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蒲池氏
鎌倉時代以来の筑後国の一族。鎌倉時代は地頭職、室町時代は国人領主、戦国時代は筑後十五城の旗頭の大名分で柳川城主であった。蒲池氏は歴史的に見ると、嵯... |
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蒲池鑑盛
戦国時代の筑後国南部の大名。蒲池氏十六代目。蒲池鑑久の子。法名は宗雪(そうせつ)。 |
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蒲池鎮漣
貞口院)。民部大輔で筑後十五城の筆頭大名でもある。 |
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龍造寺隆信
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前の戦国大名。“五州太守”の称号を好んで用い、肥前の熊ともいわれた。仏門にいた時期は「円月坊」、還俗後は「... |
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嵯峨源氏
賜姓源氏の最初で、第52代嵯峨天皇の子孫。嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。__TOC__ |
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蒲池鑑広
戦国時代の筑後国の武将。蒲池氏の山下の分家(上蒲池)の大身。志摩守。蒲池親広の子。蒲池鎮運の父。蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の従兄弟。筑後国上妻郡に8千町(... |
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田尻鑑種
コブスの中にあるコンテンツの単語とウィキペディアの中にある単語を結びつけるコンテンツです。リンクされたキーワードをクリックするとその意味を表示しま... |
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島津氏
資料種別 : 一般書 書 名 : 琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻 シリーズ名 : 著者名 : 上里 隆史/著 出版者 : ボーダーインク ... |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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蒲池鑑久
山下城を本拠地として分家し、柳川の蒲池本流を下蒲池と呼ぶのに対して、山下の蒲池分流は上蒲池と呼ばれる。この場合の上、下とは、上=東、下=西と方向を指... |
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大木統光
筑後宇都宮氏の蒲池久憲(宇都宮久憲)の弟である宇都宮資綱の子の大木政長にはじまる。大木統光は政長の子孫で、蒲池鎮漣の母親の貞心院は田尻鑑種の姉だっ... |
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蒲池親広
筑後国の大身蒲池氏の山下の分家(上蒲池)の初代。和泉守。蒲池治久の子、蒲池鑑広の父、蒲池鑑久の弟。蒲池氏の勢力の強大化を危惧した大友氏が蒲池親広に... |
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黒木家永
戦国時代の武将。子に黒木延実がいる。弟の益種は蒲池姓を名のり、蒲池氏とは親族関係にあった。筑後国上妻郡のほぼ中央部、星野川が矢部川に合流する地点に... |
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藤原純友
平安時代の貴族。右大弁藤原遠経の孫。大宰少弐藤原良範の三男。弟に藤原純乗がいる。官位は従五位下・伊予掾。瀬戸内で朝廷に対し反乱を起こしたことで知ら... |
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三原紹心
高橋紹運 と共に 岩屋城 へ籠城。( 岩屋城の戦い )きらびやかな入道姿に、四尺余りの大太刀を構え奮戦するが、衆寡敵せず、最後は辞世の句を柱に書き付け... |
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五条鎮定
戦国時代の人物。大友氏に属した筑後国の国人。筑後高屋城主(1万4000石)。五条氏は、清原氏で明経家の家柄である。五条家の遠い祖先は天武天皇で、その孫が... |
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蒲池久憲
室町時代の武将。宇都宮久憲。三河守。宇都宮三郎久則。藤原道兼流宇都宮氏族蒲池氏(後蒲池)の祖。弟に宇都宮資綱。 |
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蒲池治久
HOME 神社婚の歴史&概要 お申込み手順 見積もり 写真だけの結婚式 店舗案内 サイトマップ 神社結婚式_福岡・北部九州の挙式サイト home >久留米・柳川 > 柳... |
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窪田鎮勝
幕末の旗本(2000石)、江戸幕府最後の西国郡代。通称治部右衛門(じぶえもん)。晩年には先祖の蒲池姓から蒲池鎮克(かまちしげかつ)と改名する。号は克斎... |
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プロフィール
筑後十五城(ちくごじゅうごじょう)は、戦国時代の筑後国における大友氏の幕下にあった大名分の国人である大身十五家の総称である。
概要
| 筑後国には一国を統一する勢力は出現せず、近隣の大大名で筑後守護となっていた大友氏の幕下で各地域の国人領主が共存共栄的に存在していた。 |
| それらの中でも特に力を持っていた15の家を「大身十五家」あるいは「筑後十五城」と言う。 |
| その筆頭で筑後を統括していたのが下筑後に1万2千町(後の禄高表記では約12万石)を領し、柳川城を本拠とした蒲池氏だった。 |
| 『大友幕下筑後領主附』において蒲池氏本家で柳川に拠る下蒲池(1万2千町)と、分家で山下に拠る上蒲池(8千町)に分かれているのは、筑後における蒲池氏の勢力が群を抜いており、さらに強大になり、大友幕下から独立してしまう事を恐れた大友氏が、蒲池鑑久の弟の蒲池親広に別家をたてさせて大名分として取り立て、蒲池氏の勢力を分散したことによる。 |
| 蒲池氏を筆頭とする筑後の領主は、大友氏の幕下にあって戦の度に動員されはしたものの、大友氏の軍事力に従っているにすぎず、常に独立あるいは敵対の可能性を秘めており、そのため大友氏は、筑後国内に「高一揆衆」という大友氏直参の小豪族を配置し、「大名分」としての筑後十五城の大身を監視した。 |
| 大友氏が耳川の戦いで島津氏に大敗し、十五城筆頭の蒲池鑑盛が討ち死にするや、肥前国の龍造寺氏が筑後に侵攻を開始し、山下城に篭城して頑強に抵抗した上蒲池の蒲池鑑広、今山城の三池鎮実、また一貫して大友氏に付いた問註所鑑景など少数の例外を除いて新興の龍造寺側に与することになる。 |
| 筑後十五城筆頭の柳川の蒲池鎮漣の妻は龍造寺隆信の娘であり、鎮漣は義父の隆信の与力として龍造寺氏の尖兵となるが、やがて隆信と反目し、隆信は柳川城を包囲するが、九州屈指の堅城である柳川城を攻めきれず、隆信は鎮漣と一旦和睦した後に肥前に招いて謀殺し、下蒲池を滅ぼして柳川を制圧した。 |
| 蒲池氏に対する龍造寺隆信の冷酷な行為に反感を抱いた筑後の大身領主達は次第に龍造寺氏から離れ、下蒲池一族殺害に協力した田尻鑑種をはじめ、黒木家永や黒木氏の出で蒲池の名跡を継いだ蒲池益種などが龍造寺氏に対して兵を起こし、龍造寺隆信は筑後経営に手を焼くことになり、龍造寺氏没落の遠因ともなる。 |
| 筑後十五城は以下の通り(『大友幕下筑後領主附』他)。 |
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