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幼少時より先天性骨形成不全症を患い、小学校入学時の7歳から養護学校で過ごし、その後も骨折の繰り返しで11歳から16歳を病院で過ごした。
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ふるさとを夢想してすごしたこの数年間が後に彼の歌の表現力の下地になった。
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この病気のため、身長が伸びず、両腕も伸ばせないため、手を重ねて歌っている。
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またその容姿のため、小学生時代には執拗ないじめに遭った。
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子供の頃から演歌や歌謡曲、民謡に親しみ、特に元アイドル歌手の松田聖子の大ファンだったといい、米良のカウンターテナーの原点は松田聖子のマネを裏声でしたことである。
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音大への進学について父親は反対したが、母親は賛成し、裕福ではない生活にもかかわらず私立大学に通う資金を援助してくれた。
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18歳で上京して神奈川県の洗足学園音楽大学へ入学。
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在学中に、テノールから女声の音域を歌うカウンターテナー(男声アルト)に転向。
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1995年奏楽堂日本歌曲コンクール3位。
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1996年に日本のキングレコードから発売されたCD『母の唄』がベストセラーになる。
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ラジオで米良の曲が放送されたのを宮崎駿監督が聴いたのがきっかけで、1997年宮崎駿のアニメーション映画「もののけ姫」のテーマ曲に起用され、この声種が日本で一般に知られたきっかけをつくった。
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1998年日本ゴールドディスク大賞のベスト・クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー、第21回日本アカデミー協会特別賞として初の主題歌賞受賞。
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長野パラリンピック開会式でもジュリオ・カッチーニのアヴェ・マリアを歌う。
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しかし、ヒットの裏で小柄な自分を気にして歌を正当に評価してもらいたいとヒールを履いたり、病気のことを伏せたが、精神的な重圧感から、美声が出なくなった。
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5年の歳月をかけて美声を取り戻す。
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この頃、「ヨイトマケの唄」を歌う美輪明宏をテレビで見て、治療費を稼ぐために工事現場で働いていた母を持つ米良は自分の小さい頃の心情そのものだと感じ、この歌を持ち歌にするようになる。
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後に宮崎のコンサートで歌い、母を喜ばせた。
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2008年現在、日本・韓国・ヨーロッパ等で活動を行っている。
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エディタ・グルベローヴァ、ヨッヘン・コヴァルスキーとの共演も行った。
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著名オーケストラとの共演も多い。
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テレビ・ラジオなどへの出演、各種イベントへの参加も精力的に行う。
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スウェーデンのBISレーベル(バッハ・コレギウム・ジャパンとの共演含む)、日本ではキングレコードよりCDを出している。
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2007年より、テレビなどでこれまで語ることのなかった病や生い立ちのことを語るようになり、同年7月10日に大和書房から、これまでの人生を綴った自叙伝「天使の声〜生きながら生まれ変わる」を出版した。