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つながりの強いひと
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細川義春
室町時代中期の武将。細川氏阿波守護家の出身。初 名は之勝だったが、後に将軍足利義材から「義」の字を貰い義春と名乗る。 [編集] 生涯 . 寛正2年(1461年)... |
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細川政之
戦国時代の武将。細川氏の一門。阿波・讃岐守護だった細川成之の長男で世子であったが、父に先立って早世したため、弟の細川義春が継いだ。康正元年(1455年... |
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細川政元
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名、管領。足利氏の庶流・細川氏当主。幕臣ながら将軍をしのいで事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ば... |
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細川勝元
室町時代の武将・守護大名。管領、土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。足利氏の支流で三管領の1つである細川氏嫡流・京兆家の当主。細川持之の子、政元の父。... |
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細川高国
戦国時代の武将、大名。室町幕府管領、摂津・丹波・山城・讃岐・土佐守護。細川氏庶流である野州家の生まれであったが、本家を追い落として自ら権力を握った... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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細川之持
室町時代後期の武将。阿波細川氏の出身。 ... 実弟の細川澄元は京兆家の養子となったが、之持は中央の争乱にはあまり関与しなかった ようである。ただし、澄... |
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三好之長
戦国時代の武将。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系・河内源氏の傍系・甲斐源氏の流れを汲む小笠原氏の庶流にあたる。諱の之長は、阿波の守護・細川成之の... |
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畠山政長
室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏出身。畠山持富の次男で政久(弥三郎)の弟... |
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細川持隆
戦国時代の武将。細川氏一門。阿波守護。明応6年(1497年)、細川之持の子として生まれる。永正9年(1512年)、父の死去により家督を継いで阿波守護となった... |
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山名宗全
室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清... |
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伊勢貞親
室町時代の室町幕府政所執事である。桓武平氏の流れを汲む伊勢氏。父は伊勢貞国、母は蜷川親俊の娘。弟に貞藤。子に貞宗。 |
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細川澄之
室町時代後期(戦国時代)の武将。幕府管領・細川政元の養子となった。 |
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畠山義就
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名である。河内・紀伊・山城・越中守護。足利氏(足利将軍家)の一門にて室町幕府の三管領家の1つである畠山氏出... |
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林成之
出演者プロフィール
●林成之(はやし・なりゆき)さん
『 脳に悪い7つの習慣 』(幻冬舎新書)著者1939年富山県生まれ。脳神経外科医。日本大学総合科学... |
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細川真之
戦国時代、安土桃山時代の武将。阿波守護細川持隆の子。母は小少将。六郎。掃部頭。子に畠山之照など。三好長治と十河存保、長宗我部右近大夫は異父弟に当たる。 |
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細川持常
室町時代の守護大名。室町幕府相伴衆、阿波・三河守護。細川氏の分家阿波細川家出身。細川満久の子で教祐の兄。養子に成之。官位は従五位下兵部少輔、讃岐守... |
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松平信光
室町時代中期から戦国時代初期頃の武将。三河松平氏の第3代当主で、岩津松平家の祖。幼名は竹若丸(竹千代とも)。通称は三郎(次郎三郎とも)。第2代当主・... |
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慈雲
慈雲(じうん、享保3年7月28日(1718年8月24日)-文化元年12月22日(1805年1月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」(真言律)を提... |
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プロフィール
細川成之(ほそかわしげゆき)は、室町時代から戦国時代の武将、守護大名。室町幕府相伴衆、阿波・三河・讃岐守護。細川氏の一門で阿波細川家当主。細川教祐の子。 細川持常の養子(甥)。官位は兵部少輔、讃岐守。政之、義春の父。本家に当たる京兆家を継いだ 細川澄元は孫に当たる。
生涯
| 宝徳元年(1449年)に家督を継承し、阿波・三河守護となる。 |
| 享徳3年(1454年)、8代将軍足利義政が山名宗全討伐を諸大名に命じると討伐の総大将に選ばれたが、直前に本家の管領細川勝元が義政に嘆願したため中止となった。 |
| 寛正3年(1462年)には幕府の命令で畠山義就を討つよう命じられ河内に下向、嶽山城の攻撃に参戦した。 |
| 三河では前守護の一色氏との戦いが引き続き、寛正6年(1465年)に丸山中務入道や大庭二郎左衛門らの額田郡国人一揆が起きたが、裏で糸をひいているのが幕府の政所執事伊勢貞親の配下松平信光と戸田宗光(全久)とみた成之は、これら2名の指揮権がないことから将軍義政に請願し、幕府の命を以て信光と宗光に一揆の鎮圧をさせている。 |
| 応仁の乱では勝元率いる東軍に属し、応仁元年(1467年)に京都の市街戦で西軍と戦った。 |
| 文明5年(1473年)、讃岐の守護となる。 |
| 文明8年(1476年)に三河で守護代東条国氏が西軍の一色義直方に攻められ自殺、成之は幕府への出仕を停止、文明10年(1478年)に義直が三河を放棄したため幕府へ再出仕した。 |
| しかし、以後細川氏は三河守護には任命されず一色氏守護代の末裔である西郷氏はじめ国人たちが割拠する状態になったとされる。 |
| 同年に出家、嫡男の政之に家督を譲った。 |
| 文明17年(1485年)に阿波で反乱が起こった時、政之と共に阿波に下向、反乱を鎮圧した。 |
| 長享2年(1488年)に政之が早世したため次男の義春が後を継いだが、明応6年(1497年)に義春も亡くなり、孫の之持が幼少のため後見を務めた。 |
| 晩年は自分が再興した丈六寺で禅僧として過ごし、永正8年(1511年)に78歳で死去。 |
| 東山文化を代表する文化人の1人として知られ、連歌師尭恵・猪苗代兼載や横川景三と交流があり『新撰菟玖波集』撰集を後援、兼載から『薄花桜』を進呈された。 |
| また、絵画・犬追物・蹴鞠・猿楽にも通じていた。 |
| 墓所は徳島県徳島市丈六町の丈六寺で肖像画が保存されている。 |
| 法号は慈雲院大川道空。 |
参考文献
| 平野明夫『三河松平一族』新人物往来社、2002年。 |
| 佐藤和彦、錦昭江、松井吉昭、櫻井彦、鈴木彰、樋口州男共編『日本中世内乱史人名事典』新人物往来社、2007年。 |
| 石田晴男『戦争の日本史9応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年。 |
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1449年
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家督を継承し、阿波・三河守護となる |
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1465年
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丸山中務入道や大庭二郎左衛門らの額田郡国人... |
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