| アマチュアボクシング:79戦76勝(27KO・RSC)3敗。 |
| プロボクシング:24戦21勝(10KO)2敗1分。 |
| 習志野高校時代は史上初の「高校6冠」を達成。 |
| 同校卒業後、帝拳ジムに入門。 |
| 2003年9月6日、プロデビュー。 |
| 柏原広(ヨネクラ)と対戦し、2回TKO勝ち。 |
| 2戦目(2003年12月6日)、佐梁孝志(広島三栄)と対戦し、初回KO勝ち(この試合で粟生は、アマ時代からの連勝が「60」に到達)。 |
| 3戦目(2004年1月31日)、ニリョン・ヌーエス(ベネズエラ)と対戦し、3回KO勝ち。 |
| 4戦目(2004年5月1日)、北原久己(進光)と対戦し、5RTKO勝ち。 |
| 5戦目(2004年10月2日)、佐藤要介(ヨネクラ)と対戦し、8回判定勝ち。 |
| 6戦目(2005年2月5日)、羅相賛(韓国フェザー級7位)と対戦し、初回KO勝ち。 |
| 7戦目(2005年4月16日)、マリオ・ロドリゲス(メキシコ)と対戦し、6回判定勝ち。 |
| この試合後、日本ランク入り(日本フェザー級10位)。 |
| 8戦目(2005年7月2日)、元日本ランカーの宮田芳憲(角海老宝石)と対戦。 |
| 宮田のタフネスに苦しめられたものの、僅差で10回判定勝ちを収めた。 |
| 9戦目(2005年9月25日)、文在春(韓国スーパーバンタム級3位)と対戦。 |
| 初回、いきなり粟生がダウンを奪うも、直後、逆にダウンを奪われる。 |
| しかし、最後は再びダウンを奪い、初回TKO勝ち。 |
| 10戦目(2006年1月7日)、元WBA中南米スーパーバンタム級王者リチャード・カリーリョ(ベネズエラ)と対戦。 |
| 通算3度のダウンを奪い、大差の10回判定勝ち。 |
| この試合後、世界ランク入り(WBC世界フェザー級23位)。 |
| 11戦目(2006年3月25日)、オズワルド・フアレス(メキシコ)と対戦し、2回KO勝ち。 |
| 12戦目(2006年6月3日)、フランシスコ・ディアンソ(メキシコ)と対戦。 |
| 相手が繰り出す反則ギリギリの変則ボクシングに苦戦したものの、最大7ポイント差をつける大差で10回判定勝ち(この試合で粟生はアマ時代からの連勝を「70」に伸ばす)。 |
| 13戦目(2006年11月13日)、前中米フェザー級王者のカブリエル・ペレスと対戦。 |
| 初回早々からダウンを奪う等、終始攻勢。 |
| 6回、レフェリーストップによるTKO勝ちを収めた。 |
| この試合後、(世界挑戦権を有する)WBC世界フェザー級15位にランクアップ(なお、JBCの規定(世界ランキング15位以内に入った選手は日本ランクから外れる)により、日本ランキングから外れる)。 |
| 14戦目(2007年3月3日)、日本王座初挑戦。 |
| 梅津宏治に挑み、10回判定勝ち。 |
| 日本フェザー級王座獲得に成功。 |
| 15戦目(2007年7月7日)、初防衛戦。 |
| 6位・秋葉慶介(角海老宝石)を10回判定(3-0)に降す。 |
| 16戦目(2007年11月3日)、2度目の防衛戦。 |
| 7位・上野則之(ワタナベ)を10回判定(3-0)に降す。 |
| 17戦目(2008年4月5日)、OPBF東洋太平洋フェザー級王者榎洋之(角海老宝石)と対戦。 |
| 試合は粟生の日本王座、榎のOPBF王座の双方が賭けられるダブルタイトル戦という形で行われた。 |
| 試合は両者譲らず一進一退の攻防を繰り広げ、フルラウンド(12回)を戦い抜いた。 |
| 判定の結果、三者全て引き分け(115-115、114-114、114-114)。 |
| 日本王座3度目の防衛には成功したものの、OPBF王座奪取はならなかった。 |
| その後、世界挑戦準備に専念するため、8月に日本王座を返上した。 |
| 18戦目(2008年10月16日)、世界初挑戦。 |
| 国立代々木第一体育館でWBC世界フェザー級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)に挑む。 |
| 序盤から攻勢を仕掛け、4回にはダウンも奪ったが、後半以降、アウトボクシングに切り替えた王者を攻略できず、1-2の判定負け。 |
| 惜しくも世界王座奪取ならず。 |
| プロ初黒星と共にアマチュア時代からの連勝も止まった。 |
| しかし、この試合での善戦が大いに評価され、世界ランクは上昇(9位→3位)。 |
| 19戦目(2009年3月12日)、世界再挑戦。 |
| 後楽園ホールでラリオスに再び挑む。 |
| WBCでは「より多くの選手に世界挑戦の機会を与える」という意向から、世界戦における直近の再戦(通称「ダイレクトリマッチ」)を原則認めていないが、前戦での健闘が評価され特別に許可された。 |
| 試合は序盤から挑戦者が優位に試合を進め、最終12回にはダウンも奪う。 |
| KO勝ちこそならなかったものの、3-0(119-107、118-109、116-111)の判定勝ちを収め王者に雪辱。 |
| 帝拳ジムから通算5人目の世界王者誕生となり、日本人4人目の世界フェザー級王者となった。 |
| 20戦目(2009年7月14日)、世界王座初防衛戦。 |
| 後楽園ホールで1位エリオ・ロハス(ドミニカ共和国)を挑戦者に迎えての指名試合であったが、ロハスの老獪なテクニックの前にポイントを奪われる。 |
| また、強引なカウンター狙いもかわされて結局12回判定負け(0-3)。 |
| 21戦目(2009年12月18日)、神戸ワールド記念ホールでフェイデル・ビロリア(コロンビア)を相手に再起戦を行い、10回判定勝ち(3-0)を収めた。 |
| 世界2階級制覇を目指し、この試合からスーパーフェザー級に転向。 |
| なお、この日は同じ会場で粟生が兄貴分と慕い、よく一緒に合同練習を行うWBC世界バンタム級王者長谷川穂積が10度目の防衛戦を行い、4回TKO勝ちで防衛に成功。 |
| 22戦目(2010年4月30日)、日本武道館でワイベル・ガルシア(パナマ)を相手にノンタイトル戦を行い、4回にダウンを奪った末の8回TKO勝ち。 |
| なお、この日は同じ会場でジムの先輩西岡利晃(WBC世界スーパーバンタム級王者)と「兄貴分」長谷川穂積(WBC世界バンタム級王者)がそれぞれ防衛戦を行い、西岡は5回TKO勝ちで4度目の防衛に成功。 |
| 一方、長谷川は4回TKO負けで11度目の防衛に失敗した。 |
| 23戦目(2010年11月26日)、スーパーフェザー級での世界挑戦。 |
| 名古屋・日本ガイシホールでWBC世界同級王者ビタリ・タイベルト(ドイツ)に挑む。 |
| 3回、左カウンターでアマ・プロ通じてダウン経験のなかった王者から初のダウンを奪う。 |
| 24戦目(2011年4月8日)、世界スーパーフェザー級王座初防衛戦。 |
| 神戸ワールド記念ホール当初、両国国技館が予定されていたが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で会場変更となった。 |
| で元WBC世界同級暫定王者で3位にランクされるウンベルト・グティエレス(メキシコ)と対戦。 |
| そのまま10カウントを聞かせ、フェザー級では果たせなかった世界王座初防衛に成功した。 |
| なお、この日は同じ会場でジムの先輩西岡利晃と兄貴分・長谷川穂積もそれぞれ防衛戦を行い、西岡は9回KO勝ちでWBC世界スーパーバンタム級王座6度目の防衛に成功。 |
| 一方の長谷川は4回TKO負けでWBC世界フェザー級王座初防衛に失敗した。 |
| 25戦目(2011年11月6日=予定)、世界スーパーフェザー級王座2度目の防衛戦。 |
| 国立代々木第二体育館で9位のデビス・ボスキエロ(イタリア)と対戦する。 |