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藤原不比等
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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武則天
唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた(在位:690年10月16日-705年2月22日)。日本では則天武后(そくてんぶこう)と呼ばれることが多... |
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文武天皇
日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日)-慶雲4年6月15日(707年7月18日))。諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。和風諡号は2つあり、『続... |
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忍壁皇子
忍壁皇子(おさかべのみこ、生年不詳-慶雲2年5月8日(705年6月2日))は飛鳥時代の皇族である。天武天皇皇子で母は宍戸臣大麻呂(ししひとのおみおおまろ)の... |
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青木和夫
日本古代史学者、お茶の水女子大学名誉教授。東京生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。石母田正の弟子。お茶の水女子大学教授、1989年定年退官、名誉教授、... |
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道慈
奈良時代の三論宗の僧。俗姓は額田氏。大和国添下郡の出身。702年(大宝2年)唐へ渡り、西明寺に住して三論に通じて、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちに一... |
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平群広成
奈良時代の貴族。姓は朝臣。讃岐守・平群豊万呂の子。官位は従四位上・武蔵守。遣唐使の判官(三等官)として唐に渡るが、帰国の途中難船。はるか崑崙国(チ... |
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慶雲
原田慶雲作品 略歴 大正11年4月17日 静岡市二番町に生まれる 平成22年5月3日逝去(行年89歳)
家具職人として腕を研き、後にポーラ化粧品草薙工場に勤務し... |
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吉備真備
日本の奈良時代の学者、政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。下道真備(しもつみちのまきび)、吉備下道真備(きびのしもつみちのまきび)などとも呼ば... |
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梅村喬
日本古代社会経済史論考 梅村喬/著 出版社名 : 塙書房 出版年月 : 2006年2月 ISBNコード : 978-4-8273-1202-7
( 4-8273-1202-8 ) 税込価格 : ... |
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則天武后
則天武后と玄宗皇帝 大唐帝国の「光と影」 PHP文庫 お38-4 岡本好古/著 出版社名 : PHP研究所 出版年月 : 2007年5月 ISBNコード : 978-4-... |
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天武天皇
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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藤原京
飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。また、日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な唐風都城でもある... |
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百済
父
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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持統天皇
日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日)-持統天皇11年8月1日... |
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森公章
日本の歴史学者。専門は、日本古代史。岡山県生まれ。1981年東京大学文学部国史学科卒業、88年同大学院博士課程単位取得退学、同年奈良国立文化財研究所文部... |
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藤原清河
藤原清河(ふじわらのきよかわ、生年不詳-宝亀9年(778年))は奈良時代の貴族。藤原北家の祖である参議・藤原房前の四男。母は片野朝臣の娘。唐名は河清。官... |
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山上憶良
奈良時代初期の歌人。万葉歌人。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。 |
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阿倍仲麻呂
奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。中務大輔・阿倍船守の子。弟に阿倍帯麻呂がいる。唐で科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果た... |
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高向玄理
高向玄理(たかむこのくろまろ、生年不詳-白雉5年(654年))は飛鳥時代の学者。高向古足の子。姓は漢人のち史。冠位は大錦上。高向氏は魏の曹操の末裔を称す... |
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プロフィール
粟田真人(あわたのまひと、生年不詳-養老3年2月5日(719年2月28日))は、飛鳥時代後期から奈良時代にかけての貴族。姓は臣のち朝臣。父は春日粟田百済。子に人(または必登)・人上がいる。官位は正三位・中納言。
経歴
| 粟田氏(粟田臣)は和珥氏・春日氏の後裔氏族で山背国に本拠を持つ一族。 |
| 出家して道観と名乗る。 |
| 白雉4年(653年)の遣唐使船に留学僧として随行し、唐で学問を修める森2010、32頁。 |
| 帰国後、還俗して朝廷に仕え、天武天皇10年(681年)小錦下(後の従五位下に相当)となる。 |
| 天武天皇13年(684年)八色の姓制定に伴い、朝臣姓を賜与される。 |
| 持統天皇3年(689年)には大宰大弐となり、外国からの賓客を饗応する経験を積み森2010、86頁。 |
| 、隼人174人、布50常、牛鹿皮50余枚を献上した。 |
| また忍壁皇子・藤原不比等らとともに大宝律令の編纂に参画し、大宝元年(701年)正月には直大弐(従四位上)民部尚書に任ぜられ、あわせて遣唐執節使(大使よりも上位)に任命され、文武天皇から節刀を授けられた『続日本紀』巻二大宝元年5月7日条。 |
| これが天皇が節刀(遣唐使や征夷将軍などに軍事大権の象徴として授けられた)を授けた初例という。 |
| 翌大宝2年(702年)5月に参議に任ぜられ朝政に参加。 |
| 同年6月大宝律令を携えて唐(正確にはこの時代、唐は存在しておらず、武則天(則天武后)が新たに建てた武周である)へ渡った。 |
| 天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで倭と唐が敵対して以来初の本格的な使節派遣であり、国交回復の意味を持った遣使であると同時に、律令制度の整備や、倭から日本への国号変更の連絡など、様々な目的を持った使節であった。 |
| 同遣唐使には山上憶良や道慈らも加わっている。 |
| 翌年、都の長安に到着、武則天に謁見した。 |
| 唐人からは「好く経史を読み、属文を解し、容止温雅なり」と評されたという。 |
| 武則天からは司膳員外郎に任ぜられた。 |
| 慶雲元年(704年)、白村江の戦い以来捕虜になっていた者を連れて帰国。 |
| 功績により大和国に田20町、穀1000石を賜与された。 |
| 入唐で得た知識を生かすべく慶雲の改革において中納言に任命され、律令制施行直後の体制改革に参画。 |
| のち大宰帥なども歴任、霊亀元年(715年)には正三位に昇った。 |
| 養老3年(719年)2月5日に死去。 |
参考文献
| 『国史大辞典』(吉川弘文館)「粟田真人」(執筆:青木和夫)。 |
| 『日本史大事典1』(平凡社、1992年、ISBN4582131018)「粟田真人」(執筆:梅村喬)。 |
| 『遣唐使の光芒東アジアの歴史の使者』森公章、角川選書、2010年、ISBN978-4047034686。 |
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