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つながりの強いひと
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宮田修
NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在は神職、セレモアつくば業務執行役員である。圭三プロダクション所属。 |
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松平信安
江戸時代の大名。出羽上山藩の第10代で最後の藩主。藤井松平家嫡流15代。 |
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六人部是香
幕末の国学者。山城国乙訓郡向日神社の神職(忠篤)の子。節香は忠篤の弟で、是香の伯父にあたる。初名惟篤 通称は縫殿・美濃守・宿禰などと称する。号は葵... |
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三輪田米山
三輪田米山(みわだべいざん、文政4年1月10日(1821年2月12日)-明治41(1908)年11月3日)は江戸末期から明治にかけての書家。本名は常貞、また清門。幼名は... |
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松平永芳
日本の東京都出身の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司(1978年-1992年)時代には、昭和殉難者(東京軍事裁判におけるA種戦犯容疑者、俗にA級戦... |
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三輪清宗
三輪清宗(みわきよむね、生年不詳-)はフリーのゲームデザイナー、ライター、オカルト研究考証家。戦国時代備中国の武将三村元範の一子元丸の子孫。シーラン... |
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真木保臣
真木保臣(まきやすおみ、文化10年3月7日(1813年4月7日)-元治元年7月21日(1864年8月22日))は江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の... |
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帆足長秋
帆足長秋 【ほあし-ながあき】 1件の用語解説(帆足長秋で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 帆足長秋 ほあし-ながあき &... |
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本澤雅史
日本 の 神道学者 、 神職 。宇佐神社( 香川県 さぬき市 ) 禰宜 。 皇學館大学 文学部 教授 。 目次 1 略歴 2 著書 2.1 単著 2.2 共著 3 外部リ... |
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平泉澄
日本の歴史学者。福井県大野郡平泉寺村平泉寺(現在の福井県勝山市)出身。東京帝国大学元教授。平泉寺白山神社第3代宮司、名誉宮司。皇學館大学学事顧問。文... |
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守矢頼真
戦国時代 の 神職 。 信濃国 諏訪郡 に所在する 諏訪大社 の神長官。 守矢有実 の子。子は 守矢信真 。初名は頼実。 [ 編集 ] 略歴 守矢氏 は 物部守屋 の後... |
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安江和宣
神道学者、神職。専門は、神社祭式、有職故実。元皇學館大学文学部教授。神社本庁参与・祭式講師・教学委員。洲河崎神社宮司。 |
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藤原季範
平安時代末期の公家・神官。藤原南家、藤原季兼の子。位階は従四位下。額田冠者を名乗る。 |
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富士信忠
富士信忠(ふじのぶただ)は戦国時代の武将で富士氏当主。今川氏家臣。 |
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真弓常忠
日本の神職。神道学者でもある。現在、住吉大社宮司。大阪市生まれ。神宮皇学館大学卒業後、1975年まで住吉大社禰宜、1993年まで皇學館大学教授をつとめ、同... |
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平泉隆房
日本の歴史学者。金沢工業大学教授、平泉寺白山神社宮司、日本学協会理事長。専門は日本中世史、神道史。博士(文学)。 |
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平泉洸
日本の歴史学者である。平泉寺白山神社宮司、金沢工業大学名誉教授。 |
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藤原範忠
平安時代末期の公家、神官。藤原南家、熱田大宮司・藤原季範の長男。官位は従五位上・内匠頭。 |
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高嶋政伸
日本の俳優である。身長180cm。血液型B型。__TOC__ |
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プロフィール
- 美甘政和とは
- 天地組織之原理について
- 古事記考察の動機
- 著述主旨
- 参考文献
美甘政和(みかもまさとも-天保己未6年~大正7年12月19日)は、美作一宮の中山神社の神官。楽天翁と号す。
天地組織之原理について
| 美甘翁のライフワークとも云える「天地組織之原理」全5巻和綴じ本の初版本は明治23年~明治25年にかけて、美作国西北條郡津山町に当時所在した神典研究会事務所より発行出版されている。 |
| 第1巻巻頭の題字は、嵯峨院の宝庫に蔵する、和気清麻呂公の真筆『我獨慙天地』及び平田篤胤大人の染筆和歌を、同じく臨寫して、巻首に掲げておられる。 |
| さらに明治22年12月に講述した其の筆記を先哲の神霊に奉り、この文面を浄書されて緒言として挿入し、自著の序文となされておられる。 |
| この間の経緯を子息光太郎氏は後に回想し、次のように述べている。 |
| 『父が多年古事記研究に薀蓄せし所を記述せんと着手せしは、明治20年頃で、家計上最も困難の際であった。 |
| 明治13年に中山神社を辞してより、殆んど一定額の収入はなく、いずれの国何れの世でも、宗教に身を委ねし者は、生計困難であるが、出雲大社教も創業の際ではあるし、殊に貧乏を標榜してをる神道家の家計ときては、憐れ至極のものであった。 |
| 此の間に処しては、父は一意専心熱狂的に筆を執り、疲れゝば昼夜の別なく眠るし、覚むれば夜中でも起きて机に向うた。 |
| 1,2巻の清書は門弟宅で門人が父の傍らで筆記せられ、3巻以降は父の親友にして保護者たりし豪農の別荘で、やはり門人の一人が筆談の労を取られた。 |
| 出版にさいしては、その親友の豪商が大半の費用を援助された。 |
| 無資力の父が此の大部の著書の出版の功を完し、多年の志望を達成せしは、保護者の友人と門下生の方々の義捐金の御蔭であると感謝の意を吐露致しておられる。 |
| 自著を出版する迄には、大変な御苦労があった事がこの文面からも窺えるのであるが、まず第1巻を明治23年10月18日に印刷にまわし、製本は11月1日迄に済ませて出版している。 |
| 第2~3巻は翌年の7月8日に印刷し、7月10日には出版して頒布されている。 |
| 第4巻以降は明治25年10月15日に印刷10月20日に出版、第5巻を同年の12月25日に印刷し、12月28日に出版している。 |
| 部数は150部の限定出版であり、当時この希書の存在を知る者はほとんどいなかった。 |
| 美甘翁は大正7年12月19日に逝去したが、生前政和大人と親交のあった者や、或いは、親しく大人の高教を蒙った門弟、有志達が同志会を結成して、昭和4年9月23日には天地組織之原理全5巻の再版をコンバクトサイズの勾玉をあしらった洒落た装丁の製本で一冊の合本にして1,200部限定印刷に付している。 |
| 美甘翁の著述は、殆んど霊夢と神告とによって会得なされた処が多いと言われているが、再版天地組織の原理を出版するに際し、昭和4年10月26日、故美甘翁と最も縁故の深い作州苫田郡一宮なる神域の神宣山塋域に於いて恭しく再版本1200冊を墓前に捧げ、之が完成の報告と奉賽をして祝典を挙げ奉告祭の祭典を執り行っておられる。 |
| その折に参列者に配布された趣旨書の賛同の芳名簿には、出雲大社宮司千家尊統や管長の千家尊有の名前が連ねられてあり、また神戸の大社教支部から再版本・天地組織之原理の書籍取次ぎをされておられる事からも、大社教が美甘翁と繋がりの深かった事を窺い知る事が出来る。 |
古事記考察の動機
| 若き頃は黒住教や出雲大社教に入信していた時期もあるが、文久元年27歳の折、政和は縁あって播州林田の河野鐡兜翁の塾生となり日々和学の研鑽に励んでいた。 |
| 3年後の30歳の頃に、客人として来遊された津和野の神道家大國隆正翁と塾内で邂逅し衝撃的な影響を受ける。 |
| この邂逅が後に政和に神典講究の切っ掛けを与える事となる。 |
| それ以後は古事記に魅せられ、書肆に並べ置かれたる神道書類、特に古史傳や古史徴並びに開題記などの和本を購い繙き、平田篤胤翁の偉大さを知るに及び、やがて平田学の思想に傾倒して行く。 |
| 此の時期には平田先生が書かれた短冊や久延彦の神像を奇霊な縁によって大田朝恭から授与されている。 |
| やがてこの出来事が動機となり、以後頓に神典研究の着眼一変し、自著天地組織之原理を書き成す事が出来たと言われている。 |
| ある意味で嚆矢とも言える古代研究に於ける篤胤の論考は、本居宣長翁の『古事記伝』や服部中庸翁の宇宙観『三大考』などの思想から啓発され、これらの文献や古典(記・紀)などを参考に篤胤独自の解釈による古史傳を推敲し二十八巻半ばまで出来上がったが、志半ばで未完のまま逝去され、後に門弟矢野玄道に継承されて三十七巻まで完結されている。 |
| 篤胤門下の弟子達の話によると、「平田先生の敬神は堂に入っており、八百万の神々を斎まつり、あたかも神々が目前におられるかのように、日々厳かに朗々と祝詞を奏上しておられたが、中でも事の外、先生自らが描かれ画賛辞を詠じて書き込み軸装にした久延毘古の神像を実に大切にされておられた」との事である。 |
| 門弟たちに篤胤は常々、私はこの神を祭ることによって、初めて古代研究の着眼が一変し、古史傳を完成する事が出来たと述べている。 |
| のちに門下の大田朝恭がこの尊図を拝受し、この案山子の絵図を美甘翁の下に授けたのも、単なる偶然とは思われない。 |
著述主旨
| この五冊の本は、神の代の傳への誠を説きわけて、神路にかえる道しるべとせんと美甘翁は説明していた。 |
| また「わしの著述は少なくとも五百年を俟たねば其の真価は顕はれて来ぬであろう。 |
| 其の時に至り世人は五百年前にこんな事を預言して居た人があるかと定めて驚くことであろう」と豪語した。 |
| 美甘翁が壮年の頃より、終始一貫して神典の研究に打ち込み、生涯心血を注いだ「天地組織之原理」は天地創造の真理を解き明かした驚嘆の神道書で、神秘を穿つ霊学の書でもある。 |
| 全巻を開闢第1期~第5期に分けて解釈し、神典の中に書き表されている秘儀を、神代に於ける造化の五大変遷史として、解き明かした貴重な書物である。 |
| 政和翁の末孫の方々は現在も医師として活躍されておられる。 |
| 子息の一人光太郎氏の話によれば、「父の嗜好は青年時代は書であった。 |
| また日々読書と思索を楽しみ晴耕雨読を実践しておられた。 |
| 晩年は石を愛し、名勝や旧跡に至るや、必ず記念として、その土地から少しでも形の変わった小石を拾って持ち帰った。 |
| 自然の姿をこよなく愛で何事に対しても淡白で欲がなく、日常がまさに仙人のような実生活であった」と回想されておられる。 |
| 仙風をおびた美甘翁が、後に神仙研究家でもあった宮中掌典の宮地厳夫翁と交流があった事は、必然的な邂逅でありましょう。 |
| 自著を上木されるに際しては、厳夫に序文をお願いしたが、厳夫は謙り到底自分の如き者の序文を付すべき次第にあらずと、固辞して鄭重に断った経緯がある。 |
| 厳夫翁は大正7年に逝去したが、同年12月に美甘翁も逝去した。 |
参考文献
| 『天地組織之原理』全5巻 明治23年初版 11月1日 出版 和綴じ本 神典研究所篇。 |
| 『天地組織之原理』合冊本 昭和4年再版 門下同志篇 門弟工藤氏白峯宮寄贈本。 |
| 『幽顕相通神道宇宙観略説』大正5年版。 |
| 『国幣中社・中山神社考』。 |
| 『再版趣意書』昭和3年。 |
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