏井)に田んぼを持つ。 |
| 「談志の田んぼ」と称し、以降、田植え、稲刈り作業をほぼ毎年行い、年によっては岩室温泉での落語会も行う。 |
| 1999年-長野県飯田市での高座にて、落語を上演中に居眠りしていた客一人を注意して退場を勧告したことにより、「落語を聴く権利を侵害された」と訴えられる珍事件に発展した。 |
政治活動
| 1969年に衆議院選挙に立候補したが落選東京8区、無所属。 |
| 1971年の参議院選挙では当時の全国区で50人中50位の最下位当選だったが、その際のインタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」という言葉を残す。 |
| 直後に自由民主党(自民党)に入党した(本人によれば、佐藤栄作が座布団からおりて小さんに頭を下げたからと言うのが理由だという)。 |
| 三木内閣時代の1975年12月には沖縄開発政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。 |
| さらに政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。 |
| 在任中は特に共産党議員への野次に力を入れていたことにより、共産党支持者の8代目林家正蔵(後の林家彦六)(ただし、共産党のイデオロギーに共感したわけではなく、本人は判官贔屓としている)と、野次があるたびに喧嘩をしていた模様(ただし、彦六は談志の選挙を手伝っており、また、談志も国会の決算委員会で国鉄問題の際に通勤定期を通勤のみに使い、外出など私用な目的には定期を使わずに運賃を払っている人物の例として彦六を取り上げており、議事録にも残っている(昭和51年10月28日、参議院運輸委員会会議録7号29頁))。 |
| 談志によると「議会には反対派も必要だ」と言うが、政治レベル以外での個人的な交友関係によるものとも思われ、上田も立川流の高座に上がったこともあるほか、談志・西丸震哉と「老人党東京」を旗揚げしている。 |
その他の活動
| 手塚治虫の熱烈なファンで、生前の手塚本人との親交も深く、アニメ映画『ジャングル大帝』に声優として参加した(密猟者ハムエッグ役)。 |
| 1992年、瀬戸内海のサメが人を襲う事件があり、当時、明治大学替え玉受験疑惑で芸能活動謹慎中であったなべおさみと「シャークハンター必殺隊」を結成、鮫のぬいぐるみのついた野球帽をかぶって現地入りし、現地の人たちから顰蹙を買い罵声を浴びた。 |
現在
| 2005年4月から、NHKラジオ第1放送でラジオ創世記の名番組のリメイク『新・話の泉』(おしゃべりクイズ疑問の館の枠で月一回放送)のレギュラーを毒蝮三太夫、山藤章二、松尾貴史、その他ゲストとともに務めている。 |
| 以前は2005年10月6日から、ナイターオフシーズン(10月~3月)に放送されていた『おとなの時間割「談志の遺言」(TBSラジオ火曜21時~22時)に出演していた。 |
| 2007年に入ってからテレビで再びコメントを求められるようになり筑紫哲也NEWS23に出演「私の多事争論」で病欠の筑紫哲也をサポートして見せ、情報プレゼンターとくダネ!では直接ではないものの5代目柳家小さんの孫柳家花緑と共演している(花緑の受け持ちコーナー「温故知人〜天国からのメッセージ」で生前親交のあった横山ノックを取り上げた際ゆかり人物としてVTR出演)。 |
| 2008年現在、TOKYOMXで野末陳平とともにトークバラエティ番組『談志・陳平の言いたい放だい』に出演中。 |
噺家として
| 上方の噺家である、3代目桂べかこと、3代目桂南光襲名披露パーティーで、偶然、南光の楽屋で鉢合わせになり、両者が口論になった。 |
| 落語における「大名跡」の価値を評価しており、「いずれ、オレは小さんに、5代目圓楽は圓生に、志ん朝は志ん生になるべき」と、『現代落語論』で書いている。 |
笑点初代司会者として
| 1966年5月15日の放送開始から1969年11月2日まで日本テレビの演芸番組『笑点』の司会を務めているが、後年「笑点ってのはよう、アタシが作った傑作なんだよ」と語っている通り、笑点は談志が自ら企画して実現したものである。 |
| 初代メンバーの1人で後に司会を務めることとなった5代目三遊亭圓楽がいつみても波瀾万丈で語ったところによると、談志は5代目圓楽に「寄席でやっている大喜利をテレビでやろうじゃないか」と持ちかけたのが番組開始の端緒だという。 |
| 一方で、『笑点』の企画自体の思い入れがあるためか、2001年〜2003年頃には、特冊新鮮組(竹書房の隔週刊娯楽雑誌)で「大笑点」という投稿コーナーを企画(2006年〜2008年の元日に日本テレビで放送された同名番組とはまったく関係はない。 |
| 2002年には書籍化)し、2005年10月開始の談志の遺言(TBSラジオの番組)には、「おれとお前の笑点」という投稿コーナーを設けていた(2006年3月の一時終了まで存在した。 |
性格
| 評価できない人物に対しては正直に罵倒混じりの辛辣な批評を飛ばし、高座では差別用語も遠慮無く連発するなど、タブーを物ともしない過激な毒舌家として有名だが、一方ではフェミニストでありオポチュニストである。 |
他の芸人、タレントへの批評
| 上方落語に関しては、元々はそれほど造詣が深くなく、評価もしていなかったが、若手の頃、志ん朝と仕事とで来阪した際に、空き時間にたまたま笑福亭松鶴の「らくだ」を聞いて、二人とも打ちのめされるほど感動し、評価を一変させた。 |
関連項目
| アップダウンクイズ(テレビ朝日系列での放送からTBS系列での放送に変わった1975年4月6日放送分で10問正解・ハワイ旅行獲得)。 |
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1916年
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著した『古今落語系図一覧表』では、のちに宇... |
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1936年
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当代(7代目、ただし自称5代目)立川 談志(... |
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