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プロフィール
- 立川隆史とは
- 生い立ち
- 高校野球
- 1994年-1996年
- 1997年-1999年
- 2000年-2002年
- 2003年-2004年
- 2004年-2005年
- コーチ
- 格闘家への転身
- 野球解説者
- エピソード
- 背番号
- 関連項目
- 外部リンク
- 関連サイト
立川隆史(たちかわたかし、1975年10月7日-)は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者、元キックボクサー。
生い立ち
| 1975年10月7日に千葉県千葉市美浜区に生まれる。 |
| 大手レコード会社の社員で野球経験のある父親のもとで幼少時より野球に親しみ、小学校時代より硬式野球チームに入る。 |
| その後中学校3年生の時には、リトルシニアAA世界野球選手権大会に投手として出場し優勝を飾る。 |
高校野球
| その後は地元の名門である拓殖大学紅陵高等学校に入学し、1992年の夏の甲子園大会にベンチ入り唯一の2年生および5番右翼手として出場。 |
| 準々決勝で9回に逆転2点本塁打を放つなど活躍。 |
| その年同校は準優勝した。 |
| なお、この夏の甲子園で拓大紅陵は、初戦から準決勝まで全て別の投手が勝ち投手になるという長い甲子園の歴史の中でも史上初の快挙を達成した。 |
| 立川は高校野球時代を通じて通算32本塁打を記録した。 |
| この活躍はその後のプロ入り時のドラフト2位と言う高い評価に繋がったただけでなく、その後も強い印象を残し続け、文藝春秋社のスポーツ雑誌「NUMBER」の2010年8月9日号で、「1990年代の夏の甲子園ベストナイン」の1人に選ばれた。 |
1994年-1996年
| 拓大紅陵時代に「千葉が好きだからロッテに行きたいです。 |
| ロッテ以外にはどこにも行きません」と語るなどロッテでプレイしたいとの希望『ベースボールマガジン』2010年5月19日が叶い、1993年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団した。 |
| スポーツチームでは一般には同県出身者を「地元選手」と呼ぶが、美浜出身の立川は真の「ロッテの地元選手」だった。 |
| 同期入団として福浦和也などがいる。 |
| 入団した1994年と1995年はファームで経験を積み、3年目の1996年6月20日の西武ライオンズ戦で一軍デビューを果たした。 |
| その後は、地元千葉県出身でかつ地元の名門である拓殖大学紅陵高等学校出身の「和製大砲」としての期待通りの活躍を見せ一軍に定着し、同年のシーズンオフには江尻亮監督と広岡達郎ゼネラルマネージャーが辞任するなどチーム運営が混乱する中で、着実に結果を残した。 |
1997年-1999年
| 翌1997年も強力な打撃と外野手としての守備が高い評価を受け、後半戦には外野手の定位置を獲得し2割7分4厘の打率を記録するなど、近藤昭仁新監督の下で低迷するロッテマリーンズを支えた。 |
| 1998年には、前年の実績を評価され開幕戦からスタメン登場するなど、ロッテマリーンズの大黒柱を担う1人としてのポジションを獲得した |
| 1999年には、一軍デビュー以来の背番号「52」を「24」に変更し心機一転し、8月31日に行われた対西武ライオンズ戦ではサヨナラ満塁本塁打を記録した。 |
2000年-2002年
| 山本功児監督の下でロッテマリーンズの構造改革が行われた2000年-2001年のチーム低迷期にも定位置をキープし、2000年にも2割5分を超える打率を記録するなど安定した活躍を続けた。 |
| なお、この年の3月26日に行われた、ロッテマリーンズ(ロッテオリオンズ時代)の元本拠地である川崎球場の最後の試合となった対横浜ベイスターズ戦「川崎球場ファイナルシーン」において本塁打を放ち、同球場の最後の試合に花を添えた。 |
| 強力かつ安定した打撃が評価された上に、入団以来ほぼ毎年4割前後の高い長打率を記録し続けたこともあり、2002年にはロッテマリーンズの大黒柱を担う「和製大砲」の期待通りに、4番打者を任される試合も多かった |
2003年-2004年
| 2003年は出場試合数、本塁打、打点とも自己最多を記録し |
| ボビー・バレンタインが再び監督として就任した2004年のシーズン半ばの6月に、打撃力の高い右打ちの外野手を求めた阪神タイガースの岡田彰布監督の要求により、平下晃司との交換トレードで阪神タイガースに移籍する |
2004年-2005年
| 2004年6月の阪神移籍後は背番号が45に代わった。 |
| 阪神では長打力を生かして主に右の代打として出場し、6月26日には移籍後初スタメンで登場し2安打を放った他、8月8日の対巨人戦(東京ドーム)で3番を打ち移籍後初本塁打を放つなど、岡田監督の期待に答え光るところを見せた。 |
| しかし翌2005年は一軍出場が無くシーズン終了後の10月に自由契約になり、現役を引退した。 |
コーチ
| 現役引退後の2006年には、長打力が評価され中華民国の台湾プロ野球で前年度に前期優勝を果たした強豪チームである誠泰コブラズの打撃コーチを務めた。 |
| しかしチームが経営危機に陥ったため、1年のみで退任した。 |
格闘家への転身
| 2007年に、K-1JAPAN戦士育成プロジェクトに応募し、2月25日の第1回トライアウトを受験、合格は逃したものの潜在能力を評価され準合格となった |
| 5月6日に『K-1JAPANTRYOUT2007』で行われた最終試験では、オードリーの春日俊彰とスパーリングを行った。 |
| スパーでは春日から4度のダウンを奪い、合格。 |
| また強化指定4選手に選ばれ、強太郎レンジャーとともにマイク・ベルナルドの元で南アフリカ合宿を行った |
| 8月16日にディファ有明で開催された『K-1TRYOUT2007SURVIVAL』にて、中華人民共和国の閻文凱(ヤン・ウェンガイ)に判定勝ちしデビューを飾り、12月8日には、K-1WORLDGP2007FINALのオープニングファイトでキム・キミンに1RKO勝ちした。 |
| 2008年4月13日に横浜アリーナで開催された、K-1WORLDGP2008INYOKOHAMAで榎田洸之と対戦。 |
| 1Rに左ストレート、右フックで2度ダウンを奪うも、カウンターの右フックでKO負けでK-1初黒星となった。 |
| 2010年1月25日には、「Survivor〜Round.3立川隆史・引退記念興行〜」が開催され、京太郎と2分2Rの引退記念エキシビションマッチを行った |
| 引退セレモニーには永田裕志や古木克明、木下博勝やTAROかまやつなど各界から友人が駆けつけた |
野球解説者
| 2007年からは上記の格闘家としての活動の傍ら、野球解説者としてインターネット放送局「 |
| 2008年からはこの中継が再構築され、格上げになったBSデジタル放送TwellVの『TwellVプロ野球中継』に定期出演し解説を行っている。 |
| 的確な解説が高い評価を受け、テレビ中継における解説以外にも活躍の幅を広げており、2010年に古巣のロッテマリーンズがクライマックスシリーズに進出した際には、ホームの千葉マリンスタジアムで行われたファーストステージならびにファイナルステージ全試合のパブリックビューイングにも特別ゲストとして出演し解説を行っている |
エピソード
| 2004年1月、「トリビアの泉」の中で、当時横浜ベイスターズに所属していた古木克明が小学校の文集に「将来はプロ野球選手になりたい。 |
| しかし大洋(ホエールズ・横浜の旧名)とロッテには入りたくない」と書いていたというトリビアで「千葉ロッテマリーンズをこよなく愛する男」として紹介され、チームへの愛を語っていた。 |
| ロッテマリーンズ時代の登場テーマはベリーニの『サンバ・デ・ジャネイロ』で演奏終了後に観客が一斉に「たちかわー!!」とコールするのがお約束だった。 |
| この曲は阪神移籍後も阪神甲子園球場で登場テーマで使われた。 |
| 2010年に千葉マリンスタジアムで始球式を行った際にも、『サンバ・デ・ジャネイロ』が流れる中、始球式を行った。 |
| ロッテマリーンズ時代、打席での応援歌は元々trfの「masquerade」であったが、その後2作目が新しく専用に作られた。 |
| 引退後、2010年に、古巣のロッテマリーンズのホームの千葉マリンスタジアムで行われたクライマックスシリーズのパブリックビューイングに特別ゲストとして出演し解説を行った際には、内野席を埋めたファンから現役時代同様に「たちかわー!!」とコールが巻き起こった |
背番号
| 52(1994年-1998年)。 |
| 24(1999年-2004年途中)。 |
| 45(2004年途中-2005年)。 |
関連項目
| 千葉県出身の人物一覧。 |
| 千葉ロッテマリーンズの選手一覧。 |
| 日本人のマイナーリーグ選手一覧。 |
| K-1選手一覧。 |
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1975年
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立川 隆史(たちかわ たかし)は、日本の元プ... |
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1998年
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前年の実績を評価され開幕戦からスタメン登場... |
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