| 1923年、大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画。 |
| 社長の鳥井信治郎がスコットランドに適任者がいないか問い合わせたところ、「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴という適任者がいるはずだ」という回答を得た。 |
| 鳥井は以前摂津酒造に模造ワイン製造を委託していたことがあり、竹鶴とも数度面会したことがあった。 |
| 鳥井は竹鶴を年俸四千円という破格の給料で採用した。 |
| この年俸は、スコットランドから呼び寄せる技師に払うつもりだった額と同じと言われる。 |
| 同年6月、竹鶴は寿屋に正式入社。 |
| 竹鶴は、製造工場はスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていたが、鳥井は消費地から遠く輸送コストがかかることと、客に直接工場見学させたいという理由で難色を示した。 |
| 竹鶴は大阪近辺の約5箇所の候補地の中から、良質の水が使え、スコットランドの著名なウイスキーの産地ローゼスの風土に近く、霧が多いという条件から山崎を候補地に推した。 |
| 工場および製造設備は竹鶴が設計した。 |
| 特にポットスチルは同種のものを製造したことのある業者が国内になく、竹鶴は何度も製造業者を訪れて細かい指示を与えた。 |
| 1924年11月11日、山崎工場が竣工され、竹鶴はその初代工場長となる(山崎工場竣工日は、麦芽製造開始日の12月2日とされることもある)。 |
| ただし、この工場は社員は竹鶴のほかに事務員1名がいるのみの小さい工場であった。 |
| 竹鶴は酒造りに勘のある者が製造に欠かせないと考え、醸造を行う冬季には故郷の広島から杜氏を集めて製造を行った。 |
| また、当時の酒は製造時の量に応じて課税されていたが、貯蔵中に分量が減るウイスキーに対してこの方式は不利であった。 |
| このため竹鶴は当局に掛け合い、樽に封印をすることで出荷時の分量で課税するよう認めさせた。 |
| 鳥井は最大限、竹鶴の好きなように製造をさせたが、金ばかりがかかって全く製品を出荷しない山崎工場は出資者らから問題にされ、鳥井はやむなくそれとなく発売を急ぐよう指示。 |
| 出荷ができるほどに熟成した原酒は最初の年に仕込んだ1年分のみで、ブレンドで複雑な味の調整をすることができないため難色を示した竹鶴だが、それ以上出資者を待たせるわけにもいかないということも承知していたので、出荷に同意する。 |
| 1929年4月1日、竹鶴が製造した最初のウイスキー『サントリー白札』が発売される。 |
| しかし、模造ウイスキーなどを飲みなれた当時の日本人にはあまり受け入れられず竹鶴が本場同様に入れたピートの独特の臭いが受け入れられなかったという説がある。 |
| このことも含め、鳥井自身は竹鶴がスコッチにあまりにもこだわりすぎるのを疑問視していた節がある。 |
| サントリー角瓶の項も参照、販売は低迷した。 |
| 同年、竹鶴は寿屋が買収した横浜のビール工場工場長兼任を命じられたが、工場の距離が離れすぎていることや、異なる種類の酒であることから当初あまり乗り気ではなかった。 |
| 1933年11月、寿屋は突然、横浜工場を売却する。 |
| 購入額よりはるかに高値であったことから、寿屋にとってはよい商談であったが、工場長である竹鶴に事前に何の連絡もなかったことから、寿屋に対し不信感を持つようになる。 |
| 1934年3月1日、後続の技師が育ってきたこと、帝王教育を竹鶴に任されていた鳥居の長男・吉太郎に一通りの事を教え終わったこと、最初の約束である10年が経過したことから、竹鶴は寿屋を退社。 |
| 4月、北海道余市町でウイスキー製造を開始することを決意。 |
| 資本を集め、7月に大日本果汁株式会社を設立し、代表取締役専務に就任した。 |
| 筆頭株主は加賀証券社長加賀正太郎。 |
| 加賀の妻は1924年以来、竹鶴の妻のリタから英会話を学んでおり、竹鶴が事業を始めることを聞いた加賀は他の2人の出資者と共に竹鶴を支援することにしたという。 |
| そこで竹鶴は、事業開始当初は余市特産のリンゴを絞ってリンゴジュースを作り、その売却益でウイスキー製造を行う計画であった。 |
| このため農家が持ってきたリンゴは1つ残らず買い取り、しかも重量は農家の自己申告をそのまま信用して買ったという。 |
| 出荷できないような落ちて傷ついたリンゴでも残らず買ってくれるというので、大日本果汁の工場にはリンゴを積んだ馬車の列ができた。 |
| 出資者の記述はこれとはだいぶ違い、竹鶴は余市で起業する際、寿屋と鳥居には大変に恩があるので、余市でウイスキー製造をする気はない、大日本果汁はその名の通り、リンゴジュースを製造販売する会社だと説明して出資を募ったという。 |
| 創業後、莫大な返品と積み上がった在庫をどうするのかという話になったところで、ようやくそれらを使って蒸留酒を造る、そのついでに少量のウイスキーも仕込む、という話を持ち出して来たという。 |
| 1940年、余市で製造した最初のウイスキーを発売。 |