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中学時代は北杜夫に熱中した。
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群馬県立前橋高等学校に入学。
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高校に入ると文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。
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また、バンカラを気取って一本歯の下駄で学校に通った。
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高校1年の時にバンドを組みたくなり、お金を稼ぐためにオルガンやピアノのセールスマンの下請けとなり10台売ったという。
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また、文化祭の企画で「ハプニング」的なことをやりたくなり、江戸川乱歩の「赤い部屋」を再現したり、ベトナムの僧侶の焼身自殺を真似たりした。
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法政大学文学部日本文学科に入学後すぐに学生運動に身を投じるが、内部抗争の陰険さが嫌になり1年半で退学。
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1年ほどガテン系のバイトをする。
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寺山修司、唐十郎、横尾忠則らが当時のヒーローだった。
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知人に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通っているうち、1968年デザイン事務所に就職。
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1969年、栗田工業主宰のTVCFアイディア賞で銀賞を、1971年には金賞を受賞。
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1973年に勤務先の会社が倒産してフリーとなる。
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1975年、ジーパン会社ウェルジンの「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」のコピーで、東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。
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同年、イラストレーター湯村輝彦に出会い、彼の主宰のORIGINAL FLAMINGO STUDIOの創設に参加。
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1976年、湯村と共に再び製作したウェルジンの広告で、東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)を受賞。
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同年、漫画雑誌『ガロ』の編集者の南伸坊からの依頼で、糸井が原作、湯村が画の「情熱のペンギンごはん」シリーズの発表を始めるかわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容という作品であった。
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同年7月、糸井原作、湯村画で「さよならペンギン」を刊行。
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1978年、矢沢永吉の自伝本『成りあがり』のゴーストライターを務める。
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同書はベストセラーを記録した。
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1979年、沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当。
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また、スナック等でちり紙やマッチなどで行う、気の効いた「芸」をまとめた著作『スナック芸大全』を刊行。
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自身の名義での処女出版となる。
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また、この年「東京糸井重里事務所」を設立する。
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この事務所に、当時美大生でスタッフの友人であったみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、糸井がみうらを『ガロ』編集部に紹介。
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みうらの漫画家デビューの切っ掛けを作った。
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1980年9月から、サブカルチャー雑誌『ビックリハウス』において、読書投稿ページ「ヘンタイよいこ新聞」を担当。
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その「意味のない面白さ」で読者を熱狂させ、若者たちの教祖的存在となる。
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また、『ビックリハウス』に関係していた、新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる。
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1982年5月、新聞終刊記念イベントとして「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」を糸井と鈴木慶一らで企画。
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「ヘンタイよいこバンド」(忌野清志郎、チャボ、矢野顕子、坂本龍一、鈴木さえ子、どんべで構成)をはじめ、井上陽水、高橋幸宏、篠原勝之、立花ハジメ、南伸坊、合田佐和子、栗本慎一郎、仲畑貴志、ムーンライダーズ、ブッチャーブラザーズ、コント赤信号、浅葉克己、東京乾電池、三遊亭円丈等が出演。
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司会は和田又八だった。
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その後、西武百貨店の「不思議、大好き。
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」(1982)「おいしい生活」(1983)などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる。
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仲畑貴志や川崎徹らと共に注目を集め、「コピーライター・ブーム」を呼んだ。
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1983年からは『週刊文春』において「家元」と名乗り、読者投稿型のコピー講評「糸井重里の萬流コピー塾」の連載を開始。
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投稿が掲載されてポイントをためれば「名取」になり、自分の名前の一部に「井」「重」「里」の文字をいれた「萬名」を名乗ることが許された。
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さらにポイントがたまると「師範」を許された。
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この「現代によみがえった、江戸時代の俳諧遊び」のような楽しさに投稿者たちは熱狂し、川上宗薫、山藤章二、すがやみつるなども一投稿者として参加した。
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また、刊行元であるネスコ編集者の名女川勝彦(現・文藝春秋社取締役)が「番頭」役として参加していた。
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1988年に連載は終了。
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萬流コピー塾の師範出身者には、「萬名・小林井秀雄」(本名。
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のち、プロのコピーライターとなり、代表作は「私、脱いでもすごいんです」)、「萬名・重亀海昌次」(本名亀海昌次。
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糸井より年上のアートディレクター)、「萬名・戸井田招吾」(本名戸田昭吾。
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作詞家となり、ポケットモンスターの主題歌を作詞)、「萬名・吉田浩之里」(お笑いプロデューサーになり、「ヒロ吉田」)、「萬名・原囲一也」(本名原口一也、さくまあきらの弟子のゲーム・ライターとなった)等がいる。
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1984年、有楽町マリオンの完成記念イベントとして「夕刊イトイ」を企画。
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糸井が編集局長で、各号の編集長を、久住昌之、みうらじゅん、島地勝彦、渡辺和博、天野祐吉、南伸坊、秋山道男、蛭子能収、川上宗薫、石原真理子、泉麻人、鈴木慶一、巻上公一、小林井秀雄に依頼し、自由な誌面を作ってもらった。
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1989年、ゲーム製作のための会社「APE(エイプ)」を設立。
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制作した『MOTHERシリーズ』はカルト的なファンを生んだ。
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1993年、女優の樋口可南子と結婚。
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1998年、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。
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2001年、雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった。