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つながりの強いひと
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露の五郎兵衛
露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)は上方落語の名跡。初代は京落語(上方落語)の祖とされる。現在は空き名跡となっている。 |
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鹿野武左衛門
江戸時代前期の落語家。江戸落語の祖、大坂出身。江戸へ下って芝居小屋や風呂屋で身振り手振りでおもしろおかしく聴かせる「座敷仕方咄」を始めた。当時1693... |
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安楽庵策伝
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての浄土宗西山深草派の僧。父は金森定近とされる。兄に飛騨高山城主金森長近がいる。落語の祖とも言われる。策伝は道号... |
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桂三枝
日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会会長。本名、河村静也(かわむらしずや)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。師匠は桂小... |
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井原西鶴
江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳人。別号は鶴永、二万翁。晩年名乗った西鵬は、時の将軍徳川綱吉が娘鶴姫を溺愛するあまり出した「鶴字法度」(庶民... |
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繁昌亭
繁昌亭大賞(はんじょうていたいしょう)は 天満天神繁昌亭 が主催する、 上方 の 落語家 に送られる賞である。繁昌亭のスターを作っていくという目的の為に... |
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桂文治
落語家(上方噺家)。本名:平野次郎兵衛(治郎兵衛、治良兵衛、治良平など諸説あり)。享年81。13歳の時から東京の商家で丁稚となる。22歳の時に帰阪し、米屋... |
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桂文我
桂文我(かつらぶんが、1960年8月15日-)は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東幸浩(おおひがしゆきひろ)。出囃子は「せり」。 |
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近松門左衛門
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん、近松門左衞門、1653年(承応2年)-1725年1月6日(享保9年11月22日)は江戸時代前期の元禄期に活躍した人形浄瑠璃と歌舞... |
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桂きん枝
大阪府豊中市在住。時期は未定だが桂派の由緒ある名跡で師匠の前名「4代目桂小文枝」の襲名が予定と報じられた。 |
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笑福亭松鶴
上方噺家。大阪府大阪市出身。生前は上方落語協会所属。本名は竹内日出男(たけうちひでお)。出囃子は「舟行き」。父は同じく落語家5代目笑福亭松鶴。母は落... |
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桂ざこば
日本の落語家(上方噺家)、タレント。本名、関口弘(せきぐちひろむ)。大阪市西成区今池出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(代表理事)。前名は桂朝... |
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桂あやめ
3代目桂あやめ(3だいめかつらあやめ、本名:入谷ゆか(いりたにゆか)、1964年1月31日(戸籍上は2月1日)-)は兵庫県神戸市出身の女性落語家。寄席囃子三味... |
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桂文枝
桂文枝(かつらぶんし、1930年4月12日-2005年3月12日)は上方の落語家。本名は長谷川多持(はせがわたもつ)。 |
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林家染丸
上方落語の名跡。現在は上方林家の事実上の止め名。当代は4代目。初代・2代目と卯年の生まれであったため、代々うさぎ(ぬの字うさぎ)を定紋としている。な... |
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笑福亭仁鶴
大阪府大阪市生野区出身(後に同府交野市へ転居)の落語家(上方噺家)である。本名、岡本武士(おかもとたけし)。血液型はO型。所属事務所はよしもとクリエ... |
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竹本義太夫
江戸時代の浄瑠璃太夫。浄瑠璃の義太夫節の創始者である。初期には清水理太夫と名乗る。本名五郎兵衛。摂津国(大坂)に生まれる。農家の出身。貞享元年(1684... |
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桂春団治
上方の落語家。本名:河合一(かわいはじめ)。大阪府大阪市出身。旧字体を春團治。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員(相談役、第3代会長)。出囃子は... |
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桂小春団治
上方落語の名跡。本来の表記は「小春團治」である。当代は3代目。初代桂小春団治(1904年10月20日-1974年8月15日)は、本項を参照。2代目桂小春団治(1932年3... |
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桂枝雀
兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも人一倍の努力と類稀... |
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プロフィール
- 米沢彦八とは
- 初代
- 二代目
- その後
- 出典
- 関連項目
米沢彦八(よねざわひこはち)は落語家の名跡。現在は空き名跡であるが、過去4~5人ほど確認されている。米澤彦八とも表記する。
初代
| 初代米沢彦八(よねざわひこはち、生没年不詳)は、江戸時代(元禄から正徳)中期の上方の落語家。 |
| 一部書籍では1714年(正徳4年)6月3日に興行先の名古屋で死去したとされている。 |
| 豊笑堂と号す。 |
| 大道に床几を据えるだけの文字通りの辻咄から生玉神社(いくたまじんじゃ、現在の生国魂神社)境内の小屋に、大道芸人が技を競いあい大いに賑っていた。 |
| そのなかで彦八は人の足を止めて注目させるため、「当世仕方物真似(しかたものまね)」の看板を出して興行している。 |
| 彦八の咄は自書の軽口本集『軽口御前男』『軽口大矢数』『祇園景清』などに纏められている。 |
| 落ちに重点をおいた新鮮な咄が多い。 |
| 彦八の演じる姿を描いた挿絵などによると、立烏帽子、大黒頭巾、編み笠、湯呑茶碗などが描かれておりそれらを駆使して演じたとみられる。 |
| ことに物真似は大名に扮するのが得意だったとされ、後の俄の芸能などに繋がるものがある。 |
| 近松門左衛門の「曽根崎心中」で、お初を生玉に連れ出した田舎者が一人で見に行くのも彼の物真似であった。 |
| 上方落語の原型になったといわれる。 |
| そのため、初代露の五郎兵衛、鹿野武左衛門らと共に、「上方落語の始祖」や「落語家(落語)の祖」と呼ばれる。 |
二代目
| 2代目米沢彦八(よねざわひこはち、生没年不詳)は、享保時代に活躍した落語家。 |
| 本名や初代との関係は不明。 |
| 三味線や小道具を使って辻話を披露していた。 |
| 京都の名物男で、軽口本集『軽口福おとし』『軽口耳過宝』などを残し、祇園や四条河原町涼み場などで演じて親しまれた。 |
| 1767年(明和4年頃)に死去したと思われる。 |
| 弟子の存在も確認されており、3代目・4代目の彦八を襲名した人物も確認できるが、詳細は不明である。 |
その後
| 明治時代、特に天満の天神橋界隈(かいわい)には、8軒の寄席があったため「天満八軒」と呼ばれるなど多くの寄席が存在したが、昭和に入り戦後の混乱の中で、寄席は消失し上方落語も衰退した。 |
| その後、3代目桂米朝、6代目笑福亭松鶴らの復興活動により、1957年(昭和32年)には上方落語協会を設立するまでになった。 |
| そして1990年(平成2年)、米沢彦八の功績に敬意を表すため、かねてより建立を発案していた松鶴の5年忌に一門が遺志を継ぎ、松鶴の命日である9月5日に、上方落語協会の総意で生国魂神社に「彦八の碑」を建立。 |
| その翌年から、上方落語の伝統を身近な人々に広くアピールする目的で「彦八まつり」が開催されている。 |
| なお「彦八の碑」には、彦八の事跡が知れる次のような印刻がある(旧漢字は新字体に直し、括弧内に説明を加えた)。 |
| 「遠く宝永正徳の砌(みぎり)、生国魂神社には太平記読み、芝能(しばのう=芝で行われる能楽)、万歳、人形操りなど諸々の芸能者が蝟集(いしゅう)し、就中(なかんずく)米澤彦八の芝居物真似、軽口咄はよく人の頤(おとがい=下顎)を解かしめ、世に彦八咄の称を弘むるに至ったと云ふ。 |
| 享保年中初代彦八没して後も、幸にしてその滑稽諧謔の精神は絶ゆることなく多くの名人上手輩出してよくその衣鉢(いはつ=業績)を伝え、遂に今日の上方落語の隆盛を将来した。 |
| 所謂、彦八咄の誕生より数えて凡そ三百年、茲に上方落語家相集ひ更めてその遺業を偲びその伝統を継承し、以て益々の芸道精進を誓うべくこの碑を建立したる次第を略叙し撰文に代わると云爾(しかいう=以上の通り)」。 |
出典
| 『圓生古典落語』(三遊亭圓生、関山和夫監修、集英社<文庫>、1979年)。 |
| 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)。 |
関連項目
| category:落語の名跡。 |
| category:1714年没。 |
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