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つながりの強いひと
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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森博達
森博達(もりひろみち、1949年-)は京都産業大学教授である。日中語文交渉史を研究テーマにしている。兵庫県出身。大阪外国語大学卒業。著書『古代の音韻と日... |
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鬼室福信
百済の王族・将軍。義慈王の父である第30代武王(余璋)の従子。官位は恩率(三品官)、のち佐平(一品官)。没した2か月後白村江の戦いで倭国と百済の連合軍... |
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持統天皇
日本の第41代天皇。実際に治世を遂行した女帝である(称制:朱鳥元年9月9日(686年10月1日)、在位:持統天皇4年1月1日(690年2月14日)-持統天皇11年8月1日... |
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山田史
自己紹介 山田史 【名前】 山田(偽名) 【性別】 男 【生年月日】 昭和63年6月24日生まれ(23歳) 【職業】 京都大学大学院生。 塾バイト 【身長】 178cm。最近... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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百済王
百済王氏と古代日本 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 大坪 秀敏著 税込価格: (本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 60 ... |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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桃裕行
日本の歴史学者である。東京大学名誉教授。専門は日本古代史。 |
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金田一京助
日本の言語学者、民俗学者。アイヌ語の研究で知られ、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。 |
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白丁
中国と日本の律令制において、公の職を持たない無位無冠の良民の男子のことを指す。無位無冠のものは、色を付けた衣を身に着けず白い衣を着けたことからそう... |
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鬼室集斯
7世紀の百済の貴族。百済復興運動で活躍した鬼室福信の縁者。官位は小錦下・学職頭。 |
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津田左右吉
20世紀前半の日本史学者である。『日本書紀』『古事記』を近代的な史料批判の観点から批判・否定したことで知られる。従三位勲一等瑞宝章。 |
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本居宣長
江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたこ... |
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舎人親王
飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記される。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父で、諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうて... |
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高向玄理
高向玄理(たかむこのくろまろ、生年不詳-白雉5年(654年))は飛鳥時代の学者。高向古足の子。姓は漢人のち史。冠位は大錦上。高向氏は魏の曹操の末裔を称す... |
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紀貫之
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。 |
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藤原不比等
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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崇峻天皇
第32代天皇(在位:用明天皇2年8月2日(587年9月9日)-崇峻天皇5年11月3日(592年12月12日))。諱は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。『古事記』には長谷部若... |
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大津皇子
大津皇子(おおつのみこ、663年(天智天皇2年)-686年10月25日(朱鳥元年10月3日))は天武天皇皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天... |
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プロフィール
- 続守言とは
- 略歴
- 日本書紀著作者の一人か
- 参考文献
続守言(しょくしゅげん、生没年不明)は、7世紀後半(飛鳥時代後期)に唐から倭(日本)へ帰化した渡来人。持統朝の音博士。
略歴
| 660年、唐によって百済が滅亡したが、百済遺臣の鬼室福信らは国家再興のため反乱を起こし、唐人の続守言らを補えた。 |
| 鬼室福信らは倭国に対し、人質となっていた百済王子余豊璋の帰国と、軍事支援を求めた。 |
| 倭国はこれに応じて豊璋を送り出し、福信はその交換として続守言らを倭に送ったという『日本書紀』巻26斉明7年(661年)十一月戊戌(7日)条「日本世記云。 |
| 福信所獲唐人績守言等至于筑紫」。 |
| 筑紫に送られた続守言らは、天智天皇2年(663年)2月頃、倭の都へ護送された『日本書紀』巻27天智天皇2年(663年)二月是月条「佐平福信上送唐俘續守言等」。 |
| 彼ら俘虜100余名は近江国に住まわされ、その後美濃国不破・方県両郡に移された。 |
| 続守言はその後、同じく渡来唐人であった薩弘恪とともに朝廷に仕え、持統天皇3年(689年)には稲を賜り『日本書紀』巻30持統3年(689年)六月庚子(19日)条「賜大唐續守言。 |
| 、同5年(691年)9月には銀20両を賜っている『日本書紀』巻30持統5年(691年)九月壬申(4日)条「賜音博士大唐續守言。 |
| 『日本書紀』にはこのとき続守言・薩弘恪は音博士であったと記されている。 |
| これは儒教の経書を読む際に、当時の唐語(漢音)による音読法を教えるための役職であった(詳細は''音道''を参照)。 |
| 翌年12月にも水田4町を賜っている『日本書紀』巻30持統6年(692年)十二月甲戌(14日)条「賜音博士續守言。 |
| 薩弘恪水田人四町」。 |
| 没年は不明であるが、文武4年(700年)の大宝律令の選定奉勅者に薩弘恪の名前があるのに続守言の名は無いこと、国史編纂に関わっていたにもかかわらず続守言自身の来倭記事に不確定な記述があることから、持統6年(692年)12月14日から700年6月17日までの間に引退もしくは死亡したものとみられる森1999、212頁。 |
日本書紀著作者の一人か
| 言語学者の森博達は、持統朝に編纂された日本初の正史『日本書紀』について、音韻・真仮名の用字・文法・語彙などを精査し、正格調の漢文で書かれ倭習の少ないα群(巻14雄略紀から19欽明紀、巻24皇極紀から27天智紀)と、表記や文法に強い倭習が認められるβ群(巻1神代上から13允恭・安康紀、巻22推古紀から23舒明紀)に分けて分析森1999、77-79頁。 |
| α群の著作者について、当時の唐の音韻を正確に把握している一方で倭の習俗・語法を理解できていない部分が多く認められることから、これらが渡来唐人一世によって書かれた可能性が高いとし、具体的な作者として続守言・薩弘恪を当てている森1999、209-頁。 |
| 上記の持統6年の水田4町賜与も書紀述作の功労と思われる。 |
| さらにα群の中でも巻14から巻19までと、巻24から巻27までは担当者が異なる形跡があり、後者の巻26にある続守言本人の来倭記事に自身が別伝を附することはあり得ないため、巻14から巻19までの作者が続守言であったと結論づけた。 |
参考文献
| 『国史大辞典』(吉川弘文館)「続守言」(執筆:鈴木靖民)。 |
| 『日本書紀の謎を解く』(森博達、中公新書、1999年、ISBN9784121015020)。 |
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続守言さんについてのひとこと紹介
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